今日も静岡出張のため移動中です。またipadで書き込んでいます。
そして今日まさにJリーグ25周年の記念日です。社会的にも結構特別な日ですが、私にとっても誕生日に匹敵するぐらいの特別な日です。
「そうか、25年続けてきたんだ」と感慨をもって迎えるにふさわしい日なのです。
ネットにはNumber webサイトによる「5月15日 25歳になるJリーグへ 今こそ伝えておきたい誕生前史」という記事も見られます。
今日を挟んで、いろいろな企画記事で賑わうことと思います。
私の役目も、Jリーグのスタートを契機に日本に芽生え、育ち、揺るぎない文化の一つとして根づいた「サッカー文化」を、克明にそして余すところなく記録して100年先まで語り継ぐ、しかも、ただ語り継ぐだけではなく、あたかも、その場面に居合わせているような、色あせない記録として保存、継承することにあります。
そして、私の25年は、リーグ戦に先がけてカップ戦が始まった1992年から、DZ A Nへの移行によりテレビ電波でのJリーグ全試合放送が終了した2017年までと考えています。
Jリーグの全試合収録というベースの作業があればこそ、サッカー専門誌の収蔵、スポーツ紙の収蔵そしてサッカー関連番組の収録といった作業も活きるのであって、インターネット配信への移行は、好むと好まざると、一つの時代の終焉、一つの役割の終了を意味します。
その間25年と言えるだけでも幸せなのかも知れません。
では、具体的にどのような形で、それを100年先まで伝えるのか。
ごく最近まで私は、超長期的な将来にわたって、それを楽しみたいという欲求に耐えられる記録ということを考えれば、動画であり、インターネット上の記録しかあり得ないと考えていたのですが、いまは、極めて古典的な書物、つまり文字をベースにした記録のほうが普遍的なのではないかと思い始めています。
書物を読む、文字を読むことで、未来の読者が19××年のあの日の出来事に想像の翼を広げる、20××年の日本中を巻き込んだ、あの熱狂にタイムスリップしたかのような臨場感を味わう、その醍醐味を大切にしたいと考えるようになったのです。
書物にするというのは、素人には難しい作業ですが、いわゆる電子書籍の形にして動画や画像データとリンクさせながら、つまり新しいツールの手を借りながら作ればできるかも知れないと思います。
(最後の4行は、16日朝加筆して仕上げました。15日のうちにアクセスしてくださった方には、尻切れトンボの書き込みになって失礼しました)
今朝(16日)の産経新聞スポーツ欄では「Jリーグ25周年」と題して、いまも現役選手を続けている二人、三浦知良選手と伊東輝悦選手を紹介しています。
この二人しかいないという事実、この二人の選手だけが生き残っているというのも巡り合わせです。
三浦知良選手(カズ選手)の場合「Jリーグを象徴する選手」と評しても異論のないところですが、もし、伊東輝悦選手を「Jリーグを象徴する選手」と評した場合は、若干、異論があるかも知れません。
でも、三浦知良選手が「カズ」と呼ばれて通用するように、伊東輝悦選手も「テル」という愛称で通用する選手です。
テル選手は、1993年Jリーグ初年にプロ入りした選手という経歴だけではなく、小学生時代から「天才」「怪童」の名を欲しいままにした選手なのです。
彼の場合、元来がシャイなことから、スター性という点で一般の人々に浸透していませんが、その彼が、たった二人しかいない生き残り選手のうちの一人であれば、それはもう十二分に「Jリーグを象徴する選手」だと思います。
「Jリーグ25周年」という節目、いろいろな視点で語ることができるものですね。
では、また。
そして今日まさにJリーグ25周年の記念日です。社会的にも結構特別な日ですが、私にとっても誕生日に匹敵するぐらいの特別な日です。
「そうか、25年続けてきたんだ」と感慨をもって迎えるにふさわしい日なのです。
ネットにはNumber webサイトによる「5月15日 25歳になるJリーグへ 今こそ伝えておきたい誕生前史」という記事も見られます。
今日を挟んで、いろいろな企画記事で賑わうことと思います。
私の役目も、Jリーグのスタートを契機に日本に芽生え、育ち、揺るぎない文化の一つとして根づいた「サッカー文化」を、克明にそして余すところなく記録して100年先まで語り継ぐ、しかも、ただ語り継ぐだけではなく、あたかも、その場面に居合わせているような、色あせない記録として保存、継承することにあります。
そして、私の25年は、リーグ戦に先がけてカップ戦が始まった1992年から、DZ A Nへの移行によりテレビ電波でのJリーグ全試合放送が終了した2017年までと考えています。
Jリーグの全試合収録というベースの作業があればこそ、サッカー専門誌の収蔵、スポーツ紙の収蔵そしてサッカー関連番組の収録といった作業も活きるのであって、インターネット配信への移行は、好むと好まざると、一つの時代の終焉、一つの役割の終了を意味します。
その間25年と言えるだけでも幸せなのかも知れません。
では、具体的にどのような形で、それを100年先まで伝えるのか。
ごく最近まで私は、超長期的な将来にわたって、それを楽しみたいという欲求に耐えられる記録ということを考えれば、動画であり、インターネット上の記録しかあり得ないと考えていたのですが、いまは、極めて古典的な書物、つまり文字をベースにした記録のほうが普遍的なのではないかと思い始めています。
書物を読む、文字を読むことで、未来の読者が19××年のあの日の出来事に想像の翼を広げる、20××年の日本中を巻き込んだ、あの熱狂にタイムスリップしたかのような臨場感を味わう、その醍醐味を大切にしたいと考えるようになったのです。
書物にするというのは、素人には難しい作業ですが、いわゆる電子書籍の形にして動画や画像データとリンクさせながら、つまり新しいツールの手を借りながら作ればできるかも知れないと思います。
(最後の4行は、16日朝加筆して仕上げました。15日のうちにアクセスしてくださった方には、尻切れトンボの書き込みになって失礼しました)
今朝(16日)の産経新聞スポーツ欄では「Jリーグ25周年」と題して、いまも現役選手を続けている二人、三浦知良選手と伊東輝悦選手を紹介しています。
この二人しかいないという事実、この二人の選手だけが生き残っているというのも巡り合わせです。
三浦知良選手(カズ選手)の場合「Jリーグを象徴する選手」と評しても異論のないところですが、もし、伊東輝悦選手を「Jリーグを象徴する選手」と評した場合は、若干、異論があるかも知れません。
でも、三浦知良選手が「カズ」と呼ばれて通用するように、伊東輝悦選手も「テル」という愛称で通用する選手です。
テル選手は、1993年Jリーグ初年にプロ入りした選手という経歴だけではなく、小学生時代から「天才」「怪童」の名を欲しいままにした選手なのです。
彼の場合、元来がシャイなことから、スター性という点で一般の人々に浸透していませんが、その彼が、たった二人しかいない生き残り選手のうちの一人であれば、それはもう十二分に「Jリーグを象徴する選手」だと思います。
「Jリーグ25周年」という節目、いろいろな視点で語ることができるものですね。
では、また。