若
狭
守つね
としは一の谷より
ひやうごのうらまで落のびけるを
源氏のつはもの那和太郎追ひとゞ
めばじやうながらにむづとくみ
ながらしば/\もみあいしが
たがいにうまを
のりはなし
ひきくんでどうと
おちし 那和太郎
が那和
太郎はつねとしを
たちまちくみ
ふせとつておさ 若狭守経俊
へしぞ人を引
抜いてさしころしぬとぞ
平 経俊(たいら の つねとし)
平安時代後期の平家一門の武将。平経盛の子で、兄弟に経正、敦盛らがある。官位は従五位下・若狭守。
一ノ谷の戦いにおいて、従兄弟の知盛の指揮の下、生田の森で源氏軍と対戦する。従兄弟の清房、清貞と共に三騎で敵陣に突入し、散々に奮戦した末に戦死した。
那和太郎
平経俊墳墓の神戸市史跡指定の解説によれば、源範頼の郎党とのこと。