私が「寝ても覚めても・・・」と枕詞をつけるほど入れ込んでいるサッカー(文化)ですが、ほかに「寝ても覚めても」というぐらいなのが「富士山好き」と「幕末維新好き」です。
ですから、今年のように明治維新150年であり、大河ドラマが「西郷どん」のように幕末維新ものが話題になる年は、退屈しない年とも言えます。
これまで長い年月、学校の勉強に始まり書物、テレビ、展覧会など、さまざまな機会に幕末維新の偉人たちのことを学んだつもりですが、まだまだ知らない偉人たちが多いことを、今更ながら感じます。
昨夜、NHK総合で「歴史秘話ヒストリア」という番組を見ました。テーマは「西郷隆盛の二人の上司」、幕末の薩摩藩の中心人物、島津久光ともう一人をとりあげていました。もう一人、桂久武という人のことは、初めて知りました。
ここでは、桂久武という人がテーマではないので、細かいことは別の機会に譲ります。私のイメージが変わったのは島津久光です。
これまで、西郷隆盛が「あなたのような田舎者は・・・・」と藩主以上の権力者・島津久光に向かって言い放ったり、逆に久光が西郷隆盛を島流し処分にしたり、不倶戴天の関係のように思っていた二人が、この番組では「西郷を厳しく育てた冷静な上司・久光」という視点で描かれていました。
そして、明治に入り島津藩を失って、一介の市井人となった島津久光が、黙々と取り組んだ事として歴史編纂の偉業を紹介していました。
私は、このことに惹かれました。権勢の座から滑り落ちた人間が、その後もしっかりと自分を律して何かに没頭し続けることは並大抵のことではありません。
ましてや、私などは別に滑り落ちるほどの権力も地位も手にしていませんので、自律を保つことは、さほど難しいことではありません。
問題は、島津久光候のセカンドライフのように、黙々と何事かに打ち込み続ける志があるのかどうかという点です。
島津久光候の編纂した歴史書は、地元の博物館に伝承されています。これからも連綿と受け継がれていくことでしょう。やはり書物に記録し残す作業に勝る伝承方法はないのではないかと気づかされます。
「サッカー文化フォーラム」主宰者として、日本のサッカー文化を克明に記録して100年先まで伝え引き継ぐということを、自らの生涯の務めと決めている私としては、これまで時代の要請である映像・画像を中心に記録を残す、記録保存の媒体もハードディスクなどだけを意識していました。
けれども、やはり文字を書き起こして書籍などにするという、古典的ではあるけれど、普遍的な方法で記録を残すことこそ大切なのではないかと再認識させられたのです。
もちろん映像・画像などの記録も必須です。要するに書物と映像・画像が相互に関係性をもって記録されればいいのではないでしょうか。
書物といっても、これからは電子書籍にすればいいわけで、そのある部分の書きぶりを映像で確かめられるよう、映像にリンクを張ってあり、クリックすれば映像を見られるといった作り方です。
これまで私は、インターネット上での公開ということにこだわって、動画も「you tube」に乗せることに腐心してきましたが、ネットに公開するという場合には必ず「権利の許諾」という壁にぶちあたってきました。
まずはclosedで文章も動画も画像も使いたいものは全て使って歴史書を作り上げること、そのことを最優先に、命ある限り黙々と続けたいと思います。
これが幕末の偉人から学んだ「サッカー文化」伝承子のこれからの生き方です。
私が「何をやりたい人間なのか」、たまたまこのブログを訪ねていただいた方には、わかりにくかったと思いますので、次の日の書き込みに飛んで読んでいただければ幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/jsicfoot/m/201305
これは、いまから5年前、2013年5月のページですが、その中の5月21日の書き込みをご覧ください。タイトルが「HDD化作業、900本達成です。年間1000本が目前です。」となっています。
ここをお読みいただくと、この伝承子が何をしようとしているのか、少しはおわかりいただけると思います。
ちょうど、その日の書き込みには「あと5年程度のうちには、いろいろなことを進めて、形にしていきたいと思っています。」とあります。
5年たった今、なかなか形になっていないことを嘆くばかりですが、下を向いてばかりはいられません。昨夜見た幕末偉人の業績に少しでも感化され、生涯をかけていくことを誓うばかりです。
