無常のこゝろに 慈圓大僧正
きのふみし人はいかにとおどろけど猶ながきよの夢にぞ有ける
三の句、ど°をば°とある本は、ひが写しなり。ばにては聞え
ず。 きのうまで世に有し人の、けふはなくなりたる
をば、こはいかにとおどろきながらも、なほえ無常をさ
とらず、長きよの夢にまよひゐるよと也。長き夜の夢、
仏經の詞なり。 おどろけどゝいひて、猶長きよの夢と
いへる、おもしろし。 人はといへる、は°もじの意は、
人のうへをばの意なり。
よもぎふにいつかおくべき露の身はけふの夕ぐれあすの明ぼの
めでたし。二の句にてきれたり。 夕暮曙、ともに
露の縁なり。ふるき抄に、いつかおくべきといひたるも、
まだ末久しきやうなれば、思ひかへして、けふのゆふ暮あ
すの曙もしらぬといふ哥也といへるは、おもひかへしてといへる
まで、いみじきひがごとなり。いつかおくべきといふが、すなはち
今日明日もしらぬよしなるをや。
我もいつぞあらましかばとみし人を忍ぶとすればいとゞそひ行
拾遺√世中にあらましかばとおもふ人なきがおほくもなり
にけるかな。あらましかばと思ふとは、其人の世にあらば、と
あらむかくあらんと、事にふれておもひ出をいふ。
こゝの歌の二の句のと°もじは、しのぶといふへかゝれり。見し
人に、あらましかばとしのぶなり。 結句は、本哥の下ノ
句の意にて、我もいつ其数にいらむとなり。 いつぞとは、
前ノ哥の、蓬生にいつかおるべきの意と同じ。
前參議教長高野にこもり居て侍けるが、病か
ぎりになりぬときゝて頼輔ノ卿まかりけるほど
に身まかりぬときゝてつかはしける
寂蓮
尋ね來ていかにあはれとながむらむ後なき山の峯のしら雲
詞書、頼輔ノ卿は、教長卿の兄なり。 初句、きては、行ての意
なり。すべて今の詞ならば、ゆきてといふべきを、昔はきて
といへる多し。峯のしら雲は、けぶりとなりしな
ごりの意あるべし。
なけく事侍ける人とはずと恨み侍ければ
西行
あはれとも心におもふほどばかりいはれぬべくはとひこそはせめ
初句、ともはたゞと°ゝいふ意にて、と°はそへたるのみなり。
されど此も°はよくもとゝのはず。せんかたなきときこゆ。
然るを此も°にまどひて、初句を四の句へかけて注し
たるは、いはれず。二の句へつゞきたる詞なるをや。
ほどばかりと重りたるもいかゞ。
覚快法親王かくれ侍りて周忌のはてに墓所
まうでよみ侍りける
慈圓大僧正
そこはかと思ひつゞけて來てみればことしのけふも袖はぬれけり
初句に、墓といふことをこめたり。但しそこはかとなくとこそ
いへ。そこはかとおもひつゞけてといへるは、聞えぬことなり。
上下のかけあひもなき哥なり。
※古抄 不明
※拾遺√世中にあらましかば
拾遺和歌集 哀傷歌
昔見侍りし人人おほくなくなりたることをな
げくを見侍りて
藤原為頼
世の中にあらましかばと思ふ人なきかおほくも成りにけるかな