2022年カタールW杯が終わり、もはやサッカーカレンダーは新シーズンに向かって歩み出しているようです。
26日(月)には川崎F・鬼木監督の続投が発表されました。そして昨日28日(水)には日本代表・森保監督の続投も発表されました。
当ブログは、鬼木監督の続投が発表されたのは、日本代表・森保監督の続投が固まったのを確認してのことだったと考えています。
スポーツ紙の報道には「他に元ドイツ代表監督のレーブ氏などをピックアップしていた」とだけ載っていて、鬼木監督の名もリストの中にあったのかどうか不明ですが、当ブログはカタール大会前から「もし森保監督が退任する場合には、国内の候補者として鬼木監督に勝る人はいない」という考えでした。
おそらく川崎Fサイドも「鬼木監督への代表監督オファー」の可能性を意識しながら、代表監督人選の行方を見守っていたと思います。
兎にも角にも来シーズンも川崎Fは鬼木監督が指揮をとります。
そうなったからには、今シーズン、残念ながら無冠に終わったタイトル、とりわけリーグ覇者のタイトル奪還に向けて、戦力を整えて欲しいものです。
当ブログが、あえて個別のクラブを名指しして応援するのは、川崎Fの活躍が、単に川崎Fだけではなく、Jリーグ全体にもたらす意味合いが大きいと考えているからです。
すなわち鹿島一強時代から、鹿島・川崎FがJリーグの双璧となる時代に向かって欲しいと願っているからです。Jリーグスタートから30年、鹿島は見事なまでのクラブ運営により、リーグ三大タイトル19冠という圧倒的な地位を築きました。
当ブログは、これまで何度も書いてきましたが、その鹿島と覇を競い合うクラブの存在なくしてJリーグの更なる進化・発展はないと考えてます。
それを川崎Fに期待するという意味です。
鹿島を追うクラブとして他に横浜M、G大阪がありますが、この2クラブへの期待感よりは川崎Fへの期待感が大きいものがあります。
理由は何かと問われれば、川崎Fが辿ってきたクラブの歴史が、それを可能にするのではないかという点です。
川崎Fが辿ってきたクラブの歴史には二つの特筆すべき点があると思います。
一つは「三大タイトルを賭けて戦うチーム力」を着実に積み上げてきた点
もう一つは、クラブ草創期に起きた、一人の選手の選手生命にかかわる危機に適切に対応できなかった反省から出発して、クラブとして「ゆるぎないクラブ運営力」を備えていこうとする連綿たる努力を続けてきた点です。
川崎Fというクラブは、その両面で、他のJリーグクラブの追随を許さない特筆すべきクラブだと感じています。
まず「三大タイトルを賭けて戦うチーム力」を着実に積み上げてきた点ですが、これは、多くの方がご存じのとおり、長い間「シルバーコレクター」と呼ばれるほど、強豪チームではあるもののタイトルは取れない期間を経て、2017年シーズンにリーグ初制覇を果たすと、堰を切ったようにタイトルを重ねるチームに変貌し、わずか5年のうちに8冠を獲得したチームです。
この、長い間のシルバーコレクター時代とその後の常勝軍団への変貌は、覇者の一つの形を持っていると感じているのです。
もう一つ「ゆるぎないクラブ運営力」の面で、当ブログは、長らく川崎Fに問いかけてきた問題があります。
それは、いわゆる「我那覇問題」といわれるものです。
2007年春、当時、川崎Fのエースストライカーだった我那覇和樹選手が「ドーピング疑惑」をかけられた問題です。
この問題は、最終的には国際スポーツ仲裁裁判所(CAS))まで持ち込まれた結果、我那覇選手が無実であることが証明された問題ですが、この時、我那覇選手は所属する川崎Fから十分な支援が得られず、私財を投じて孤独の戦いを続けるという苦難を味わいました。
この問題についてはサッカージャーナリストの木村元彦氏が2011年に「争うは本意ならねど」という著書を上梓されています。
当ブログは、この本を涙なしには読めませんでした。同時に、川崎Fというクラブは一体何をしていたのだろうか、という思いが、ずっと小さなとげのように心の中に突き刺さっていました。
この本の発行元である集英社のURLをお知らせしておきます。
http://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-745835-0
