鴨着く島

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「沖縄慰霊の日」(平和祈念式典2023)

2023-06-24 09:41:55 | 専守防衛力を有する永世中立国
太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍の沖縄根拠地総司令官・牛島中将らが自決したことにより、戦闘終結を迎えたのが1945年の6月23日のことだった。

あれから78年が経ち、当時のことを生々しく覚えている人々が年ごとに減っていくが、「語り部」の新たな継承者や当時の映像などでその悲惨さが後世に伝えられていくことは間違いないところだ。

今年も摩文仁の丘には多くの参列者と一般市民が集ったが、メディアで盛んに報じられるように、台湾有事に向けて沖縄からさらに南西に位置する島々への自衛隊基地とそれに付属する建物がどんどん造られて行く状況を危惧している参加者の声が多い。

以前から、南西諸島にも自衛隊基地が欲しい――という地元の人たちはいたのだが、それはあくまでも「自衛隊がいれば、敵も島を攻撃したり、上陸したりはできず、歯止めになる」という、安心安全のための専守防衛的な考えで自衛隊基地の配置を望んだわけだった。

それが最近の「攻撃ミサイル・迎撃ミサイルの配備」「弾薬庫の拡張」という性急な流れは、そんな人たちにも危惧の感をもたらしている。特に攻撃型のミサイルの配備は専守防衛を逸脱するのではないかと思うのも無理からぬことだ。

しかもその配備の目的が実に具体的である。中国共産党の政府軍による台湾解放(という名の侵攻)を見据えてというものだ。

アメリカは1979年に前年に結んだ米中共同宣言(中華人民共和国を唯一の中国政府とする内容)によって、台湾から軍隊を引き揚げたが、その後は「台湾関係法」を制定して台湾への武器の売却や、沖縄米軍による中共への牽制を持続している。

しかし中国による台湾解放が武力でなされた場合、それを阻止するための国連関係法規は無いのが実情である。国連に加盟していない台湾への国連軍の派遣は不可能だし、もし国連で取り上げても常任理事国である中国が拒否権を発動するだろう(間違いなくロシアも)。

そうなったら中国のやりたい放題という形だが、優秀な通常兵器を保持している台湾軍がやられっぱなしとはならず、むしろ福建や広州の経済特区地域は台湾軍によって破壊される可能性が高い。中国がそれらの経済の屋台骨を失ったら、台湾侵攻の利益よりも失う物の方がはるかに大きい。

しかも中国は世界のほとんどの「友好国」から離反されるだろうから、台湾侵攻は文字通り「やぶ蛇」に終わるに違いない。

いずれにせよ中国の台湾侵攻はあってはならず、日本は特に友好関係を積極的に維持していくべきだ。

今朝(24日)の新聞の2面に小さな記事だが、

<アメリカのバイデン大統領が岸田首相に、直接、軍事費の増大を説得したと言ったことに対して、松野官房長官がその誤認を指摘し、「防衛費の増額は日本自身の判断である」と向こうに異議を申し立てたところ納得された>(要旨)

というのがあった。

この防衛費の増額とは昨年の12月に岸田首相自らが語った「5年間で43兆円の増額」というものである。

私は当時これを取り上げたことがあった(ブログ「はじめに43兆円ありき」2022.12.17)が、これはバイデン大統領が直接要請したものではなく、当時のアメリカ国防省の高官が「中国の台湾への侵攻は2027年頃にはあるだろう」と言ったことへの忖度的な反応だったと思っている。2027年といえば2023年から数えて5年後で、これは「5年間で43兆円の増額」とどんぴしゃり合致する。

つまりバイデン大統領が直接言ったことではなく、国防省の高官の見通として述べられたことがそのまま日本の外務省に伝わり、防衛省と政府に伝えられたことへの忖度的な反応だった。けれどもバイデン大統領にも高官のその見通しは当然伝えられているだろうから、大統領が自ら語ったものではないにせよ、同じ考え方(日本への国防費増額要求)は共有していたのは間違いない。

「5年間で43兆円の増額」のうち43兆円という具体的な金額はたしかに松野官房長官の言うように政府が独自に算定したものだろうが、「5年間で」という期限はまさにアメリカ国防省の高官のアナウンスに同調した(忖度した)に違いない。

