新古今和歌集の部屋

三十六歌仙色紙 筆者考察2

伝承筆者履歴による執筆年の推計

三十六歌仙色紙には、9人の執筆者と役職が記載されている。役職については、いい加減なものもあるが、一応の目安となる。


飛鳥井大納言雅章
1611年-1679年
1652年 権大納言
1677年 従一位


久我左大臣広通 ※左大臣にはなっていない。
1626年-1674年
1654 正二位
1655 権大納言
1657 右近衛大将
1661 内大臣


葉室大納言頼業
1615年-1675年
1656-1666 権大納言
1660 正二位


中院大納言通茂卿
1631年-1710年
1660-1670 権大納言
1668 従二位
1673 正二位
1704 内大臣
1705 従一位


松木大納言宗条
1625年-1700年
1656 権中納言
1659 正三位
1661-1662 権大納言
1668 従二位
1675 正二位
1688 内大臣


花山院大納言定誠
1640年-1704年
1665-1675 権大納言
1668 従二位
1674 正二位
1682-1685 右近衛大将
1683 権大納言
1684-1686 内大臣 ★


藪大納言嗣孝
1619年―1682年
1648 参議
正二位権大納言就任年不詳。


四辻大納言季賢 ※大納言にはなっていない。
1630年-1868年 ★
1655 参議
権中納言正三位就任年不詳


万里小路大納言雅房
1634年-1679年
1670 権大納言
1672 従二位
1673 正二位
1676-1678 按察使

結論
1640年から同時代に全員の生存が確認出来る。四辻季賢が寛文八年(1868年)に死去しているので、これ以前に執筆したことになる。
役職を信じれば、万里小路雅房が1670年に大納言に除目されているが、花山院定誠は、1684-1686年に内大臣に就任して、二度目の権大納言を除目されているので、それを下限と出来る。

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