この問題から著書を読むまで10年以上の時が流れました。ですから当初の「川崎Fは一体何をしていたのだろうか」という思いから「川崎Fは我那覇問題を糧に進化したクラブになったのだろうか」という思いに変わりながら、クラブのありようを見ていました。
2019年というと、2017年のリーグ初タイトルから3年連続で三大タイトル獲得を果たし、すっかり強豪クラブになりつつある時期です。その時期だからこそ、どうしても「クラブとして、我那覇問題を乗り越えて、ゆるぎない運営力を備えたクラブになったのかどうか」確認したいと思い続けていました。
そして、最近になって、ようやく「川崎Fは我那覇問題を糧に大変な努力を連綿と積み重ね、いまやJリーグを代表する、あるいはJリーグをリードするクラブ運営力を持ったクラブだ」と確信できる出来事を知りました。
それは、今年、Jリーグチェアマンを勇退された村井前チェアマンが経済誌「プレジデント」誌のインタビューに応えて語った「中村憲剛選手に「Jリーグの努力は甘い」と言われ…村井チェアマンが厳しい言葉に深く感謝した理由」という記事で知ったものです。
それによりますと村井前チェアマンは、2016年9月「スポーツナビ」の企画で中村憲剛選手(元日本代表、川崎フロンターレ)と対談する機会があったそうです。
その席で中村憲剛選手がまるで挨拶がわりのように「チェアマンにぜひ伝えたいことがある」と切り出したそうです。
村井前チェアマンは軽い気持ちで「フロンターレは頑張ってるよね」と応じたら、中村憲剛選手は「誤解を恐れずに言うと、Jリーグの努力は甘いと思うんですよね」と続けたそうです。
さらに「Jリーグは(地域貢献活動を)一応やってはいるものの、非常に形式的なことに終始しているように見えるんです。生意気ながら、本気で体を張ってホームタウン活動をしている僕らの側からすれば、Jリーグがもっとアイデアを出してくれればと思うんですよね」と。
村井前チェアマンはこう感じたそうです。「憲剛選手たちには「チェアマンやリーグに言われようが言われまいが、俺たちはこうやるよ」っていう、自分の人生とか社会とかに対する強烈なオーナーシップを感じたんですよね。それが羨ましくもあり、「ああ俺は何をやってるんだろう」と思いました。」
それをインタビュアーのジャーナリスト・大西康之氏は「(中村憲剛選手そして彼のクラブである川崎Fは)自分の人生と社会に「圧倒的当事者意識」を持っている」と評しました。
村井前チェアマンは、2014年に就任してから、この対談の時期までには、まだ「Jリーグの社会貢献活動、Jリーグチームのホームタウン活動」というものに対する軸が定まっていなかったといいます。
ですから「正直に言うと「Jリーグにできることにも限度がある」とぼんやり考えていた時期だった。強烈なパンチを喰らい、目が覚める思いだった」そうです。
この村井前チェアマンと中村憲剛選手のやりとりのことを紹介している経済誌「プレジデント」誌のインタビューの部分のURLをお知らせしておきます。
https://president.jp/articles/-/63461?page=1
このエピソードを読んで、当ブログは「あぁ、川崎Fは10年以上も我那覇問題を乗り越えるために自問自答を続けながら、ひたすら地域貢献活動に打ち込んで来たんだ」そして「そのレベルはもはや地域貢献について司令塔となるべきJリーグチェアマンに対して、堂々と建言できるほどに進化していたんだ」と実感しました。
これほど強い地域とのつながりは「クラブのゆるぎない運営力」なくして生まれません。当ブログが10数年前の我那覇問題で川崎Fに対して抱いた疑念は晴れ、心に刺さっていた小さいトゲは見事に抜けました。
Jリーグ30年、かすかに残っていた心のわだかまりの一つが消え、晴れ晴れした気持ちになっています。
最後にもう一度繰り返します。川崎Fが辿ってきたクラブの歴史は「三大タイトルを賭けて戦うチーム力」の面と、「ゆるぎないクラブ運営力」の両面で特筆すべきクラブです。
それゆえに鹿島に並ぶ「Jリーグの双璧」と言われる実績を積み上げて欲しいと願うのです。
【ジャーナリストの木村元彦氏の著書「「争うは本意ならねど」」の上梓時期を2019年と記載していましたが、2011年でしたので、2023年1月28日訂正しました】