無し崩し的にアメリカの対中国敵視政策に同調して行く政府の政策に危惧を感じるのは私だけではあるまい。

日米安保あるが故のこの「同調圧力」と「忖度防衛」はいつまで続くのか。沖縄の米軍基地のはいつまで続くのか。

沖縄県民の安心と安全こそ「沖縄慰霊の日」のキーワードでなければなるまい。


ジョコ大統領の大きな配慮

2023-06-21 19:55:35 | 専守防衛力を有する永世中立国
天皇皇后両陛下が即位後初の外遊先としてインドネシアを訪問されている。

17日の土曜日に日本を発ち、23日までの6泊7日というこれまでにないご夫婦そろっての外遊である。

17日は天皇単独の地下鉄視察、翌18日は排水機場の視察――と日本の技術協力によって完成した現場を案内されていた。

ハイライトは19日に訪れた。前日18日夜にあの大戦でインドネシア独立義勇兵として戦った日本兵の子孫の人たちとお会いになり、翌日(19日)に訪れることになっている「カリバタ英雄墓地」では深くお祈りを捧げる旨を告げられたそうである。

事実、19日に献花をされたカリバタ英雄墓地では揃って2分間もの長い黙とうを捧げられた。

この英雄墓地にはインドネシア独立に貢献した数百名のインドネシア人の中に交じって、28名の日本人が祭られているという。

日本兵のうち、インドネシアのオランダの植民地支配からの解放に約1000人が参加しており、その内の約500名が死亡または行方不明になっているそうだ。

その日本兵の協力もあり、インドネシアは1947年9月16日に独立を果たした。

インドネシアは感謝を忘れていなかった。

同じ19日には大統領官邸であるボゴール宮殿で大統領主催の午餐会が開かれたのだが、その席で陛下及び大統領の言葉はなかった。

これは異例の事態で、普通、日本から天皇が他国に招かれた場合、このような公式の宴会の席では必ず天皇の「お言葉」があり、アジア諸国を訪れた際には「先の大戦ではご迷惑をおかけしました」と前置きするのが常であった。

ところが今回公式の席での「お言葉」はなく、19日の午前中に訪問された「植物園」とそれに続く「記念植樹」のあとに陛下がシナリオなしの口頭(即興)で挨拶をされたのだ。若者の交流により相互理解を深めたい――という趣旨の「お言葉」であった。

ジョコ大統領はハプニングが好きだそうで、植物園に向かう電動カートを自分で運転して両陛下を案内したが、これも異例であった。

ジョコ大統領としては、戦後生まれ(陛下は1960年、ジョコ大統領は1961年生まれ)で自分とは1学年しか違わない陛下に対して、「先の大戦ではご迷惑を・・・」などという挨拶は受け入れられなかったのだろう。

それどころか日本軍がインドネシアに上陸しなかったらオランダからの独立はなかったと思っているのだ。

実は1955年の4月に開催されたインドネシアの保養地バンドンで開かれた「アジア・アフリカ会議」が端的にそのことを表明していた。

この会議の趣旨は、第2次世界大戦前までアジア・アフリカの多くの国々が欧米の植民地であり、大戦後に独立を果たしたうち、インドネシア・インド・エジプト・中華人民共和国からスカルノ・ネルー・ナセル・周恩来という各国のそうそうたる指導者が集まり、一種の集団的自衛権(もう2度と欧米の植民地にはならない)を宣言することだった。

日本も招かれたのだが、日本からは外務省の審議官クラスが参加したのみであった。

情けないことだが、アメリカと安保を結んでいる手前、日本が戦前は植民地支配打破に向けた活動をしていたという「国際上の信義」はアメリカにとって受け入れられなかったがゆえに、それを忖度した外務省が日本からの指導者(首相)を送ることをためらったのだ。

今回、ジョコ大統領が陛下をインドネシア独立のために戦った日本兵を祭る「カリバタ英雄墓地」に真っ先に案内したのは、そのことへの反論だったと思われる。

「日本は我々の植民地支配からの独立を助けてくれたじゃないですか! 何でもかんでも謝るのは止めていただきたい。」

ジョコ大統領はこう言いたかったに違いない。ジョコ大統領のこの大きな配慮には感謝するほかない。



沖縄本土復帰の日(2023.5.15)

2023-05-16 20:49:58 | 専守防衛力を有する永世中立国
去年は戦後米国の施政権下にあった沖縄が本土に復帰してから50周年ということで、岸田首相以下本土から多数の要人が参加して記念式典が行われたが、今年は言わば「裏年」で、ニュースになることさえなかった。

