八雲抄巻第二作法部
一 執柄家哥合 大臣家卿准之
長元八年五月卅日講次左大臣 頼ー 哥合。寛治八年八月
十九日前関白師。高陽院哥合已上両度為例。其外無可
然哥合。仍 付寛治例注之。
先尅限大殿已下公卿十余◯着座。直衣。
次立切燈臺 敷菅圓座 次置左右文臺
寛治、女房 左馬頭師隆 少将能俊 男方少将宗輔
蔵人宗佐 長元 蔵人役之。
次左右参上 長元にて發哥 笛 右は唯参。
次召講師 長元、左少弁經長 右々中弁 資通。
寛治、基綱 宗忠弁也。
次哥評定 人々進寄、長元、念人各二人、左、兼頼 公成、
右、顕基 隆國。 員判殿上童。 寛治、中宮大夫師忠、
記勝負。 長元哥、風流也。 寛治 只切哥讀之。後日、
左、左大将 右、関白書之。
次花哥七番講畢。 公卿膳、坏酌 汁物 高坏物物
次郭公哥
次勧盃 公卿取之。 瓶子基兼取継酌。五位侍臣也。
次月雪祝哥判畢 次諸大夫直管弦具
次呂律曲 寛治、楽人於舩奏同音
次有禄 長元、判者輔親給之。
次引出物 長元 内大臣 頼宗 能信 長家
四人引馬。
雜事
左、頭經輔已下 右、只侍臣
長元、左勝自勝方進桧破子。 長元 經任、依障不参 已下
左、女七人 右、通俊 匡房
寛治 両納言 四位五人 長元、寛治共左勝 長元撰哥
合 寛治皆悉番之。禁中、仙洞執政家哥合、或大略如此。
后宮は、四条宮春秌哥合為本。大臣已下家々多略儀也。
家信 俊頼
永久、実◯講師五位二人 道經 講師四位二人 仲実 近日不
及此式歟。
抑、於諸社歌合、者勧進人書、番之。判は或任神慮、或又有
判。大治二年、廣田哥合、基俊判之。承應住吉、俊成判之。
建久日吉恋哥合、顕昭法師判之。此類古今不可勝斗
歟。
※読めない部分は、国文研鵜飼文庫(57コマ以降)を参照した。
※◯は、読めない字。
見出し写真は、京都堀川通 風俗博物館展示物。