田舎の喫茶店の片隅で広大な夢を語っているオバサンがいます。
22年前もそうでした。
福岡の喫茶店の片隅でヒーリングオフィスをやっていたときに、竹村会のメンバーの西川社長、千鳥饅頭社長,笑顔共和国の福田純子さん達と竹村健一先生がヒーリングに来られたときに、竹村先生に「私は世界へ出ます!」と言ってしまったことがありました。
福岡の田舎に住んでいて、東京も知らない‘オバサン‘がいうことのにデカさ先生はビックリされたそうです。その後「でも本当に貴女は東京に来て、世界に出て行きましたね」と。
その後も時折り何かあるときに、ラジオや本などで、私のエピソードを話されたりしてくださっています。
今の変わっていないようです。
アナーバーのJAPON COFFE片隅の喫茶店で初めて会った青年に広大な夢を語りました。
日本語の通訳をオーナーの美代子さんにご紹介していただきました。
アダムは22歳の学生、九州大学に1年間、日本語の留学生として学んだそうです。
箱崎に住んでいたとかで、福岡出身の私はすぐにこのアメリカ人にしては小柄な青年を気に入りました。
どうなるかは分かりませんが、人の縁を大切にしないと大きな仕事は出来ません。
アメリカでも同じことです。
全力を尽くして、紹介いただいたひとに接することが大切なことを経験から学びました。
22年前もそうでした。
福岡の喫茶店の片隅でヒーリングオフィスをやっていたときに、竹村会のメンバーの西川社長、千鳥饅頭社長,笑顔共和国の福田純子さん達と竹村健一先生がヒーリングに来られたときに、竹村先生に「私は世界へ出ます!」と言ってしまったことがありました。
福岡の田舎に住んでいて、東京も知らない‘オバサン‘がいうことのにデカさ先生はビックリされたそうです。その後「でも本当に貴女は東京に来て、世界に出て行きましたね」と。
その後も時折り何かあるときに、ラジオや本などで、私のエピソードを話されたりしてくださっています。
今の変わっていないようです。
アナーバーのJAPON COFFE片隅の喫茶店で初めて会った青年に広大な夢を語りました。
日本語の通訳をオーナーの美代子さんにご紹介していただきました。
アダムは22歳の学生、九州大学に1年間、日本語の留学生として学んだそうです。
箱崎に住んでいたとかで、福岡出身の私はすぐにこのアメリカ人にしては小柄な青年を気に入りました。
どうなるかは分かりませんが、人の縁を大切にしないと大きな仕事は出来ません。
アメリカでも同じことです。
全力を尽くして、紹介いただいたひとに接することが大切なことを経験から学びました。