JUNSKY blog 2015

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沖縄 「慰霊の日」

2009-06-23 23:50:00 | 戦争と平和
2009年6月23日(火)

今日は、沖縄 「慰霊の日」だった。


    (写真は時事通信より)

しかし、知事や麻生首相の発言には、ガッカリした。

沖縄は、核兵器による攻撃を受けた訳ではないが、核兵器の所在や移動は常々言われていることである。

にも拘わらず、核兵器廃絶や大量破壊兵器禁止の声が上がらず、不発弾の処理に終始したのは自民党政権である以上は致し方ないことなのか?

麻生首相は、沖縄でも相変わらず間違った認識を得意げに披瀝したとの事!

先日の20日には、都議選の候補者を励まして、「惜敗を期して!」と演説したそうだが・・・あんた大丈夫?

麻生首相「都議選は惜敗を期して」 あいさつ言い間違え(朝日新聞) - goo ニュース  2009年6月20日(土)23:21

都議選に「惜敗を期す」?=「必勝」を言い間違え-麻生首相(時事通信) - goo ニュース  2009年6月20日(土)18:03


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戦後64年 慰霊の日 平和希求
  沖縄の使命 知事「今も不発弾の危険」
 


            西日本新聞 2009年6月23日(火)17:30

 沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」を迎えた。最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で、県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、遺族や麻生太郎首相ら約5000人が参列。日米合わせて20万人を超えた地上戦の犠牲者の冥福を祈った。

 沖縄では今年1月、戦時中の不発弾が爆発し、2人が負傷した。戦後64年がたっても県内の地中には不発弾が2300トンも眠り、処理に80年以上が必要とされる。麻生首相は、戦後処理の推進と平和の構築を誓った。

 23日は日本軍司令官の自決で沖縄戦の組織的戦闘が終結した日とされる。式典には河野洋平、江田五月衆参両院議長らも出席し、正午に全員で黙とう。遺族代表が追悼の言葉を述べ、仲井真弘多(ひろかず)知事が平和宣言で「戦後64年にもかかわらず沖縄には米軍基地が集中し、派生する事件・事故が絶えないばかりか今でも不発弾に県民は不安に感じている」とした上で「平和な未来を築いていくことが県民に課せられた大きな責務であり使命」と決意を語った。

 沖縄県南城市の大里北小6年、比屋根憲太君(11)が平和の詩を朗読した。

 就任後、初めて参列した麻生首相は基地問題に触れたが「県民の負担軽減に向け、地元の切実な声をうかがいながら全力を挙げて取り組む」と述べるにとどまった。

 県内外、国籍を問わず沖縄戦の戦没者などの名を刻む同公園の「平和の礎(いしじ)」には今年123人が加わり、総数24万856人。うち九州・山口出身者は1万6110人。

    ×      ×

 ●仲井真知事の平和宣言要旨

 私たちの愛する郷土沖縄は、先の大戦で史上まれに見る地上戦の場となり、私たちはこの悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の大切さという教訓を学んだ。

 戦後64年を経たにもかかわらず、依然として沖縄には広大な米軍基地が集中し、そこから派生する事件・事故が後を絶たないばかりか、今でも地中に残る不発弾に県民は危険にさらされている。県民の負担を軽減するため、日米両政府に対し基地の整理縮小や日米地位協定の見直しなどを粘り強く訴えるとともに、不発弾の早期処理についても政府と連携しながら取り組んでいく。

 沖縄戦の教訓を胸に刻み、平和を希求してやまない「沖縄のこころ」を礎に、世界の恒久平和を目指し沖縄の地で全力でまい進することを宣言する。


 ●麻生首相あいさつ要旨

 先の大戦で沖縄の地は国内最大の地上戦の場となり、20万人もの尊い命が失われた。県民の筆舌に尽くし難い苦難を思うとき、胸に迫りくる悲痛の念を禁じ得ない。

 今年1月、糸満市で不発弾事故が発生した。戦後64年を経た沖縄の地に、いまだ多くの不発弾が埋没していることを心に刻まなければならない。「不発弾等対策安全基金」を設置したところだが、引き続き不発弾対策を着実に推進する。

 また、米軍施設の集中は、県民の大きな負担になっている。負担軽減に向け、地元の切実な声を聴きながら全力を挙げて取り組む。

 今日の日本の平和と繁栄が、戦没者の尊い犠牲の上に築かれているということを、私は忘れたことはない。決して、再び戦争の惨禍を繰り返してはならない。

    ×      ×

 ●ワードBOX=沖縄戦

 国内最大の地上戦。太平洋戦争末期の1945年4月、米軍は沖縄県の慶良間諸島に続いて本島中部に上陸。艦砲射撃など、激しい攻撃を受けた日本軍は首里(那覇市)の司令部を放棄して本島南部へ撤退。自然の壕(ごう)に避難していた住民が巻き添えとなった。県民の4人に1人が死んだとされる。各地で日本軍による食料強奪や住民虐殺、住民の「集団自決」も起きた。米軍に占領された沖縄は1972年まで日本に復帰できず、在日米軍基地の75%が今もある。

=2009/06/23付 西日本新聞夕刊=
 


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