その一方で、中国の海洋進出と台湾有事がクローズアップされ、防衛力増強の掛け声のもと沖縄の米軍基地縮小問題は棚上げされた形だ。

ロシアが旧連邦国ウクライナの東部4州への侵略を始めた去年の2月以降は、南西諸島(宮古・石垣・与那国・奄美)の自衛隊基地(駐屯地)において中国を睨んだ防衛装備の高度化が進められている。

自衛隊基地(駐屯地)の設置に大賛成だった地元先島の島民たちも、ミサイルの配備にはさすがに気もそぞろになっている。

ミサイルの配備は政府の言う「反撃能力の確保」(少し前までは「敵基地攻撃能力」と言ったが、この文言では「専守防衛」を標榜する自衛隊の在り方を逸脱する懸念があるという理由で変えられた)は、向こうが先にミサイルを撃ってきたら反撃する能力を持つことだが、そもそもそれほどの攻撃能力があるから、向こうから狙われるのではないか。

そんな懸念が自衛隊の存在を是としてきた島民たちの間に生まれつつある。政府側は「反撃能力の確保」は防衛力強化の一環との認識だが、現実にそのような高度な武器が使われれば島への危害の大きさは計り知れない。そう島民が思うのもむべなるかナである。

戦後沖縄に米軍基地が置かれ、それが恒久化されたのは、1949年の中国共産党政府の樹立の翌年1月にイギリスが共産党政府を承認してしまったことに端緒がある。アメリカは戦時中に日本軍と戦った蒋介石の中華民国を支援していた関係で、共産党政権を受け容れることはせず、その代わり、沖縄の基地を共産党政権への防波堤にしたのだ。

その直後の1950年6月には金日成主導の朝鮮戦争がはじまり、国連(多国籍)軍が出動したが、一時は半島がほぼ占領される勢いだった。その後盛り返した米軍主導の国連軍が北を押し返し、今日に続く休戦宣言のまま北緯38度線が南北朝鮮の境界となった。

その朝鮮戦争に中国共産党政府自身は政府軍つまり人民解放軍は送らなかったが、「義勇兵」という名の軍隊を送っている。

その軍隊としてのレベルは大したものではなかったようだが、とにかく朝鮮戦争で中国共産党政府は国連軍(中心は米軍)への宣戦布告は出さずに済んでいる。

戦後の一大確執は米ソ間にあり、冷戦が始まった。その大きな確執を前にすると中国の存在感は微々たるものだった。ところが1971年に共産党政府が国連に加盟すると、国連安保理の常任理事国であった中華民国(台湾政府)は国連から脱退を余儀なくされた。そのポストに就いたのが中国共産党政府であった。

沖縄の本土復帰と中国共産党政府の国連加盟がわずか1年の差で行われたというわけだが、中国共産党政府の国連加盟と安全保障理事会の常任理事国就任は今日からすると時期尚早もいいところだったが、米英仏ソはそれを承認したのであった。

アメリカからすれば中国が国連という国際組織に参加すれば「竹のカーテン」と呼ばれていた中国内部の極秘情報がよく分かるようになる――というような期待を抱き、あまつさえ一党独裁の国から民主的な国家へ転換していくというような期待を持ったのだろう。

ところがあに計らんや、中国は「開放政策」(鄧小平)をスローガンとして先進国の投資と技術はどんどん取り入れたが、結局のところ「経済は経済、政治は政治」を頑なに演じ切り、経済力では2010年に日本を抜き、今や米国に追い付かんばかりの発展を遂げてしまった。

アメリカにしてみれば面白くない状況だ。せっかく52年前に貧困な共産国でありながら国連に加盟させ、常任理事国に据えてやり、その後はどんどん投資を行い、経済発展に弾みをつけてやったのに、何だって偉そうに・・・。

アメリカが世界の警察官よろしくベトナム・イラク・アフガニスタンなどへ軍事的コミットをしている間にせっせと経済力をつけまくり、すべての道はローマへをならった「一帯一路」政策を掲げて、世界中の国へ経済的コミットを深めている。

「台湾有事問題」の根底にあるのは、米中の覇権的な対立だろう。

万が一有事となったら、従来の日米安保の解釈なら、日本の自衛隊は日本の国土内だけの「専守防衛」で済んだのだが、安全保障法案によれば、米軍の指揮下に入ることになる。要するに米軍の先兵としてのハタラキをすることになる。

