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新古今和歌集の部屋

軒端の梅 明月記 以仁王事件

治承四年五月

十六日丁卯 九坎 今朝傳へ聞く、三條宮配流の事、日來と云々。

夜前検非違使軍兵を相具し、彼の第を囲む〈源氏の姓を賜る。其の名は以光と云々〉。是より先主人逃げ去る〈其の所を知らず〉。同宿の前齋宮(亮子内親王)又逃げ出で給ふ。漢主出づるに成皐勝公と車を共にするが如きか。

巷説に云ふ、源氏園城寺に入る。衆徒等鐘を槌き兵を催すと云々。

平中納言頼盛卿、八條院に參じ、御所の中を探索。彼の孫王を申し請ふ。遅々たるに依り、捜求に及ぶと云々。良々久しくして、孫王遂に出で給ふ。重實〈越中大夫を称ふ〉、一人相随す。但し納言相具し白川に向ひ、宮出家と云々。

一昨日、法皇鳥羽より八條坊門烏丸に渡りおはします〈八條院旧御所と云々〉。


※三条宮 以仁王 治承4年5月26日、興福寺へ落ちのびる途中、追討軍に討たれた。

※検非違使 土岐光長と源兼綱

※園城寺 天台宗寺門派の総本山。三井寺とも云ふ。以仁王は、一旦園城寺に逃れるが、比叡山と園城寺は不仲なため、延暦寺の支援を得られなかった。

※平頼盛 忠盛五男。八条院の女房を妻としている。平家の都落ちの際、置いてけぼりを喰らったので、京に留まり、八条院に匿って貰っていた。

※八條院 八条院東洞院殿。

※孫王 平家物語は道尊大僧正としている。しかし、仁和寺で出家していることから、道性安院宮僧正や真性天台座主大僧正とも考えられる。

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