3月20日(1句)
★種芋を植えし畝の曲がりおり/古田敬二
畝が曲がっている。畝に植えられたものが想像できる。小さな種ではなく、芋なのだ。だから、曲がってもそれが自然と思える。(高橋正子)
3月19日(2句)
★陽を受けてただひたすらに白き梅/多田有花
陽を受けた梅は、ただ日を返してひたすらに、自分の白さに専念している。ひたすらだが、あっさりとしている。(高橋正子)
★春の潮老いの歩幅のリズムかな/古田敬二
春の潮が打ち寄せる。波打ち際を散歩しているのか、老いた身が歩く歩幅ちょうどあったリズムなのだ。
打ち寄せる潮と一体になったような、なにか楽しさがある。(高橋正子)
3月18日(2句)
★春林や丸太小屋よりジャズ流る/小口泰與
丸太小屋、ログハウスというのか、春の林のなかから、ジャズが聞こえる。ジャズと丸太小屋。その人の趣味が知れる。生活を楽しんでいる人だな、と思う。(高橋正子)
★柔らかき草に落ちたり薮つばき/桑本栄太郎
椿が落ちたところが、柔らかい草の上。赤い藪椿が、またそこに新しく咲いたようだ。(高橋正子)
3月17日(2句)
★祖父からの万年筆や櫻の芽/小口泰與
櫻の芽と万年筆から思い出すのは、私世代では、高校や大学の入学祝で送られた万年筆である。作者も何らかのお祝いに祖父から贈られたものであろうかと思う。「父」でなく「祖父」というのが、代々その家に暮らす人の温かみが感じられて、万年筆の艶がしっとりしてくる。(高橋正子)
★山茱萸の満開伊吹遠景に/古田敬二
山茱萸が自生しているところからの眺めだろうか。満開の山茱萸のきれいな黄色が、遠くの伊吹嶺に映えて美しい景色を見せてくれている。いい景色を見ると心が洗われる。(高橋正子)
3月16日(2句)
★好日のいよよ濃きかな黄水仙/小口泰與
この句での「好日」は、「晴れて気持ちの良い平穏な日」と解釈したい。そんな日は、黄水仙がますます色濃く、晴れやかに思える。(高橋正子)
★早々と一輪光る桜かな/廣田洋一
早々と咲きだした桜。一輪だけに、そのみずみずしさ、初初しさは「光る」と言いたい花だ。小さなものを愛おしむ気持ちがやさしい。(高橋正子)
3月15日(2句)
★暖かし花芽の少し色付きて/廣田洋一
花の芽に少し色がついて、開くのが楽しみになってくる日だ。「暖かし」をつくづく思うことである。(高橋正子)
★春耕の土の香りやトラクター/桑本栄太郎
トラクターが鋤き起こしてゆく土からは、「土の香り」が立ち上がる。春の耕しに土も生き生きとしてきた。(高橋正子)
3月14日(2句)
★山裾の古刹の庭にふきのとう/多田有花
早春の山裾の古刹。ふきのとうが出て、古びたなかに、心落ち着く心やすさと感じる。親しきふきのとうだ。(高橋正子)
★登りきりそこから続く白木蓮/古田敬二
山を登り切った。そこからは見事な白木蓮の道が続いている。その白い花の美しさに圧倒される。(高橋正子)
3月13日(2句)
★ブランコの風を纏いぬ子供達/桑本栄太郎
ブランコを高く漕ぎあげると、風が生れて子供達に纏わる。洋服が体にピタッとくっつき、髪の毛が吹き上がる。ブランコで遊ぶたのしそうな子供たちの風景。(高橋正子)
★花は八重鈴なりに咲く椿かな/廣田洋一
「花は八重なんですよ。」「それが、鈴なりに咲いている椿なんですよ。」という俳句。椿の情趣も花の種類によってさまざま。この句は、豪華な八重椿。(高橋正子)
3月12日(1句)
★小さくも雛の在りし場寂しけり/廣田洋一
小さな雛を飾っていたのだが、雛を納めると、その場所が、さびしくなる。飾ってる間は雛のお顔と何気なく顔を合わせていたのかもしれない。雛の衣装の色も消えてしまった。(高橋正子)
3月11日(1句)
★木蓮やアンテナの向き皆おなじ/小口泰與
木蓮の咲くころ太陽はそれほど眩しくなく、つい、空を見る。屋根の高さほどの木蓮を見ると、どの家のアンテナも同じ向きを向いて、規則正しさが面白い。(高橋正子)