句郎 「家はみな杖に白髪の墓参」。元禄七年、芭蕉はこの句を詠んでいる。お盆の光景が瞼に浮かぶ。三百年前も今と同じような風景があったんだと身近に感じる句だよね。
華女 そうね。元禄七年というと芭蕉が薨った年じゃなかったかしら。
句郎 そうなんだ。元禄七年(1694)は芭蕉の晩年なんだ。
華女 確か故郷の伊賀上野に帰り、墓参した時の句なのかしらね。
句郎 そのようだよ。このとき芭蕉は若かった頃、一緒に生活したこともある女性、寿貞尼を追善する句を詠んでいる。「数ならぬ身となおもひそ玉祭り」とね。
華女 芭蕉は思いやりの深い人だったのね。
句郎 私などと自分を卑下することはないよ。あなたには本当にいろいろお世話になりました。ありがとうございました。そんな寿貞尼にたいする思いを詠んだ句がこの句なんじゃないかと思う。
華女 追善句のお手本ね。
句郎 そうなのかもしれない。亡くなった人を思う気持ちを詠んだ句が追善句というか、現在の忌日の句なのかもしれない。
華女 忌日は季語になっているわよ。時雨忌と言えば、芭蕉忌のことよ。
句郎 「芭蕉忌に蕎麦切打ん信濃流(しなのぶり)」と蕉門の一人、史邦(ふみくに)は芭蕉の三回忌に詠んでいるからね。
華女 史邦は信濃の蕎麦を打って、参会者とともにお蕎麦を食べて師匠、芭蕉を偲んだなのね。
句郎 芭蕉が亡くなった十月十一日に法要を行い、蕎麦を食べたというだけの句のようだよね。
華女 なんか、芭蕉への思いが詰まっている句とは言えないようにも思えるわね。
句郎 そうだよね。「うづくまる薬の下(もと)の寒さかな」という丈草の句には芭蕉への思いが籠っているよね。
華女 旅に病んだ芭蕉の枕元で詠まれた句なのかしら。
句郎 そのようだよ。十月十日、死の前日、芭蕉の枕元には看病の弟子たちが枕元を囲んでいた。そのとき、弟子たちはみな句を詠んだ。
華女 この丈草の句には心の奥底に沈んでいく寒さのようなものがあるわね。
句郎 この句は追善句だと言ったら間違っているような気がするとけれども芭蕉を思う気持ちの深さのようなものがあるよね。芭蕉が亡くなった後、丈草は義仲寺の無明庵で三年間一人で喪に服した。そんなことをした芭蕉の弟子は丈草だけだった。
華女 丈草の芭蕉への敬愛の念は深かったのね。
句郎 丈草は芭蕉の死後、「ゆりすわる小春の海や墓の前」という句を詠んでいる。この句には「言葉を超えた無言の悲しみ」があると長谷川櫂氏は言っている。芭蕉への思い、誠が芭蕉忌、時雨忌と言う言葉を季語にした力だと長谷川櫂氏は述べている。現代に生きる俳人たちにとって思いの丈の深い亡くなった人がいる一方寂れていく忌日がある。現代に生きる我々にとって思いの丈の深い言葉が季語というものなんだと長谷川櫂氏は主張している。仲間の一人が季語とはそのものの旬を表現した言葉と述べていた。ネギは一年中あるけれどもネギの旬は冬。冬の根深汁は実に美味しい。季語とは忌語である。