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『俺と彼女のメインストリート』

2006-11-03 21:31:36 | 統合失調症

俺は2004年2月14日バレンタインデーの朝に

とある精神科病院に入院した。

病名は統合失調症。急性期だった。

入院の1週間前から妄想がひどくなり

妄想につられてかのように偶然にも

NHKが何もない場面で文字放送を流していまい

新聞にも放送事故として報道された。

僕の頭の中では北朝鮮とアメリカが核戦争を始めており

原爆が今にも落ちようとしていた。

そして映画の『マトリックス』の主人公のように

想念でこの現実を食い止めていると思っていた。

さて何故入院したかというと

僕が納得したからだけれども

僕が入院の署名を拒否したから

両親が簡易裁判所にいって医療保護入院になったんやったな。

そうしてバレンタインの朝に入院して

ボクはいきなり保護室という

病院内の刑務所のようなところに

入れられたのだった。

保護室はすごいよ。まあこれから話すね。

保護室は6畳くらいでトイレはむき出し

鍵は外からかけられて

自由に出入りできない。

そこで一月暮らすことになる。

はじめのころは病気が急性期のため

何が何だかわからない。

だから何故そのような仕打ちを受けるのかもわからない。

のどが渇いても水がない状態だった。

この一月の間は風呂にも入れてもらえなかった。

唯一の楽しみは寝る前のタバコの一服。

寝る前にいきなり看護士が3人入ってきたときは

理由がわからないから

死刑でも執行される心境で怖くて

看護士をひとり投げ飛ばして押さえつけられ

筋肉注射を受けて寝ることになる。

寝るときも電気は消してくれず

寝たのを確認してから電気は消されていたようである。

水も風呂もないからトイレの流れる水で体を洗い

水を飲みしていると

その様子を監視カメラでみた看護士がやっと

お茶を用意するようになった。

自動で手洗いの水が出ることも

その手洗いの水を出すのが難しいことも

教えてもらえず

もちろん保護室がどのような部屋で

どのようにして看護士を呼んだらよいのかも

教えてもらっていない。

他の保護室の患者も同様のようで

部屋のドアを何度も叩く雑音の中で

暮らすことにもなった。最悪の環境だった。

影のさす長さや向きで時間がわかるという

生活で、時計を窓に貼ってもらうまで

2週間を要した。

3週間くらいしてようやく要領がわかり

看護士ともコミュニケーションが取れるようになった。

保護室で一ヶ月暮らしたのを他の患者が聞いて

怖ろしいと言っていた。

何もすることがないからひとりで独特の遊びを覚えたり

そう絵を描く感じで食事をもってきてくれると並べ替えて

レイアウトや構図を考えて遊んだり

筋トレを独自に考案して実践したり

布団を相手に柔道の打ち込みをしたりしていた。

最後にはグルグルと部屋を回るしかなくなり

これは痴呆症の老人が徘徊する理由と同じだろうなあ。

確認と現実逃避となんかごっちゃになって

そう痴呆の老人も看護士やヘルパーが思っているほどに

痴呆でもなく仕方なくそうしているというのが

なんとなく今になればわかった。

彼女のストーリーが出てきていないな。

そういまは序章。

彼女とはまだ出会っていない。

保護室でのリアルの事実を書いている。

看護士のひとりが分厚いマニュアルを僕に見せて

保護室は難しいと言っていたのを思い出す。

刑務所ばりの部屋。

部屋の設備の説明はなし。

水分補給も不十分。

看護士を自由に呼べない。

そして僕は風呂に一ヶ月入れず

トイレの水を飲み

トイレの水で体を洗い

そこで排便をしていた。

変な生活を送り

やっと看護士がそれに気がつき

条件がよくなっていった。

看護士に首を絞められたこともあったし

僕が暴れたから(理由はあるが)

ベッドに拘束されたりもした。

これがボクの保護室だった。

さて彼女はいつ登場するのかな。

今日はこのへんで…。