くぅも晴れるや!!てぃらさんさん!!

統合失調症のおいらの思うこととか考えたこと書いています
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ムカついた

2005-11-27 15:03:00 | インポート
これは書かずにはいられない。

ムカついた。

昼過ぎ両親と車でスーパーに買い物に行った。

母がレジを終えるあいだ

宝くじ売り場の付近で

スクラッチを買おうかどうか迷って

かわずにデート費用にでもしようと思っていたら

後ろから女の人に声をかけられた。

「誰か待っているんですか?」

「ええ母を待っているんです」

「なにか?」とたずねると

「待ち伏せしてるのかと思った。

最近待ち伏せする人が多いんです。」

との給う。

おいおい俺はストーカーと間違われたのかい。

あんた追跡妄想にさいなまされてるんとちゃうか。

おいらも病気だからわかるんだけど

追跡妄想が激しかったら入院せなあかんで

本当にストーカーされてるなら警察にいわなああかんで。

で、何で俺なん。それにあんたあかんぼ連れてるやん。

確かに宝くじを買おうか迷った。

日曜日だから寝癖のついた髪だった。

デートの日じゃあなかったから身だしなみ手を抜いた。

けどストーカーとはなあ。

父曰く

「病気の子やったらかわいそうにおもわな」

「病識のない子が一番危なくて迷惑なんや」

ムカついた。






でも、彼女も仲間かなあ。かわいそうに。

おいらもそんな時期あったけど

そこまでの状態にはなってなかったなあ。

産後の肥立ちが悪かったんやなあ。

ムカついたけど、ちょっと哀しい。


『ハウルの動く城』を見た

2005-11-27 10:12:38 | Weblog
僕にかけられた呪いを解くのは

君の愛さ

君の愛で僕は変わっていく

今年2004年を

無意識に1994年と書いた。

たぶんそこから時間が止まっていたのだろう。

でも呪いが解けたよ君の愛で

止まった時間がわかったんだ。

失われた10年か。

すごい呪いだったよ。

君の愛が呪いを解いたんだ。





なんでなん

2005-11-27 10:02:18 | 国際・政治
何でなん社会保険庁さん。

年金申請したら長くて3ヶ月で結果を出すのに

ボクのはいまだ返事もなし。

申立書にこう書いたらよかった?

ヘルペスができたとき

エイズになって死ぬと妄想したとか

もしやチップを寝てる間に埋め込まれたのではと妄想したと。

同時に2つ以上のことを思うからふたつの妄想があったのです。



社会保険庁から年金申請しても音沙汰なし。

待ってるこっちは洒落にならん。


今度の水曜日は脳梗塞がどうなったか検査に行きます。

二軒目の精神科医がやたら記憶力テストをし

脳梗塞が恐いと脅したものだから

気になって検査に行ってきます。

もし歳相応の脳梗塞ならドクハラにあっていたのかということです。

記憶力テストはボクが結果を聞くと普通ですというのに

やたらとテストを受けていた。

あの医者は信用できんから今の医者に変わった。

その医者はビタミンで認知症が良くなると発表した医者で

専門分野は記憶力だった。

間違ったクリニックに行ったと思った。

ボクは睡眠や夢などに興味のある医者に会いたいと思っている。



社会保険庁さん。ええ加減にしてや。いつまで待たせるのん。

妄想のことまで書いたらよかったんか。

ボクより後に申請してもう年金もらってる人がいるのに

ボクの審査が長すぎひんか。

あかん怒りに身を任しそうや。やめやめ。


大阪市長選です。

2005-11-27 08:34:00 | インポート
大学の4年間は散々だった。

まず頭から何か抜けたときから

朝がなかなか起きれなくなり

金縛りがやたらと多くなった。

朝が起きれないということは当然

午前中の講義に出ることを難しくした。

大阪のボクは兵庫の有名私立に通っていたので

片道2時間だったかな。

そう、僕の家は大阪の辺境地にあった。

変わったことに

ある日から下宿生活を始めるんだけど

バイト先はなぜかこの辺境地に見つけていた。

つまり、この辺境地から抜け出せずにいた。

非効率な生活を学友は誰も注意しなかった。

その代わり、バイクでバイト先まで送ってくれたり

車で家まで送ってくれたりした。

下宿に戻るともう寝るだけだった。

規則正しく寝るものの

起きるのは相変わらず起きれない。

やたらと眠いのである。

そうして下宿をしていても

1限目の講義に出席することは難しかった。

こうして単位をとるのが難しくなり

成績不良という第一の憂鬱を抱えることになる。

クラブは柔道部に通っていたのだけれども

ボクはクラブをサークル状態に変えてしまった。

なぜだかこの柔道部はうんよく

全日本柔道大会には参加できていた。

柔道界が分裂していたからである。

この大会があるとボクたちは東京にいけた。

東京は大きな大阪と思うだけ、

都会はどこも変わらない景色に見えた。

柔道部でタバコを覚え

体力が急激になくなっていくのを

タバコだけのせいにしていた。

タバコだけで体力がなくなるわけが

ないのだけれども…。

学校の裏山に走るのに坂道の途中の

およそ200メートルくらいで息が切れる。

高校時代から考えられないほどの

体力の衰え、

何キロも平気で走っていたことに比べて

それは恐ろしいほどの体力の衰えだった。

こうして第2の憂鬱を抱えた。