アメリカと中国との覇権的な対立に日本がいやおうなしに介入する、あるいはさせられる懸念が非常に強い。それも日米安保のしからしむるところだ。

そもそも二国間の軍事同盟は戦後の国連憲章では否定され、すべからく集団的な、同志国的な国家間の協議の上で解決を図るのが筋になっている。

日米安保はその点に非がある。前大統領のトランプは「アメリカは日本がやられたら助けに行くのに、アメリカがやられても日本は助けに来ない。こんな不平等な条約があるか!」と吼えていたが、たしかに正論だ。二国間の軍事同盟ならまさにそういうことだ。

だが、米中の対立に日本が加担することは、日本が中国を完全な敵にまわすことが前提である。日本にとって中国は100パーセントの敵だろうか?

日米安保に引きずられて、日本が中国と戦う可能性があるとすれば馬鹿げている。日米安保の存在意義そのものを今一度考えるべきだ。日本が日本らしい王道(恒久平和の道)を行くためにも。


長崎は米国の鬼門

2023-05-14 15:39:46 | 専守防衛力を有する永世中立国
G7(先進7か国首脳会議)の前座(?)である財務・外交・農業など各国のそれぞれの大臣たちが来日し、日本各地で会議を行った(近県では宮崎市で農相会議が開かれている)。

あとは広島での最高首脳会議を残すのみとなった。広島に首脳を招いて岸田首相がどんな「非核の訴え」を出すか見ものである。

ところで長崎では各国の保健相による会議が開催されている。おそらく新型コロナに関する対策などが中心に話し合われたと思うが、参加した保健相たちは揃って長崎平和祈念公園に赴き、原爆慰霊像の前に花束を手向けたという。

この中にアメリカからの保健相がいただろうと思われるが、詳細は知らされていない。

アメリカの政府要人クラスで長崎を訪れたのは、約10年前にオバマ大統領政権下で米国日本大使になったあのケネディの娘キャロライン・ケネディだけである。毎年行われる8月9日の長崎原爆慰霊の日の式典にアメリカ側からは領事館員クラスの参列はあったが、政府クラスではキャロライン・ケネディが最初にして最後だったと思う。

7年前の5月にバラク・オバマ氏がアメリカ大統領として初めて広島の地を訪れ、慰霊碑の前で献花したのは記憶に新しいが、そのオバマ氏にしてからが長崎は訪問していない。

オバマ大統領はヘリコプターで広島まで来ているが、それなら長崎まではあと1時間程度のフライトだったにもかかわらずだ。

何故だろうか?

そこにはアメリカなりの理由がある。理由はたった一つである。

一般市民が暮らすその頭上に原爆(長崎の場合はプルトニウム型)を落とすということはそもそも戦時国際法上でも認められることではないのだが、長崎の場合、真下(爆心)の近くに「浦上天主堂」があり、そこでは当時朝のミサが行われており、信徒の多数が犠牲になったからである。

アメリカには宗教的な国教というものはないが、大統領就任式で新大統領が片手を聖書の上に載せ、もう一方の片手を挙げて「信任に恥じることなく、神と国民に誓う」という形式を取っており、キリスト教国の一端であることに間違いはない。

そのキリスト教国が日本人とはいえ浦上天主堂に集ったキリスト教徒を殺害したとあっては、大きな非難を浴びてしかるべき行為なのだ。

それかあらぬか、戦後まもなくそのことを知ったアメリカ政府は浦上天主堂の再建を申し出たのだが、長崎市側は断ったそうである。キリスト教徒であっても同じ日本人なのに、なぜ浦上天主堂で亡くなった人々を優遇するのかーーという反発心が大きかったに違いない。

その後長崎はアメリカにとって「さわらぬ神に祟りなし」、つまり鬼門と化したのである。オバマ大統領が行きたくても行けなかったわけである。

アメリカ軍は日本との戦争で「良い日本人は死んだ日本人である」というキャッチフレーズを作ったが、これはアメリカ大陸に渡った欧米の開拓民が現地人インデアンとの戦いで生んだフレーズ「良いインデアンは死んだインデアンである」の焼き直しであった。

