き物のなきうへ、かつうはかの御ぼだいのためにもとてなく/\
とり出させおはします。上人是を給はつて、何とそうすべき
むねもなくして、すみぞめの袖をかほにをしあてゝ、なく
くだん
/\御所をぞまかり出られける。件の御ゐをば、はたにぬふて
長らく寺の仏前に、かけられけるとぞ聞えし。女院は十五
にて、女御のせんじをかうむり、十六にてかうゐのくらゐに
そなはり、くんわうのかたはらに、さぶらはせ給ひてあしたには
あさまつり事
朝政をすゝめ、よるは夜をもつぱらにし給へり。廿二にて王
子御たん生有て、皇太子にたち、くらゐにつかせ給ひしが
は、ゐんがう蒙らせ給ひて、けんれい門院とぞ申ける。入道
相国の御むすめなるうへ、天子のこくぼにてましませば、
世のおもうし奉る事なのめならず。ことしは卅九にぞ
ならせまし/\ける。たうりの御よそほひ、なをこまや
かに、ふようの御かたちも、いまだおとろへさせ給はね共ひ
すいの御かんざしに付ても、何にかはせさせ給ふべきなれば、終
に御さまをかへさせ給ひてけり。うきよをいとひまことの道に
いらせ給へ共御なげきは更につきせず。人〃今はかうとて、
うみにしづみし有さま、せんてい二位殿の御おもかげ、ひしと
御身にそひていかならん世に、わするべし共思召ねば、露
の御命の、何しに今までながらへて、かゝるうきめをみるら
んとて、御涙せきあへさせ給はず。五月のみじか夜なれ共、
あかしかねさせ給ひつゝ、をのづから打まどろませ給はね
ば、むかしの事をば、夢にだにも御らんぜずかべにそむける
のこんのともしびのかげかすかに、夜もすがらまどみつ。く
らき雨のおとぞさびじかりける。じやうやう人がじやう
やう宮にとぢられたりけんかなしみも、これには過じと
ぞ見えし。むかしを忍ぶつまとなれとてやもとのあるじ
のうつしうへおきたりけん、花たちばなの風なつかしくの
ほとゝぎす
きちかくかほりけるに、山時鳥の、二こゑ三聲をとづれて
とをりければ、女院ふるき事なれ共、思し召出して御
平家物語巻第十二 平家物語灌頂巻
八 女院出家の事
八 女院出家の事
き物のなき上、かつうは彼の御菩提の為にもとて、泣く泣く取り出ださせ御座します。上人これを給はつて、何と奏すべき旨も無くして、墨染の袖を顔に押し当てて、泣く泣く御所をぞ罷り出でられける。件の御衣をば、旗に縫ふて、長楽寺の仏前に、掛けられけるとぞ聞えし。
女院は十五にて、女御の宣旨を蒙り、十六にて后妃(かうゐ)の位に備はり、君王の傍らに、侍はせ給ひて、朝(あした)には朝政を進め、夜は夜をもつぱらにし給へり。廿二にて王子御誕生有て、皇太子に立ち、位につかせ給ひしかば、院号蒙らせ給ひて、建礼門院とぞ申しける。入道相国の御娘なる上、天子の国母にてましませば、世の重うし奉る事、なのめならず。今年は卅九にぞ成らせましましける。桃李(たうり)の御粧(よそほひ)、猶細やかに、芙蓉の御容姿(かたち)も、いまだ衰へさせ給はねども、翡翠の御簪に付いても、何にかはせさせ給ふべきなれば、終に御樣を変へさせ給ひてけり。憂き世を厭ひ、真の道に入らせ給へども、御歎きは更に尽きせず。人々、今はかうとて、海に沈みし有樣、先帝、二位殿の御面影、ひしと御身に添ひていかならん世に、忘るべしども、思し召さねば、露の御命の、何しに今まで長らへて、かかる憂き目を見るらんとて、御涙せきあへさせ給はず。五月の短夜なれども、明かしかねさせ給ひつつ、自づから打微睡ませ給はねば、昔の事をば、夢にだにも御覽ぜず、壁に背ける残(のこん)の灯の影微かに、夜もすがら窓見つ。暗き雨の音ぞ寂じかりける。上陽(しやうやう)人が上陽宮に閉ぢられたりけん悲しみも、これには過じとぞ見えし。昔を忍ぶつまとなれとてや、元の主の移し植へ置きたりけん、花橘の風懐かしく軒近く香りけるに、山時鳥の、二声三声訪れてとをりければ、女院、古き事なれども、思し召し出だして御
※朝には朝政を進め、夜は夜をもつぱらにし 白居易 長恨歌による。
春宵短きに苦しみ日高くして起く、従より君王早朝せず。歓を承け宴に侍して閑暇無く
春は春の遊びに従ひ夜は夜を専らにす。
春は春の遊びに従ひ夜は夜を専らにす。
※上陽人 《「上陽」は唐代、洛陽の宮城内にあった宮殿の名》上陽宮にいた宮女。楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛ちょうあいを一身に集めたため、他の宮女が不遇な一生を送ったところから、女性、特に宮女の不遇をたとえる語として用いられる。
白居易 白氏文集 新楽府上陽白髪人など。
※明かしかねさせ給ひつつ~暗き雨の音ぞ寂じかりける
新楽府上陽白髪人
秋夜長し。夜長くして寐ぬる無く天明ならず、耿耿たる残灯壁に背く影、蕭蕭たる暗雨窓を打つ声
平家物語の作者とする説の藤原行長は、漢文に通じた学者であり、新楽府七徳舞の失態で官を辞したと伝えられる。