川崎で開催の第38回「硫黄島島民の集い」に参加しました。
今年は系図で祖父からの直系のグループでは私ども家族だけの参加と少なかったですが、曽祖父からの家系ツリーの中という範囲に広げると、大勢の親類が参加していました。
また、6月(小笠原丸)、9月11日(金)(入間から日帰り)の、小笠原村主催と東京都主催の両方の慰霊墓参で硫黄島に行ったこともあって、例年よりも多くの皆さんに、お声がけいただいたり、ご挨拶をさせていただいたり、参加者の大勢の方と話をすることができました。
「集い」にも、一時期出ていなかったことがありましあが、ここ数年は続けて参加させていただいています。「続けて、皆で集まり続けること。その場に顔を出し続けること。」が、どれだけ大事かを、実感できた今年の「島民の集い」への参加でした。
戦前に硫黄島在住だった大先輩世代の方々が、踊りや、マジックなどを披露してくれたりしました。
例年どおり、会長と幹事の皆様が、手間隙をかけて準備と当日の進行をして下さいました。本当にありがとうございました。
「硫黄島(しま)へ帰ろう!」が、テーマだった今年の集いでは、中央に昨年からお目見えした島の模型が置かれ、舞台上部からは五色のテープを伸ばしてくれているという演出でした。
最後には、この写真の下の舞台に有志一同が上がって、会場全体で「故郷の廃家」を合唱しました。
これも、毎年、どんどん、私たちの合唱のレベルが上がっています。リズムが外れることがなくなり、キーがばらばらということもなくなりました。幹事の方の「もっと大きな声で、もう一度、歌いましょう。」の声に対して、「もう少し、キーを上げよう。」とリコーダーを持って舞台に上がってくださっていた方が、キーの音を下さって、3度ほど一度めより高い音程で、歌いました。
会長のご子息で幹事として撮影を担当してくださっている方が、この2度目の「故郷の廃家」合唱には参加、舞台中央近くで歌っていた私の隣に来て、一緒に歌ってくださいました。
私は、2度とも、硫黄島6月の慰霊祭の時同様に、できるだけ大きい声で歌うように心がけましたが、頑張っても大きな声量が出せずに、応援で参加の、お隣の幹事の方には、はりあえませんでした。
こうして年に一度、集まって、皆に硫黄島に思いを寄せ、この曲を歌うことの意義は本当に大きいと思いました。
「父母が戦前在住」「祖父母が在住」という私のような住んだ経験はない世代から、その次の世代のメンバーの参加も目立ち、参加者の年齢の幅が広かったこともこの集いが、「世代の壁を越えて、硫黄島島民であること。硫黄島は人が住んでいた島だったことを、皆で共有して、いつまでも伝え思いを一緒にしていこう。」という観点からも、素晴らしいことだったと思います。
来年の9月第二日曜日に同じ会場で開催されることが発表され、散会となりました。参加できた充実感が大きかった今年の「硫黄島島民の集い」でした。
今年は系図で祖父からの直系のグループでは私ども家族だけの参加と少なかったですが、曽祖父からの家系ツリーの中という範囲に広げると、大勢の親類が参加していました。
また、6月(小笠原丸)、9月11日(金)(入間から日帰り)の、小笠原村主催と東京都主催の両方の慰霊墓参で硫黄島に行ったこともあって、例年よりも多くの皆さんに、お声がけいただいたり、ご挨拶をさせていただいたり、参加者の大勢の方と話をすることができました。
「集い」にも、一時期出ていなかったことがありましあが、ここ数年は続けて参加させていただいています。「続けて、皆で集まり続けること。その場に顔を出し続けること。」が、どれだけ大事かを、実感できた今年の「島民の集い」への参加でした。
戦前に硫黄島在住だった大先輩世代の方々が、踊りや、マジックなどを披露してくれたりしました。
例年どおり、会長と幹事の皆様が、手間隙をかけて準備と当日の進行をして下さいました。本当にありがとうございました。
「硫黄島(しま)へ帰ろう!」が、テーマだった今年の集いでは、中央に昨年からお目見えした島の模型が置かれ、舞台上部からは五色のテープを伸ばしてくれているという演出でした。
最後には、この写真の下の舞台に有志一同が上がって、会場全体で「故郷の廃家」を合唱しました。
これも、毎年、どんどん、私たちの合唱のレベルが上がっています。リズムが外れることがなくなり、キーがばらばらということもなくなりました。幹事の方の「もっと大きな声で、もう一度、歌いましょう。」の声に対して、「もう少し、キーを上げよう。」とリコーダーを持って舞台に上がってくださっていた方が、キーの音を下さって、3度ほど一度めより高い音程で、歌いました。
会長のご子息で幹事として撮影を担当してくださっている方が、この2度目の「故郷の廃家」合唱には参加、舞台中央近くで歌っていた私の隣に来て、一緒に歌ってくださいました。
私は、2度とも、硫黄島6月の慰霊祭の時同様に、できるだけ大きい声で歌うように心がけましたが、頑張っても大きな声量が出せずに、応援で参加の、お隣の幹事の方には、はりあえませんでした。
こうして年に一度、集まって、皆に硫黄島に思いを寄せ、この曲を歌うことの意義は本当に大きいと思いました。
「父母が戦前在住」「祖父母が在住」という私のような住んだ経験はない世代から、その次の世代のメンバーの参加も目立ち、参加者の年齢の幅が広かったこともこの集いが、「世代の壁を越えて、硫黄島島民であること。硫黄島は人が住んでいた島だったことを、皆で共有して、いつまでも伝え思いを一緒にしていこう。」という観点からも、素晴らしいことだったと思います。
来年の9月第二日曜日に同じ会場で開催されることが発表され、散会となりました。参加できた充実感が大きかった今年の「硫黄島島民の集い」でした。