異教徒は一般市民であろうと死んでも仕方がない――というロジックは戦後アメリカが起こしたベトナム戦争でもイラク戦争でもアフガニスタン戦争でも一貫している。

もちろんそれらの戦争で核爆弾が使われることはなかったし、一般市民への殺戮も時を経て少なくなって来たのは現代社会のネットワークや報道などによる暗黙裡の規制が働いたのだろう(ロシアのウクライナ侵略ではそんなことお構いなしだが)。

それにしても78年前の8月、たった2発の原爆による犠牲者の凄まじさよ。一瞬にして広島長崎あわせて10万、一か月以内にさらに10万、合計20万の無辜の一般市民が殺されたのだ。

今度の広島サミットに債務(国債発行)の上限問題で揺れているアメリカのバイデン大統領は参加できないような報道があったが、それは逃げ口上のように思われる。

同じ民主党からの大統領バイデンが、核廃絶を訴えていたオバマの主張にどう折り合いをつけるか、そこが聞きたい。また地元主催ということで張り切っている岸田首相が核廃絶に向けて何と言うのだろうか。「アメリカの核の傘論」という矛盾に満ちた話はもう聞きたくない。




兵器オリンピックの様相

2023-01-29 21:02:15 | 専守防衛力を有する永世中立国
高射砲のジャベリンから始まってハイマースから、トマホークミサイルまで、次々にウクライナへ供与される兵器群。

今度は先端を行く高性能の戦車が供与の対象になった。

ウクライナには旧ソ連時代に配備されていた旧式の戦車しかなく、新たにロシアが支配地域を拡大しようとして戦場に投入する新式の戦車に対抗するため、ゼレンスキー大統領は最先端を行く戦車の提供を欧米に求めていた。

戦車の供与についてはアメリカもヨーロッパも慎重な姿勢を見せていたが、ここへ来てドイツがそしてアメリカが自国産の最新鋭の戦車の供与を容認し、ウクライナへ送ることになった。

地対空ミサイルの供与については比較的簡単に供与して来たアメリカが、戦車の供与には慎重だったのはおそらく軍事機密が詰まった戦車だからだろう。

つまり戦場でロシアに「生け捕り」されて持ち帰られては困る技術上の機密が多いせいではないかと思われる。

事の真相は明確ではないが、とにかくドイツ製の「レオパルト2」という戦車と、アメリカ製の「エイブラムス」という戦車が供与されることになった(イギリスも自国製戦車「チャレンジャー2」を提供するそうだ)。

ゼレンスキー大統領は「300両は欲しい」と言っていたが、そこまでは無理なようだ。

ロシアは「どんな戦車が来ようと、戦場で燃えるだけだ」と強気の声明を出している。

しかしそんなやり取りをしている間にもウクライナ市民に対する無差別の攻撃は続いており、年が明けてから「ロシア正教の元旦から3日ばかり停戦しよう」というトリッキーなロシア側からの提案の陰で、市の中心部にミサイルが落とされたりしており、もうこの11か月で無辜の市民約8000人が命を落としている。

ロシアの(戦時)国際法違反には甚だしいものがあり、とても容認できるものではない。

※今日のテレビニュースで、IOC(国際オリンピック委員会)が、ロシアとベラルーシの選手の個人参加を認めるような見解を発表したが、これに対してウクライナの教育相は「それを容認するなら、ウクライナはオリンピックをボイコットする」と声明を出した。

オリンピックのアマチュア精神(オリンピック憲章)からすれば、所属はいかなる国であれ、参加するのを拒むわけにはいかない。

しかし現実には国家単位のオリンピック委員会があり、国家単位で参加するのが常道である。

ただ問題はその国家単位の内容がピンからキリまであり、おおむね共産圏の国家では選手個人への関与が大きく、その反対にアメリカのように関与が非常に緩い国もある。

ロシアなどは共産主義からは離脱したものの、相変わらず「ステートアマ」が普通で、特にお家芸と呼ばれる体操などでは金メダリストは特別待遇を受ける。

そのように国家に管理された選手は果たしてアマチュアと言えるのかという疑問が涌く。もし金メダルを取れば、個人の栄誉はさて置いてその国の名誉という宣伝材料にされるのがオチだ。

オリンピックはスポーツのアマチュア精神に則った世界平和の祭典である。

開催国が大金を使って施設を造り、興行的に行うようになってからこの方、オリンピック精神は蝕まれてきたようだ。この際、ギリシャで常時開催する方向に舵を切るべきだと考える。