9月18日(2句)
★鰯雲夜空いっぱい泳ぎおり/多田有花
夜空にも雲の色が見えることがある。この日、鰯雲が夜空いっぱいに泳いでいた。ま昼間の続きの夜空の鰯雲。こんな光景を眺めて楽しくなる。(高橋正子)
★刈り残す畦の供花とや彼岸花/桑本栄太郎
畦草を刈りとるとき、彼岸花が刈り残された。畦の供花であるかのように。このように彼岸花を大切に思って詠んだ句は珍しい。(高橋正子)
9月17日(2句)
★雲いまだ生まれておらず秋高し/多田有花
秋の快晴の空だけを詠んだ句。雲が生きもののように思われていて、雲への親しみがある。ひとかけらの雲があってもよさほうだが、まだ生まれていないのだ。(高橋正子)
★すつきりと風の抜け行く刈田かな/桑本栄太郎
刈田となって、なににも邪魔されずに、田を風が抜けて行く。「すっきりと」が気持ちよい。(高橋正子)
9月16日(1句)
★さやけしや銀輪列の女子高生/桑本栄太郎
女子高生の数人が列をなして自転車の車輪を光らせて、銀輪を光らせて、走って来る。季節も爽やかだが、青春ただなかのういういしい女子高生の姿こそが爽やかなのだ。(高橋正子)
9月15日(1句)
★十五夜の明けて雲なき快晴に/多田有花
きれいな十五夜が明けて、翌日は、雲のひとつもない快晴の天気に恵まれた。きのうの十五夜の続きの空が、こんなにもきれいな快晴になるとは、まだ気持ちのなかには十五夜の月が残っている。(高橋正子)
9月14日(2句)
★コスモスの露天風呂へとなだれ咲く/小口泰與
露天風呂の傍にコスモスが咲き、露天風呂へと雪崩れている。コスモスに囲まれた湯は柔らかい湯であろうと思う。(高橋正子)
★まっすぐな道の両側豊の秋/多田有花
稲田の中にまっすぐな道が通るのは、そこが広い田である必要がある。そのことから、広い稔り田が道の両脇に広がる風景が想像できる。豊かに稲が実り、豊の秋が肌に触れて感じられるような句だ。(高橋正子)
9月13日(1句)
★驚きぬ苅田の鳶の大きさに/多田有花
高く輪を描きながら滑空する鳶はよく目にする。鎌倉あたりに行くと鳶の多さに驚き、たまに、下りてきているが、羽ばたきをしようものなら、少し怖いくらいの大きさになる。苅田に下りた鳶のまさかの大きさに驚いたことだ。(高橋正子)
9月12日(2句)
★赤々と鶏頭燃えている畑/多田有花
鶏頭が燃えているのが、庭や花壇ではなく、畑というのが面白い。農家では、花壇を特に作らず、畑の隅に咲かせているのをたまに見かける。鶏頭を咲かせた人の健康的な「花こころ」とでも言うものが偲ばれてゆかしい。(高橋正子)
★渚にて白き石踏む秋の潮/廣田洋一
秋はしらしらと淋しく、白がよく似合う。秋の潮が打ち返す渚を歩き、きれいに洗われた白い石を踏む。
心持も、秋潮に踏む白い石の感覚に似通う。(高橋正子)
9月11日(2句)
★水の秋大歩危小歩危巡る旅/廣田洋一
大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)は、2億年の時を経て四国山地を横切る吉野川の激流によって創られた約8kmにわたる渓谷。吉野川の中流にあたるが、流れの水は、渓谷の美しさを引き立てて、「水の秋」が堪能できる。(高橋正子)
★快晴にまず刈られたる田一枚/多田有花
稲にいつ鎌を入れるかは、経験による判断が必要なのだろう。快晴の日、まだ葉に緑が残る田が一枚刈られた。手始めの、田が刈られ、いよいよ稲刈りの季節だ。(高橋正子)