26日(月)には川崎F・鬼木監督の続投が発表されました。そして昨日28日(水)には日本代表・森保監督の続投も発表されました。
当ブログは、鬼木監督の続投が発表されたのは、日本代表・森保監督の続投が固まったのを確認してのことだったと考えています。
スポーツ紙の報道には「他に元ドイツ代表監督のレーブ氏などをピックアップしていた」とだけ載っていて、鬼木監督の名もリストの中にあったのかどうか不明ですが、当ブログはカタール大会前から「もし森保監督が退任する場合には、国内の候補者として鬼木監督に勝る人はいない」という考えでした。
おそらく川崎Fサイドも「鬼木監督への代表監督オファー」の可能性を意識しながら、代表監督人選の行方を見守っていたと思います。
兎にも角にも来シーズンも川崎Fは鬼木監督が指揮をとります。
そうなったからには、今シーズン、残念ながら無冠に終わったタイトル、とりわけリーグ覇者のタイトル奪還に向けて、戦力を整えて欲しいものです。
当ブログが、あえて個別のクラブを名指しして応援するのは、川崎Fの活躍が、単に川崎Fだけではなく、Jリーグ全体にもたらす意味合いが大きいと考えているからです。
すなわち鹿島一強時代から、鹿島・川崎FがJリーグの双璧となる時代に向かって欲しいと願っているからです。Jリーグスタートから30年、鹿島は見事なまでのクラブ運営により、リーグ三大タイトル19冠という圧倒的な地位を築きました。
当ブログは、これまで何度も書いてきましたが、その鹿島と覇を競い合うクラブの存在なくしてJリーグの更なる進化・発展はないと考えてます。
それを川崎Fに期待するという意味です。
鹿島を追うクラブとして他に横浜M、G大阪がありますが、この2クラブへの期待感よりは川崎Fへの期待感が大きいものがあります。
理由は何かと問われれば、川崎Fが辿ってきたクラブの歴史が、それを可能にするのではないかという点です。
川崎Fが辿ってきたクラブの歴史には二つの特筆すべき点があると思います。
一つは「三大タイトルを賭けて戦うチーム力」を着実に積み上げてきた点
もう一つは、クラブ草創期に起きた、一人の選手の選手生命にかかわる危機に適切に対応できなかった反省から出発して、クラブとして「ゆるぎないクラブ運営力」を備えていこうとする連綿たる努力を続けてきた点です。
川崎Fというクラブは、その両面で、他のJリーグクラブの追随を許さない特筆すべきクラブだと感じています。
まず「三大タイトルを賭けて戦うチーム力」を着実に積み上げてきた点ですが、これは、多くの方がご存じのとおり、長い間「シルバーコレクター」と呼ばれるほど、強豪チームではあるもののタイトルは取れない期間を経て、2017年シーズンにリーグ初制覇を果たすと、堰を切ったようにタイトルを重ねるチームに変貌し、わずか5年のうちに8冠を獲得したチームです。
この、長い間のシルバーコレクター時代とその後の常勝軍団への変貌は、覇者の一つの形を持っていると感じているのです。
もう一つ「ゆるぎないクラブ運営力」の面で、当ブログは、長らく川崎Fに問いかけてきた問題があります。
それは、いわゆる「我那覇問題」といわれるものです。
2007年春、当時、川崎Fのエースストライカーだった我那覇和樹選手が「ドーピング疑惑」をかけられた問題です。
この問題は、最終的には国際スポーツ仲裁裁判所(CAS))まで持ち込まれた結果、我那覇選手が無実であることが証明された問題ですが、この時、我那覇選手は所属する川崎Fから十分な支援が得られず、私財を投じて孤独の戦いを続けるという苦難を味わいました。
この問題についてはサッカージャーナリストの木村元彦氏が2011年に「争うは本意ならねど」という著書を上梓されています。
当ブログは、この本を涙なしには読めませんでした。同時に、川崎Fというクラブは一体何をしていたのだろうか、という思いが、ずっと小さなとげのように心の中に突き刺さっていました。
この本の発行元である集英社のURLをお知らせしておきます。
http://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-745835-0