では、よろしくお願いいたします。
ですから、今年のように明治維新150年であり、大河ドラマが「西郷どん」のように幕末維新ものが話題になる年は、退屈しない年とも言えます。
これまで長い年月、学校の勉強に始まり書物、テレビ、展覧会など、さまざまな機会に幕末維新の偉人たちのことを学んだつもりですが、まだまだ知らない偉人たちが多いことを、今更ながら感じます。
昨夜、NHK総合で「歴史秘話ヒストリア」という番組を見ました。テーマは「西郷隆盛の二人の上司」、幕末の薩摩藩の中心人物、島津久光ともう一人をとりあげていました。もう一人、桂久武という人のことは、初めて知りました。
ここでは、桂久武という人がテーマではないので、細かいことは別の機会に譲ります。私のイメージが変わったのは島津久光です。
これまで、西郷隆盛が「あなたのような田舎者は・・・・」と藩主以上の権力者・島津久光に向かって言い放ったり、逆に久光が西郷隆盛を島流し処分にしたり、不倶戴天の関係のように思っていた二人が、この番組では「西郷を厳しく育てた冷静な上司・久光」という視点で描かれていました。
そして、明治に入り島津藩を失って、一介の市井人となった島津久光が、黙々と取り組んだ事として歴史編纂の偉業を紹介していました。
私は、このことに惹かれました。権勢の座から滑り落ちた人間が、その後もしっかりと自分を律して何かに没頭し続けることは並大抵のことではありません。
ましてや、私などは別に滑り落ちるほどの権力も地位も手にしていませんので、自律を保つことは、さほど難しいことではありません。
問題は、島津久光候のセカンドライフのように、黙々と何事かに打ち込み続ける志があるのかどうかという点です。
島津久光候の編纂した歴史書は、地元の博物館に伝承されています。これからも連綿と受け継がれていくことでしょう。やはり書物に記録し残す作業に勝る伝承方法はないのではないかと気づかされます。
「サッカー文化フォーラム」主宰者として、日本のサッカー文化を克明に記録して100年先まで伝え引き継ぐということを、自らの生涯の務めと決めている私としては、これまで時代の要請である映像・画像を中心に記録を残す、記録保存の媒体もハードディスクなどだけを意識していました。
けれども、やはり文字を書き起こして書籍などにするという、古典的ではあるけれど、普遍的な方法で記録を残すことこそ大切なのではないかと再認識させられたのです。
もちろん映像・画像などの記録も必須です。要するに書物と映像・画像が相互に関係性をもって記録されればいいのではないでしょうか。
書物といっても、これからは電子書籍にすればいいわけで、そのある部分の書きぶりを映像で確かめられるよう、映像にリンクを張ってあり、クリックすれば映像を見られるといった作り方です。
これまで私は、インターネット上での公開ということにこだわって、動画も「you tube」に乗せることに腐心してきましたが、ネットに公開するという場合には必ず「権利の許諾」という壁にぶちあたってきました。
まずはclosedで文章も動画も画像も使いたいものは全て使って歴史書を作り上げること、そのことを最優先に、命ある限り黙々と続けたいと思います。
これが幕末の偉人から学んだ「サッカー文化」伝承子のこれからの生き方です。
私が「何をやりたい人間なのか」、たまたまこのブログを訪ねていただいた方には、わかりにくかったと思いますので、次の日の書き込みに飛んで読んでいただければ幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/jsicfoot/m/201305
これは、いまから5年前、2013年5月のページですが、その中の5月21日の書き込みをご覧ください。タイトルが「HDD化作業、900本達成です。年間1000本が目前です。」となっています。
ここをお読みいただくと、この伝承子が何をしようとしているのか、少しはおわかりいただけると思います。
ちょうど、その日の書き込みには「あと5年程度のうちには、いろいろなことを進めて、形にしていきたいと思っています。」とあります。
5年たった今、なかなか形になっていないことを嘆くばかりですが、下を向いてばかりはいられません。昨夜見た幕末偉人の業績に少しでも感化され、生涯をかけていくことを誓うばかりです。
では、よろしくお願いいたします。