バナナの・・・その後。 2016年10月09日 | Weblog 欲張りな伊豆ボケ老人は、小さな楽しみのポケットを沢山用意すればと、春には春の楽しみ、夏には夏の楽しみ、秋には秋の楽しみ・・・と多種の果物などを植栽しているのだが、考えてみれば、楽しみも多ければ苦労や悲しみも同じ量だ。折角、結実したバナナも冬に向かってこの先のことはケセラセラだ。良寛さんの様に災難に遭うときは災難に遭え。死ぬとき死ね。と達観など到底出来ない。せめて、大難は小難に、小難を無難に・・・と、神頼みすることで、楽しみの秤の重しをほんの少しでも調整出来ればと甘い日々を送っている。
もののあわれ・・・日本人の感性の本質・・・か。 2016年10月09日 | Weblog 真夜中に咲き誇った一夜花、朝にはうなだれ哀れな姿に、世阿弥は嘯く、花の萎れたるかせ美しい・・・と。凡人の伊豆ボケ老人には深い真相など読み取れないが、小野小町ももののあわれをを歌う。花の色は移りにけりないたずらに、わが身世にふる眺めせしまに。・・・人生は短い。