[5月30日]
★せせらぎに沿いて風来る額の花/桑本栄太郎
せせらぎは、また風の通り道。せせらぎに沿って額の花が咲けば、額の花が風に揺れる。湿りがちな季節、せせらぎの音と風の涼しさが快い。(高橋正子)
[5月29日]
★あめんぼの水面(みなも)の沈む重さかな/谷口博望(満天星)
あめんぼの浮いている水面を見れば、わずかに凹んでいる。あめんぼの重さの分だけの沈みに、小さなあめんぼの重さが知れるというもの。(高橋正子)
[5月28日]
★翡翠色潰さず盛りて豆の飯/佃 康水
豆飯の緑は、「翡翠色」というほどきれいだ。その色を保って炊き上げるのも難しく、きれいに炊き上がったときは、大変うれしいものだ。まん丸い翡翠色をつぶさないように、茶碗に装う。目をも楽しませる豆飯は、季節感あふれる食だ。(高橋正子)
[5月27日]
★街の田の田水引きあり早苗待つ/河野啓一
街中に、開発されずに、まだ田んぼがまだ残っているところがある。田水が引いてあって、空を映して、静かに田植えを待つばかり。都会のオアシスのような田んぼだ。(高橋正子)
★森ゆけば紋黄揚羽がついてくる/多田有花
森の緑に美しい翅が際立つ紋黄揚羽蝶。その蝶が慕うように後をついてくる嬉しさ。人も蝶も同じ次元になれる森の自然の快さが素晴らしい。(高橋正子)
[5月26日]
★山羊の仔の産まれ青葉の触れ合いぬ/川名ますみ
句が表現するところは、「山羊の仔が生まれたので、青葉の枝と枝が、嬉しくて、喜び合っている。」だ。生まれたばかりの、真っ白い山羊の仔のかわいらしさがメルヘンとして詠まれている。「山羊の仔の生まれぬ青葉触れ合いて」とすれば、また別の意味になる。(高橋正子)
[5月25日]
★孫娘訪ね来れる花水木/河野啓一
「孫娘」と「花水木」との取り合わせとなったが、そこに命を見た。やや大げさではあるが、日常的なものとしての「命」で、嬉しい「命」である。(高橋信之)
[5月24日]
★晩鐘や楝の花の木の下で/満天星(谷口博望)
楝の花はごく薄い紫で、そして中心が濃い紫。大きく広がる葉蔭に咲く花は、優しいがさみし気。そんな花の感じが夕べの鐘の音と響きあっている。(高橋正子)
[5月23日]
★苜蓿の香りの原を大股に/古田敬二
苜蓿は、クローバー(白詰草)のことである。苜蓿の匂いを嗅ぐと、野の広やかさが実感できる。行く春を惜しみつつ、苜蓿の野原を大股で歩いた。(高橋正子)
[5月22日]
★薫風や音楽室のコーラスに/桑本栄太郎
「音楽室のコーラス」に少年少女たちの完璧とは言えないハーモニーの温かさ、清らかさを感じる。薫風の快さをコーラスの少年少女も喜んでいるだろう。(高橋正子)
[5月21日]
★大滝に揺れる箕面の若楓/河野啓一
箕面の大滝は、日本百名滝に数えられて、後藤夜半の「瀧の上に水現れて落ちにけり」はこの箕面の滝を詠んだもの。新緑の季節、滝の前では、若楓が滝の水が落ちるとき起こす風に揺れている。マイナスイオンに満たされて、清浄なさわやかさに心身が満たされる。(高橋正子)