JUNSKY blog 2015

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日本国憲法は先人の智慧の結晶-1

2006-03-06 18:09:10 | 憲法
1880年の婦人参政権!(1880年9月)
 明治維新から僅か十数年、土佐の片隅で婦人参政権が実現していたのを御存知だろうか?
 過日、高知旅行に赴いた際、「高知市立自由民権記念館」や「高知県立坂本龍馬記念館」を訪れたが、そこでの見聞は自由民権運動についての認識を新たにさせられた。これも初めて知ることの一つ。
 明治憲法(1889年)公布に先立つ、明治13年(1880年)6月、区町村会法に基づき土佐・上町・町会(町議会)では20歳以上の男女に選挙権・被選挙権がある町会規則を設定し、3ヶ月に亘る県令との闘争の結果、9月20日とうとう県令はこれを認める裁定をおこなった。その後、隣の小高坂村でも同様の内容を実現したのである。
 自由民権の理論家 植木枝盛はこれを称して「男女同権ハ南海ノ某一隅ヨリ始ル」と高知新聞に書いたという。
 おりしもこの年、立志社の同志によって自由民権運動の象徴的存在であった「愛国社」再興の第4会(大会)が開催され、「国会期成同盟」が愛国社とは別の団体として(いわゆる統一戦線のようなものか?)結成された。そしてこれを足掛かりに翌・明治14年(1881年)の「自由党」の結成に繋がって行く。
 そしてこれに前後する明治12年から14年にかけて植木枝盛の「東洋大日本国憲案」(岩波文庫所収:家永三郎解説)をはじめとする40以上(「自由民権記念館」の資料に記載されたものだけで)の民権派の憲法草案が提案された。欽定憲法の明治憲法とは違い、現憲法以上に民主主義的であるところもあり、これらの先人の智慧が日本国憲法にも生きて繋がっているといえる。アメリカ押し付け論を打ち破り、日本人民の宝である憲法を死守する砦ともいえよう。

ミュンヘン

2006-03-06 00:00:00 | 映画レビュー
ミュンヘン・オリンピックの選手村をテロリストが襲い選手団を人質に取り逃走途中の空港で殺害。
この人質殺害にいたる経過は、映画の進行に従って、主人公のフラッシュバックと言う形で徐々に説明され、映画終了間際に全貌が明らかになる。
主人公をチームリーダーとするテロリスト11人を暗殺する主人公も含み5名のプロジェクトチームが結成されるが、その道の凄腕のプロフェッショナルとは言い難い寄せ集め。
主人公は当初は戸惑いながらも残虐な殺害方法を次々と展開。
この映画のテーマである、「テロリストを暗殺しても『より過激な後継者』が次々と現れる。永久に暗殺をし続けるのか?」という問いは、11人のうち7人まで暗殺した映画の最終盤にならないと出てこない。
暗殺を指示したイスラエルモサドの幹部に「(暗殺するのではなく)逮捕して裁くべきだ」と主人公は言うが決裂。
この場面からすぐに、ミュンヘン事件の首謀者を含む9人まで暗殺されたと字幕が出て幕を閉じる。
その後、スタッフ・キャストのクレジットが一眠りできるほど長々と続いた。
午後8時からの上映であったが、聴衆10名ほど。