今年は災害の年で始まり、政治不信、医療不信、宗教も教育も不信を払拭することはできなかった。 天道有や無しやと嘆いても伊豆ボケ老人には、如何することもできない。せめて自然の恵みだけは公平に・・・日はまた昇る。来年は明るく良い年で有ります様に・・・と念じることしかできない。
この季節になると少年時代のドンド焼きの行事を思い出す。伊豆ボケ老人の小学生時代にはナイフは何時もポケットの中にあった。当然指に傷を負ったこともある。ドンド焼きの竹伐りからオンべの組み立て、全て子供達だけでやってのけた。お蔭で、仮面作りの材料、その他のノミ、ノコギリ・・・と、いろいろな道具の使い方も・・・物作りには自分流の道具も考えださねば・・・しかし、伊豆ボケ老人は現在の子供の用にメールやパソコンなど思い通りには出来ない。ナイフも使えず紐も結べない子供達でも困る。文明は継承の断絶を止めることはできないのか。そして、人間はどこまで退化するのか。流れに任せるか・・・それとも・・・
お正月のお屠蘇を入れる孟宗竹の酒器づくりを朝から・・・昨年から猪口は真竹の利用を思いつき一手間楽になった。年の背のアクシデントが重なり、怠け者の伊豆ボケ老人は大助かりだった。お蔭で特大の酒器ができた。
朝の六時では足もとは明るい・・・が藪の中は暗く、目的の作業はできないので、倉庫の中を片づけ、電池ドライバーに充電し・・・準備万端と思いきやと、次の作業へ・・・一行一忘の伊豆ボケ老人、肝心なノコギリを忘れ・・・失敗の積み重ね、失敗は失敗の元・・・でまだまだ先は暗い。
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京都のゲームメイカーに努めている三男が帰省し、伊豆ボケ老人のデタラメなパソコン操作に呆れてかえっていた。不満を言いながら、機関銃の様な早業で指導を受けたのだが10のうち1つ判ればと伊豆ボケは伊豆ボケのペース・旧式の火縄銃で・・・