(5) 元暦の大地震
元暦の大地震は、元暦二年(1185年)七月九日午刻に発生した。三月に平家が壇ノ浦で滅亡した直後の事で、「平家の怨霊にて、世のうすべきよし申あへり。」(長門本)と平家の怨霊に因るものとか、この世の終わりが来たと噂された。
盛衰記には、治承三年七月(延慶本は十一月)にも三度将軍塚が鳴動し、一度目は京都市内、二度目は近畿圏内、三度目は全国で聞こえた。国難に際し将軍塚が鳴動するとしていて、その後地震が起こった。更に十一月七日にも地震があったとしている。
元暦の大地震の方丈記と平家物語異本の差違を表5に示す。
ここもまさに随所に方丈記が使われている。具体的な単語は異なるものの、意味の類似性まで求めたら、「土」→「大地」、「羽」→「鳥」など更に多くの点で見つかる。また、「ばんじゃく」と「いはを」、「ころび」と「まろび」、「いかづち」と「なるかみ」、となど、同じ意味の異なる表記、又は訓読みの差違となっている。つまり琵琶法師の師匠からの言葉で伝わった訳ではなく、文字として伝播して誤読が生じた結果であろう。
大福光寺本、前田家本の「山は崩れて」と流布本の「山崩れて」は、長門本のみ「山は崩れて」とあり、他は全て「山崩れて」となっている。また、「川を埋み」は、城方本は、「谷を埋み」、中院本は、「川をふさぎ」、合戦状本は、「谷河を埋め」となっているが、他は全て方丈記と同じである。
大福光寺本、前田家本の「海はかたぶきて陸地をひたせり」と流布本の「海かたぶきて陸をひたせり」は、高野本、九年本、下村本、盛衰記、熱田本が「海たゞよひて浜をひたす」、城方本、百二十句本、長門本は「海傾きて浜をひたす」、延慶本は「海漂ひて磯を浸す」、中院本は、「海傾きて峰を浸し」であり、合戦状本のみ流布本と同じである。
大福光寺本、前田家本の「水湧き出で」は、高野本、九年本、百二十句本、下村本で、城方本、中院本は、「水を出だし」と大福光寺本、前田家本に近いが、流布本の「水湧き上がり」 は無い。
「巌割れて、谷にまろび」は屋代本、「ころび」が百二十句本、長門本が同じく、高野本、九年本は、「ばんじゃく」ではあるが同じ。「磐石破れて谷へ転ぶ」は下村本、盛衰記、熱田本、「巌崩れて川を埋む」は城方本で「岩砕けて谷を埋む」は中院本と「山崩れて」の埋むが交差している。「巌砕け入谷も」は合戦状本となっている。
「渚漕ぐ舟は波に漂い」は、城方本、屋代本が一致、「沖」が百二十句本、「浦」が中院本、「波に揺られ」が高野本、九年本、下村本、「破れて波に揺られ」は熱田本となっている。
「道行く」は、全て「陸(くが)ゆく」となっている。「渚」「浦」「沖」の対句であれば「陸」となるのであろう。「陸を浸せり」の部分の転写とも考えられる。
大福光寺本、前田家本「馬はあしのたちどをまどわす」、流布本は「駒は足のたちどをまどはせり」で、高野本、九年本、下村本、熱田本、屋代本、百二十句本が「駒は足のたてどを失へり」とし、城方本、中院本は「蹄は脚の立てどを惑わす」としており、「無し」が盛衰記、延慶本、長門本、合戦状本となっている。
方丈記の「塵灰」は、盛衰記のみ利用され、高野本、百二十句本、延慶本、長門本、九年本、下村本、熱田本、屋代本とほとんどは「塵」、城方本のみ「埃」となっている。大福光寺本、前田家本の「昇りて」と流布本の「上がりて」については、平家物語は、「上(揚)がる」として、流布本に近い。「煙の如し」は、高野本、九年本、熱田本、屋代本、百二十句本、長門本が方丈記に同じで、下村本、城方本、延慶本が「煙に同じ」、盛衰記が「似たり」、合戦状本は「煙を以て」となっている。
更に、盛衰記では、「将軍塚鳴動の事」でも「山傾て谷を埋、岸くづれては水をたゝへ」と詞は多少違うものの、流用していると考えて良い。
どの平家物語も「鳥にあらざれば」とあり、方丈記の「羽なければ」とはしていない。大福光寺本、前田家本の「空をも飛ぶべからず」、流布本の「空へも上がるべからず」は、高野本、城方本は「天へも」、百二十句本、九年本、下村本、中院本は「天」、長門本、熱田本、合戦状本が「翔り難く」、盛衰記、延慶本、屋代本が「翔らず」となる。
大福光寺本、前田家本の「龍ならばや雲にものらむ」、流布本の「龍ならねば雲にのぼらむこと難し」は、平家物語では「龍にあらざれば」とし、高野本、九年本、下村本、「雲にも又昇り難し」、城方本、百二十句本、中院本、盛衰記、長門本、合戦状本、屋代本は「雲にも入り難し」、延慶本は「雲にも入らず」となっている。
大福光寺本、流布本の「四大種の中に、水火風はつねに害をなせど」は、高野本、百二十句本、下村本、熱田本、屋代本が取り上げており、「水」が欠落している前田家本は参照していない事が分かる。「大地に至りては殊なる変をなさず」は、高野本、百二十句本、下村本、熱田本とも「大地にをいては」、屋代本は「猶大地は異なる変を成す」と微妙に変化している。前田家本の「地にいたりては変をなさず」を「なす」としている事から、屋代本は前田家本に近いかも知れない。
斉衡の大地震は、全てが取り上げているが、東大寺大仏の頭落下に関しては、盛衰記、延慶本、長門本、合戦状本では取り上げていない。九年本、下村本、熱田本は、「ゆり落とし」となっているが、高野本では「ふり落とし」と変化している。
また、余震の状況を伝えた平家物語は無い。
元暦の大地震では、流布本に近いものが多いが、流布本の特徴である武士の子供の圧死した部分は、平家物語ではどこも取り上げていない。悲惨さとともに、涙を誘う部分なので、平家物語の中で語られても可笑しく無いと感じる。取り上げていないという事は、方丈記の流布本以外を参照したとも考えられる。
元暦の大地震を分類すると、①高野本、九年本、下村本、熱田本、①’屋代本、百二十句本、②城方本、中院本、③盛衰記、延慶本、長門本、④合戦状本となる。