[5月31日]
★連日の日差しをはやす雨蛙/小口泰與
連日の夏日となった五月。雨がほしいのだろう。雨蛙がしきりに日差しをはやしている。(高橋正子)
[5月30日]
★薫風や思わぬとこへ来ておりぬ/小口泰與
かぐわしい風に誘われて、ついつい歩いてしまった。気づいてみれば、「思わぬところ」に来ている。「思わぬところ」は、場所のことでもあり、深く読めば、今の境遇のこととも読める。(高橋正子)
★遠出してタンポポ低くまた低く/迫田和代
「低くまた低く」と咲くタンポポに、はるか遠くまで来たという実感がある。低く、野に張り付くように咲くタンポポを足元にして、広やかな中に、また遠いところいることに、さびしさがある。(高橋正子)
★ほたるぶくろ朝の空気に膨らんで/古田敬二
ほたるぶくろのふっくらした花には、空気が満たされている。朝の空気が涼しそうで、詩ごころが湧く。(高橋正子)
[5月29日]
★擦り切れし絵筆いく本花は葉に/内山富佐子
擦り切れた絵筆から、水彩画や日本画のイメージが湧く。葉桜になったころ、水の冷たさから解き放されたころ、無性に絵が描きたくなるのではないだろうか。長年絵を描いてきた絵筆への愛着もひとしお。(高橋正子)
★卯の花のほろほろと落つ句碑の道/祝恵子
卯の花の白い花がほろほろと散っている道だからこそ、句碑が似合う。少し陰りのある道に咲く卯の花、北窓の文学と呼ばれる俳句。通じるものがある。(高橋正子)
[5月28日]
★青葉風雲の輪郭あきらかに/川名ますみ
なにもが生き生きと生命を謳歌している季節。青葉を風が吹き、雲さえも輪郭をくっきりとさせている。(高橋正子)
[5月27日]
★昇り藤見しより朝の遠まわり/小口泰與
昇り藤は、藤の花房を逆さにしたような姿をして、ルピナスとも呼ばれる。丈のある花で昇り藤の咲くころは、朝の散歩も楽しみだ。つい遠まわりをしたくなる。ちなみにフランクリンもルピナスが好きで、散歩のときは、ポケットに種を入れて、歩くところに撒いたそうだ。(高橋正子)
[5月26日]
★厨房に入るべし新じゃがいもを剥く/古田敬二
「男子厨房に入らず」を固辞する人は今はいないだろうが、新じゃがいもは、特に男料理にふさわしい材料と思う。「男子大いに厨房に入るべし」とご自分で育てたじゃがいもの皮を剥く敬二さんだ。(高橋正子)
[5月25日]
★不揃いの玉ねぎ土のまま吊るす/古田敬二
畑で収穫した作物は、不揃いが自然。また、自然とはそういうものだろうと思うが、畑から抜いて土のついたままの玉葱を吊るして保存する。それが、生き生きとしてありのままだ。(高橋正子)
★パンジーの残花摘みたりガラス器に/河野啓一
五月も末に。長く花を楽しませてくれたパンジーも茎が伸び、花の力も弱ってくる。しかし、健気にもまだ咲いている花があって、それを摘み取ってガラス器に飾ってみるとブーケのようにかわいい。花の最後の最後までを慈しみ楽しむ作者。(高橋正子)
[5月24日]
★学生の手話の車内や風薫る/桑本栄太郎
風薫るなか、学生の手話も弾んでいるのだろう。活発な手の動きが輝いて見える。風薫るよい季節なればこそ。(高橋正子)
[5月23日]
★草笛や心をこめた響きあり/迫田和代
草笛で吹く歌は、自分の心に大切にしている歌なのであろうから、鋭い音色のなかにも哀愁の響きがある。「心をこめた響き」となる。(高橋正子)
[5月22日]
★鳥取より来て甘夏を売りにけり/多田有花
甘夏は、産地の農家でなくても、栽培されているのだろう。見目が悪い方が甘いといわれる甘夏だ。関西に近い鳥取であるが山陰、鳥取の農家の作ともなれば、正直においしいと思われる。(高橋正子)
[5月21日]
★登校の子等の声透く若葉風/小口泰與
若葉を揺らす風の中を登校する子供たちの声は、「透く」という感覚がぴったり。明るく、無邪気な声が透明感をもって聞こえてくる。(高橋正子)
★筋肉のひかり夏服から伸びる/川名ますみ
夏服の袖から出た腕が目に眩しく映る。それが「筋肉のひかり」だ。「夏服から伸びる」の表現から、むしろ女性のしなやかな腕を想像する。(高橋正子)