はしめていたりはりやうにとり
初至巴陵與李
じゆうじはくおなじくうかふとう
十二白同泛洞
ていこ か し
庭湖 賈至
ふうかんぶん/\としてらく
楓岸紛々落
やうおゝしとうていのしう
葉多洞庭秋
すいはんらいになみたり
水晚来波
しやうしてきやうにけいしう
乗興軽舟
なしきんゑんはくうん
無近遠白雲
めいけつとむらふせうがを
明月弔湘娥
南国のはりやうあたりへ
させんせられてきたり
・棚岸粉々みな楚辞の
字なりあきのじぶんゆへ
きしのもみぢなともふん/\と
ちりみだしきのはもおちて
さひしくなし水の西を見れ
ば秋風がふくゆへなみもたち
なにとなふ屈原がことおもひ
いづる
左遷の身なれは二人とに
心を得す屈原と同し
境界じや
舟にのり遠近のしやへつ
もなくのりまわしてこの
やうにはてしもなく居
たらは白雲のはれた明月
の夜すがらは湘君のぴやう
をもとむらいそふたもの
じや
くわしくは國字解ニ有
初めて巴陵に至り李十二白と同(とも)に洞庭湖に泛(うか)ぶ
賈至
楓岸、紛紛として落葉多し。
洞庭の秋水晚来波だつ。
興に乗じては軽舟近遠無し。
白雲明月、湘娥を弔はむ。
意訳
岸の楓は、ハラハラとしきりに落葉している。
洞庭湖の秋の水は、夕方になって波立ってきた。
興に乗って行く先は、小舟でも近い遠いは無い。
さて、白雲がたなびき、明るい月が出た辺りで、入水した舜帝妃の娥皇と女英姉妹を弔おうではないか。
※巴陵 今の湖南省岳陽市にあった。賈至は岳陽に左遷され、「初めて」から、その初期と思われる。
※李十二白 李白。十二は親族の順の排行。李白は、同じこの岳陽の時に、陪族叔刑部侍郎曄及中書舎人賈至遊洞庭湖を作っている。
※楓岸 楚辞宋玉の招魂の湛湛江水兮上有楓による。
※粉粉 古詩紀 文苑英華の流蘋方繞繞、落葉尚紛紛による。
※洞庭の秋水晚来波だつ 楚辞九歌の湘夫人の嫋嫋兮秋風、洞庭波兮木葉下を踏まえる。
※興に乗じて 晋書王羲之伝の徽之曰、本乘興而行、興盡而反。何必見安道邪の故事より。
唐詩選畫本 七言絶句 巻四