JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

もう笑うしかない

2007年06月03日 16時53分00秒 | 恋バナ
 平松愛理の歌で、『もう笑うしかない』というのがあった。私の淡い恋心は、往々にして、このタイトル通りの結果をたどる。

 学生の頃、私を好きになってくれた人がいた。こちらも好意を持っていたので、大変嬉しくウキウキしていたのだが、文通しているのに気づいた親が、机をあさってこっそり内容確認していた事を知り、急に嫌になった。そこからは、破壊工作である。’私はあなたが思っているような人間じゃない’と、自分をおとしめおとしめ・・・「そんなことないよ」と言ってくれたにも関わらず、その破壊工作は続き、挙句相手まで責め始め、そのうち手紙も来なくなった。彼は何も悪くなかった。ただ、私を好きになってくれただけ。その彼を酷く傷つけて、その恋は終わった。

 社会人の頃、やたらと私の前をウロチョロする男性がいたので、「気があるのかな?」と、ドキドキして構えていたら、私と仲の良いA子ちゃん目当てだった。こういう事がままある。自意識過剰気味なのだ。が、それと共に ’ったく紛らわしいじゃないの!A子ちゃん目当てなら、頭の上にそう書いた看板でもかかげとけ!’とも思った。本命をわざと避け、その付近にいる’ごっつ話やすそ~な子’に接近するというのは、男性によく見受けられる現象のような気がする。恥ずかしいのだか何だか知らないが、その付近にいる’ごっつ話やすそ~な子’には、いい迷惑である。『トムソーヤの冒険』でも、本命をはずして周囲をつつくといった行為が出てくるので、案外昔からの常套手段なのかもしれない。本命にそうそう成り得ない人間としては、何だか納得いかない。

 好きな先輩がいた。ちょっと頑なで変わり者だったが、仕事ができる人だった。みんなに愛されるタイプではなかったので、取り巻きは少なく孤独な人だったが、私は彼の良さを理解していたので、近くにいて可愛がってもらっていた。どう考えても、先輩後輩以上の距離感だったのだ。その先輩に、いざという時「好きだけど愛してない」と言われた。それってヒドくない?男性心理としては図星なんでしょうけど。そのまんま過ぎて、あたしゃその場で倒れこみそうだったよ。これは、未だに私の心に、深く突き刺さる名言である。そしておそらく ’私’ というキャラクターを、端的に表している言葉でもある。所詮そういうポジションよ。悪かったな!

 好きな上司がいた。コワモテのお顔に似合わずお優しい方で、女性社員の中でも人気が高かった。当然、彼女たちに声をかけて飲みに行かれる事も多く、私もその恩恵にあずかっていた。出来の悪い私でも、数少ない長所をわかってくださる方で、本当に心の底から、お慕い申し上げていた。ある時、ごく内輪の宴会に顔を出していたら、同様にそこへ出席していたアネゴが、「この間、電車でお見かけしましたよ。お子さんと一緒だったでしょう?」と、その上司に向かって言った。ちなみに彼は独身者である。ただし、彼女がいるらしいという事は知られていた。衝撃の事実だったので、悲しくてトイレでひっそり泣いた。個人的にお付き合いしていた訳ではなく、私がどうこういう立場でもないのに。

 やっと、両思いになれた人がいた。と思ったら、付き合い始めて1ヶ月くらいで故郷へ帰ってしまった。コンチクショウ!

 奥さんのいる人を好きになった。それまでの人生の中で、一番気の合う仲間だった。’こんな人、もう現れないかも知れない。 大切にしなきゃ’ と思っていたのに、彼への気持ちがどんどん膨らみ、いらぬ告白をしてしまった。 相手はびっくりである。略奪する気なんて、全くなかった。ただ、本当の気持ちを押し隠して、ざっくばらんな友人関係を続けるのも、辛かったのだ。彼のちょっとした態度で、感情が激しく揺れた。が、告白した事で、雲行きが怪しくなった。友人関係までもが崩れ始めた。後は例の如く・・・ である。あの時の途方もない喪失感は、今も私の心のどこかに、ひっかかっている。『ハートブレイクなんて、へっちゃら』という小説は、片岡義男だったかな。そう言える時が来るのだろうか。これから先も・・・

 付き合い始めて1ヶ月で去っていった彼と、交際を続ける事になった。神戸と名古屋。電話は週に1度、デートは月に1度。そんな中で、お互いの気持ちを、ゆっくりゆっくり積み上げていった。この時の彼が、今の夫となる。息子に、この話をしたら「ツラッ!ありえね~」と言うので、’さては息子も人の心の機微がわかる年齢に・・・’ とニヤついていたら、「デート代、むちゃかかるしさ~」ときた。なぁ~んだ。 金銭問題かいっ!

 私が恋した人、元気かな。幸せに暮らしてるかな・・・遠い日を振り返りながら、そんな事を思ってみる。