JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

妄想の森

2007年08月15日 01時56分21秒 | 本と雑誌
 一週間ほど帰省しておりました。家事労働から解放され、極楽極楽♪の中での読書三昧。橋本治の『恋愛論』に始まり、寺山修司『幸福論』、村上龍『すべての男は消耗品である』など・・・とばし読み状態のものもありましたが、概ね興味深く受け取りました。これすべて学生時代~結婚前に手にしていた作品。まだ人生経験も乏しく、感覚的にジャンプしながらの以前と比べ、こういう事かな?と納得できる部分がでてきて、面白かった。本当は、それなりに人生経験を積んだ今こそ、もっと読書をしなければならないのかもしれません。

 移動の電車内でも読み続けていたもの。森瑤子と村松友視。森瑤子の『35歳の憂鬱』という作品に描かれていた心持ちは、ちょっと前の私にぴったりでした。正に「39歳の憂鬱」。誰かの妻でもなく、誰かの母でもなく、私でありたい。そうして自分の言葉で語りたい。人から見れば「何が不服なの?」という生活をしていながら、忸怩たる思いを抱えて生きている・・・こんな事を申すと、バチが当たりそうですが。

 村松友視の『時代屋の女房』は、大好きな作品。これに登場する真弓という女性に、何故だか惹かれるんですねぇ。主人公安さんが営む骨董品屋に、ある日フラリとやってきて住みつき、突然いなくなっては、7日目に白いパラソルをくるくる回しながら帰ってくるという、ちょっと不思議な存在なんですが。待ち続ける安さんと待たせる真弓の関係性が、オツなのです♪ひょっとして、かねがねアツく語り続けている’困り顔の男’の原点は、この安さんにあるのかもしれません。映画では、渡瀬恒彦さんがなさってました。(真弓は夏目雅子。個人的には、古谷一行&名取裕子版が好みです。)

 余談ですが、待ち姿の美しい男性って素敵ですね。勤めていた頃、駅で先輩と待ち合わせをしていて- その先輩はルックス的にちっともイケてないのに(おまけにおじさんだし)、とても素敵な立ち姿で佇んでおられたのが、今でも印象に残っています。壁に背をあずけ、両手をズボンのポケットにつっこんで、少し俯き加減に・・・その時のスーツのシルエットの美しかったこと。現代では、この角度で携帯を持てなんて指南もあるようですが、私に言わせればとんでもない。暇つぶしに携帯を触ってる時点で失格です。

 さて話は『時代屋・・・』へ戻り、問わず語らずは都会の流儀なんていう一文に込めた、ちょっと訳あり?な真弓を詮索しない安さんの優しさ。そうして、それは同時に踏み込んでこない冷たさでもあるという世界観も、いいんだな~。三部作ラストの『時代屋の女房 怪談篇』では、真弓が家出を重ねる理由が明かされますが、私にはちょっと予想外でした。一筋縄ではいかないひねり(文中ではよじれとも表現されています)があった。

 男女間の想いって、簡単に説明がつくものではないのですね。

 さて帰省から戻りまして、先日からは渡辺淳一の『失楽園』に手を染めております。家族が寝静まってから、一人ムフフと。冒頭2ページで既にお腹一杯状態。どう致しましょう。軽い描写から次々と広がりし妄想。パタン。本を閉じ、しばし妄想の森へ・・・なかなか戻ってこれませぬ。今宵はここまで。毎日が、その繰り返しです。いつになったら、漱石先生の『こころ』へたどりつけるのか。人生の先輩に、二度読んで感想を言うようにとの指示を受けているのですが(笑)。姉さん、不埒な妹をお許しください。煩悩で行く手を阻まれておりまする~。