法然は、白川、吉水、加茂、西山広谷を拠点としていたが、建永二年安楽、住蓮事件により、讃岐に流された。建暦元年帰京し、二年二月二十五日寂滅。
信空は、叡空により受戒し、法然の死により、叡山黒谷と白川を相続。
嘉禄三年衆徒の迫害により、法然の遺体を荼毘にし、門弟が、それぞれ分骨して廟塔を建てた。
中山顕時 天永元年- 仁安2年3月14日 藤原北家勧修寺流、藤原長隆の子。通称は中山中納言。
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