お仲間さんの日記を読んで、音楽について語りたくなった。初めて手にしたレコード、きっと忘れない。初恋の人のことは忘れてしまっても音楽に関しては覚えている、そんな自信がある。初めてのキスは?これも音楽が勝つだろう。初体験は?おっと、これは止めておこう。
とりわけ学生時代の思い出は、音楽抜きには語れない。その当時の自分が何をしていたかより、どんな音楽を聴いていたかの方が、明確に思い出せる。胸を張って何をし得たのかを披露できないのは寂しいけれど、それでも今の自分を形作る重要な礎を築いていたのではないか。感性を磨くという名の下に。
多感な年頃。おマセさんが背伸びをして、わかりもしない大人の世界を覗き見る。映画、ドラマ、小説、気の利いた少女なら実践で。 私の場合、それが音楽だった。絵に描いたような正統派ラブソングより、道ならぬ恋、秘めごと、別れうた・・・そういったものに心惹かれた。竹内まりやの『マンハッタン・キス』が、一時期道ならぬ恋の代表曲になっていたが、私にとってのそれはEPOの『あなたを奪えない』や、ドリカムの『週に一度の恋人』。やがて自分がそういう状況下へおかれることになろうとは、夢にも思わなかった。
”恋はするものではない。落ちるものだ。”ある女流作家の言葉どおり、相手や自分の立場におかまいなく、落ちる時は落ちる。気づいた時には、もう気持ちが転がり始めている。 あの時もそうだった。胸の奥にともった小さな灯り。それを慈しむだけの状態から抜きん出る瞬間。「心の傾斜が変わる」と表現したのは作詞家の森雪之丞だが(ピカソ『傾斜する心』にて)、上手い文句だと思う。
引き返せる場面があったけれど、一歩踏み出すことを選んだ。ハッピーエンドになり得ない結末もわかっていたが、それでもよかった。背伸びをして大人の世界を覗き見ていた少女は、どこか無邪気な少女の匂いを残す大人になっていた。いくばくかの冒険心と好奇心がなければ、恋はできない。利巧になればなる程、自分を守ることを第一に考え、どこかで歯止めをかけるだろう。
恋が始まる時、男は少年に戻り、女は少女に戻る。ただまっすぐに、愛情を傾けていた、あの頃が懐かしい。
話を音楽に戻して、大貫妙子の歌声がすき。すべてをやわらかく包み込むような美しい声なのだけど、それに魅せられて近づけば、さてどうなるか・・・そんなローレライのような哀しさ・危うさをあわせ持つ。静けさの中に微妙な揺らぎがあり、温かな陽だまりの傍に、冷たい影が存在する。手中に収め切れない不安定さ・・・そんな所が彼女の魅力ではないだろうか。
”ピーターラビットのー おうちは おおきなもみの木の したにあるー なかよしとすんでる~♪”
キッチンで歌っていたら、夫が「頭の中、ちょうちょ飛んでへんかー?」。ナント呑気なツッコミじゃ。夫の頭の中こそ、大貫妙子と言えば「ああ、ウサギやクマのぬいぐるみの人な。」(注: 『ピーターラビットとわたし』『テディベア』 )それ、めっちゃ片隅をデフォルメしてると思うわ!あなたの好きな原田知世ちゃんにだって『地下鉄のザジ』を提供しているのに。せめて、『Shall we dance?』や『恋人たちの時刻』の人と言えないものか。ホント情緒がないんだから。ぷんぷん。まぁその様子じゃ、ローレライに破滅へと導かれることもないだろうよ!
家庭平和の為に間をとって、この曲にしておきます・・・
大貫妙子『色彩都市』
とりわけ学生時代の思い出は、音楽抜きには語れない。その当時の自分が何をしていたかより、どんな音楽を聴いていたかの方が、明確に思い出せる。胸を張って何をし得たのかを披露できないのは寂しいけれど、それでも今の自分を形作る重要な礎を築いていたのではないか。感性を磨くという名の下に。
多感な年頃。おマセさんが背伸びをして、わかりもしない大人の世界を覗き見る。映画、ドラマ、小説、気の利いた少女なら実践で。 私の場合、それが音楽だった。絵に描いたような正統派ラブソングより、道ならぬ恋、秘めごと、別れうた・・・そういったものに心惹かれた。竹内まりやの『マンハッタン・キス』が、一時期道ならぬ恋の代表曲になっていたが、私にとってのそれはEPOの『あなたを奪えない』や、ドリカムの『週に一度の恋人』。やがて自分がそういう状況下へおかれることになろうとは、夢にも思わなかった。
”恋はするものではない。落ちるものだ。”ある女流作家の言葉どおり、相手や自分の立場におかまいなく、落ちる時は落ちる。気づいた時には、もう気持ちが転がり始めている。 あの時もそうだった。胸の奥にともった小さな灯り。それを慈しむだけの状態から抜きん出る瞬間。「心の傾斜が変わる」と表現したのは作詞家の森雪之丞だが(ピカソ『傾斜する心』にて)、上手い文句だと思う。
引き返せる場面があったけれど、一歩踏み出すことを選んだ。ハッピーエンドになり得ない結末もわかっていたが、それでもよかった。背伸びをして大人の世界を覗き見ていた少女は、どこか無邪気な少女の匂いを残す大人になっていた。いくばくかの冒険心と好奇心がなければ、恋はできない。利巧になればなる程、自分を守ることを第一に考え、どこかで歯止めをかけるだろう。
恋が始まる時、男は少年に戻り、女は少女に戻る。ただまっすぐに、愛情を傾けていた、あの頃が懐かしい。
話を音楽に戻して、大貫妙子の歌声がすき。すべてをやわらかく包み込むような美しい声なのだけど、それに魅せられて近づけば、さてどうなるか・・・そんなローレライのような哀しさ・危うさをあわせ持つ。静けさの中に微妙な揺らぎがあり、温かな陽だまりの傍に、冷たい影が存在する。手中に収め切れない不安定さ・・・そんな所が彼女の魅力ではないだろうか。
”ピーターラビットのー おうちは おおきなもみの木の したにあるー なかよしとすんでる~♪”
キッチンで歌っていたら、夫が「頭の中、ちょうちょ飛んでへんかー?」。ナント呑気なツッコミじゃ。夫の頭の中こそ、大貫妙子と言えば「ああ、ウサギやクマのぬいぐるみの人な。」(注: 『ピーターラビットとわたし』『テディベア』 )それ、めっちゃ片隅をデフォルメしてると思うわ!あなたの好きな原田知世ちゃんにだって『地下鉄のザジ』を提供しているのに。せめて、『Shall we dance?』や『恋人たちの時刻』の人と言えないものか。ホント情緒がないんだから。ぷんぷん。まぁその様子じゃ、ローレライに破滅へと導かれることもないだろうよ!
家庭平和の為に間をとって、この曲にしておきます・・・
大貫妙子『色彩都市』