鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎 芭蕉
句郎 芭蕉が伊良湖崎で詠んだ「鷹一つ見つけてうれしいらご崎」という句は、芭蕉の名句の一つとして挙げられているみたい。
華女 あら、そうなの。どこが名句なのか。ピンとこないようにも感じるけれど。
句郎 でもね、現在、日本にある俳句結社の主宰者三百十二人の俳人が選んだ芭蕉の俳句百五十七句の中で「鷹一つ」の句は三十五位に選ばれている。
華女 かなり高得点の句ね。どこがいいのかしら。
句郎 どこなのかな。「鷹一つ」という上五の力強さのようなものに説得力があるのかもしれない。
華女 そうね。今一つ分からないわね。
句郎 「鷹一つ見つけて」という言葉から寒風を思わせるとも言っている。
華女 「鷹一羽でなく」、「鷹一つ」と言っているからなのっ。
句郎 そうかもしれないな。「一つ」という表現にはいろいろな意味が込められているのかもしれない。
華女 伊良湖崎で芭蕉が見たものはいろいろあったでしよう。その一つが鷹だったということなんでしよう。
句郎 そうなんだよ。鷹は芭蕉が伊良湖崎で見つけたものの一つだったんだ。
華女 だから鷹一羽と言わずに「鷹一つ」といったのかしら。
句郎 「一つ」という言葉には孤高というイメージを引き出す力があるように思うんだ。鷹は大空に舞う孤高の鳥でしょ。群れて飛ぶことはない。一羽で悠々と舞い、高い空から地上目がけて急襲する。誇り高く頭を上げて睨みつける。戦国武将の兜の紋章になるような鳥だよね。
華女 芭蕉の句の特徴は力強さにあるのかしらね。
句郎 そういわれると「五月雨をあつめて早し最上川」にしても力強い句だよね。
華女 蟄居中の愛弟子杜国を訪ねて伊良湖崎まで厳しい寒さの中、行ったわけよね。何か、強い思いがあったのよね。
句郎 芭蕉の衆道の相手では、という話があるくらいだからね。
華女 ホントなのかしら。
句郎 あり得る話だとは思うけれど。そう、杜国が蟄居に参っていないことに安心したんじゃないのかな。元気にしていた。発句を詠み、滅入っていなかった。それでこそ、杜国だと芭蕉は思った。芭蕉は杜国が元気にしている姿を見て、喜んだ。杜国は鷹のように誇り高く孤高の存在だ。鷹の姿に芭蕉は杜国の見た。伊良湖崎への旅は杜国を訪ねることがすべてだった。その願いがかなった。その願いを「一つ」という言葉で表現した。
華女 「鷹一つ」とは伊良湖崎への芭蕉の旅の願いがかなったということを表現しているの。
句郎 そうなんじゃないのかな。「鷹一つ見つけてうれしいらご崎」。「みつけてうれしいらご崎」という中七と、下五の語句は「鷹一つ」を修飾する言葉になっている。「鷹一羽」と詠むと芭蕉の気持ちが表現されない。だから、「鷹一つ」と詠んだ。「鷹一つ」とは、芭蕉の願いだった。その願いをかなえた喜びの句が「鷹一つみつけてうれしいらご崎」という句なのではないかと思うんだけれどね。だから俳人といわれている人はほとんど皆、この句を名句だと言う。