熱川温泉ぐらし

伊豆の自然と人とのふれあいを紹介するサイトです。

熱川温泉の歴史の概要・・・

2010年09月11日 | Weblog
熱川温泉の歴史の概要・・・、自然に湧いた元湯があり。江戸時代は奈良本地区の共同湯であった。明治時代の奈良本は養蚕が主体産業であり、明治の初期には、熱川温泉に三軒の旅館があり。館名は、清浄軒、川菊屋、湯本屋と歴史にある。火災や洪水で消滅した。現在の一番古い旅館は明治37年ごろに、つちやホテル〔現シーサイドホテル〕明治45年に二番目の福島屋が開業した。道路が出来るまでは海路が中心で、熱川の玄関口は、穴切港であった。昭和7年に奈良本・下田間に道路開通、昭和8年旧国道、伊東と下田間が開通した。熱川温泉場の商店一号は、岩崎商店。戦後には、温泉熱を利用した塩工場ができた。熱川温泉は大正末期までは、三軒の旅館が元湯に隣接していた。昭和6年にうめや食堂の脇の温泉堀に成功〔熱川の第一号の自噴源泉〕。昭和13年に国鉄伊東線が開通。交通事情と温泉の掘削の成功により、お客さんが増えた。昭和20年の旅館件数は9軒、収容人数は380名であった。現在は19軒、収容人数は約3500名、となる。

1949年、昭和24年キティ台風、昭和25年朝鮮動乱の特需景気
1957年、昭和33年バナナ・ワニ園開園、平成天皇陛下御成婚、狩野川台風9
月〔台風22号〕       
 1958年昭和34年稲取町と城東村合併 1961年、昭和36年 12月 第二の黒船と言われた、 伊豆急行開通、昭和37年八幡野~片瀬間開通、昭和42年稲取まで国道135号バイパス開通、昭和43年海岸堤防完成、この年からホテルの大型化が始まる
1969年、昭和44年  読売TV 細腕繁盛記放映、昭和48年オイルショック
1977年、昭和51年七月豪雨、白田海岸の崖崩れ〔20日間交通ストップ〕、昭和52年 昭和天皇・皇后行幸〔ワニ園〕、
1978年、昭和53年伊豆大島近海地震
1983年、昭和58年役場新庁舎落成
1986年、昭和61年大東館火災、伊豆大島三原山大噴火
1989年、昭和64年昭和天皇崩御、平成となる。
写真は昭和二十年代の熱川海岸です。

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