この問題から著書を読むまで10年以上の時が流れました。ですから当初の「川崎Fは一体何をしていたのだろうか」という思いから「川崎Fは我那覇問題を糧に進化したクラブになったのだろうか」という思いに変わりながら、クラブのありようを見ていました。
2019年というと、2017年のリーグ初タイトルから3年連続で三大タイトル獲得を果たし、すっかり強豪クラブになりつつある時期です。その時期だからこそ、どうしても「クラブとして、我那覇問題を乗り越えて、ゆるぎない運営力を備えたクラブになったのかどうか」確認したいと思い続けていました。
そして、最近になって、ようやく「川崎Fは我那覇問題を糧に大変な努力を連綿と積み重ね、いまやJリーグを代表する、あるいはJリーグをリードするクラブ運営力を持ったクラブだ」と確信できる出来事を知りました。
それは、今年、Jリーグチェアマンを勇退された村井前チェアマンが経済誌「プレジデント」誌のインタビューに応えて語った「中村憲剛選手に「Jリーグの努力は甘い」と言われ…村井チェアマンが厳しい言葉に深く感謝した理由」という記事で知ったものです。
それによりますと村井前チェアマンは、2016年9月「スポーツナビ」の企画で中村憲剛選手(元日本代表、川崎フロンターレ)と対談する機会があったそうです。
その席で中村憲剛選手がまるで挨拶がわりのように「チェアマンにぜひ伝えたいことがある」と切り出したそうです。
村井前チェアマンは軽い気持ちで「フロンターレは頑張ってるよね」と応じたら、中村憲剛選手は「誤解を恐れずに言うと、Jリーグの努力は甘いと思うんですよね」と続けたそうです。
さらに「Jリーグは(地域貢献活動を)一応やってはいるものの、非常に形式的なことに終始しているように見えるんです。生意気ながら、本気で体を張ってホームタウン活動をしている僕らの側からすれば、Jリーグがもっとアイデアを出してくれればと思うんですよね」と。
村井前チェアマンはこう感じたそうです。「憲剛選手たちには「チェアマンやリーグに言われようが言われまいが、俺たちはこうやるよ」っていう、自分の人生とか社会とかに対する強烈なオーナーシップを感じたんですよね。それが羨ましくもあり、「ああ俺は何をやってるんだろう」と思いました。」
それをインタビュアーのジャーナリスト・大西康之氏は「(中村憲剛選手そして彼のクラブである川崎Fは)自分の人生と社会に「圧倒的当事者意識」を持っている」と評しました。
村井前チェアマンは、2014年に就任してから、この対談の時期までには、まだ「Jリーグの社会貢献活動、Jリーグチームのホームタウン活動」というものに対する軸が定まっていなかったといいます。
ですから「正直に言うと「Jリーグにできることにも限度がある」とぼんやり考えていた時期だった。強烈なパンチを喰らい、目が覚める思いだった」そうです。
この村井前チェアマンと中村憲剛選手のやりとりのことを紹介している経済誌「プレジデント」誌のインタビューの部分のURLをお知らせしておきます。
https://president.jp/articles/-/63461?page=1
このエピソードを読んで、当ブログは「あぁ、川崎Fは10年以上も我那覇問題を乗り越えるために自問自答を続けながら、ひたすら地域貢献活動に打ち込んで来たんだ」そして「そのレベルはもはや地域貢献について司令塔となるべきJリーグチェアマンに対して、堂々と建言できるほどに進化していたんだ」と実感しました。
これほど強い地域とのつながりは「クラブのゆるぎない運営力」なくして生まれません。当ブログが10数年前の我那覇問題で川崎Fに対して抱いた疑念は晴れ、心に刺さっていた小さいトゲは見事に抜けました。
Jリーグ30年、かすかに残っていた心のわだかまりの一つが消え、晴れ晴れした気持ちになっています。
最後にもう一度繰り返します。川崎Fが辿ってきたクラブの歴史は「三大タイトルを賭けて戦うチーム力」の面と、「ゆるぎないクラブ運営力」の両面で特筆すべきクラブです。
それゆえに鹿島に並ぶ「Jリーグの双璧」と言われる実績を積み上げて欲しいと願うのです。
【ジャーナリストの木村元彦氏の著書「「争うは本意ならねど」」の上梓時期を2019年と記載していましたが、2011年でしたので、2023年1月28日訂正しました】
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