静縁法師みづからが哥を語て云、
鹿の音を聞に我さへなかれぬる谷のいほりは住うかりけり
とこそつかふまつりて侍れ。これいかヾ侍。
と云。予云、
よろしく侍り。但、なかれぬると云詞、あまりこけすぎて、いかにぞや聞え侍れ。
といふを、静縁云、
其詞をこそ此哥の詮とは思給ふるに、この難はことの外に覚え侍。
とて、いみじうわろく難ずと思げにてさりぬ。よしなくおぼゆるまヽに物をいひて、心すべかりける事を、と悔しく思程に、十日ばかりありて、又來て云ふよう、
ひとひの哥難じ給しを、隠れ事なし。心えず思給て、いぶかしくおぼえ侍しまヽに、さはいへども、大夫公のもとに行てこそ、我ひがごとを思ふか、人のあしく難じ給ふか、ことをば切めとおもひて、行て語り侍りしかど、
何條御房のかヽるこけ哥よまんぞよと。なかれぬるとは何事ぞ。まさなの心ねや。
となん、はしたなめられて侍し。されば、よく難じ給けり。我あしく心得たりけるぞと。をこたり申にまうでたるなり。
といひて帰り侍にき。心のきよさこそ有がたく侍れ。
※静縁 天台僧
※大夫公 俊恵