「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

日本選手の欧州サッカー挑戦、これまでと、この先(2)

2018年09月26日 17時55分01秒 | サッカー選手応援
今回のタイトル、実は、ちょうど1年前、2017年9月14日付けの書き込みの続編ということになります。
なぜかといいますと、最新のN umber誌の特集が「越境フットボーラー欧州戦記」だからです。

この時期にこの企画を打ったのは、中田英寿選手のイタリアセリエAでの衝撃デビューから20年の節目だからだそうです。

N umber誌では、この通常版とは別に「中田英寿20年目のイタリア」という別冊を出しています。日本サッカー界不滅の偉業ともいえる欧州挑戦の成功者の足跡を辿るのにふさわしい企画です。

今回の通常版でも、中田英寿選手の偉大さをいまさらながら読み取ることができましたので、それについては、あらためて書き込みたいと思います。

このN umber誌では、中田英寿選手以後を紹介していますが、1年前の私の書き込みでは、Jリーグ以前とJリーグ以後という仕分け、例えていえば、紀元前と紀元後ということで、Jリーグ以後の欧州挑戦の流れを俯瞰して、さらには、今後、欧州で成功するということは、どういう姿なのかを予測してみました。

Jリーグスタート以後、ここまでの欧州挑戦の流れ、その意味合いといった点については、1年前に書き込んだ分析とN umber誌の視点は同じのようです。

そして、私は、今日、欧州サッカーで成功を収めたと評価されるためには、第一段階として、欧州4大リーグといわれるトップクラスのリーグであれば、まずプロビンチャといわれる地方の小クラブで実績を残し第二段階でビッグクラブに引き抜かれ、そこで堂々とレギュラーを張れる選手にならないといけないのでは、と書きました。

そして、スタートが必ずしもトップクラスのリーグでなくても、第二、第三ステップを踏んでビッグクラブに辿りつき、そこで活躍してもいいわけで、いわば、道のりが長いということです。

このことについて、今回のN umber誌の中で、スペイン在住10年になるというライターの豊福晋氏も、乾貴士選手が成功しつつある要因として「(欧州挑戦を)エイバルという田舎から静かに始めた彼のモデルは(成功の)ひとつの指針になるだろう」と書いています。

つまり、同じ中小クラブでも、バルセロナにあるエスパニョールのようなクラブではうまくいかない、という意味もあると思います。こういうクラブは、いろいろと騒がしいので、すぐ結果を求められ、余計なプレッシャーを背負ってしまう、ということだろうと思います。

このクラブを選んだ、西沢明訓選手、中村俊輔選手、当時は、なかなか、そこまでわからなかったと思います。そういう先人たちの経験が後に続く選手たちに学習効果をもたらしたということになります。(書き込み翌朝、訂正とお詫び 当初、城選手、大久保嘉人選手も所属と書きましたが、記憶違いでした。訂正してお詫びします)

さて、今回のN umber誌、欧州挑戦の最新の選手から堂安律選手と植田直通選手を選んで紹介しています。堂安選手などは、まさに20年前に生まれた選手だからのようです。
1年前の私の書き込みは、そのもっと先を考えていました。

バルセロナの下部組織にいた久保建英選手、レアルの下部組織にいる中井卓大選手をはじめとした、まだ十代の選手たちの10年後は、欧州にどのようなに挑戦して、どのような成功を手にするか、楽しみでなりません。

この書き込みを読んでくださった皆さん、せっかくですので、ぜひ2017年9月14日の書き込みも訪ねていただければと思います。

では、また。


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