鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

民主主義と個人主義

2023-09-09 14:17:08 | 日記

アメリカのブリンケン国務長官がウクライナを訪問し、ゼレンスキ―大統領に10億ドルの支援を表明した。

ブリンケン国務長官のウクライナ訪問は今回で4度目だ。

支援の中身は人道支援として治安維持や避難民への支援が約80%だが、兵器としてイラク戦争で多用された「劣化ウラン弾」やハイマースの弾薬が含まれるという。

前者は国務長官つまりアメリカの外務大臣としてソフトな支援なので納得できるが、後者の20%は純粋な武器の支援であり、こっちはアメリカ国防大臣による支援の対象ではないのだろうか?

どうも納得がいかないが、専制国家(疑似民主国家)であるロシアの侵略に対してウクライナの自由と民主主義を守るためとあらば武器だろうが何だろうが外交的支援の対象なのだろう。

どっちにしても大統領官邸のゴーサインがあれば使者は誰であれ、アメリカの支援意思が敢行されることになる。そこには民主主義的な歯止めは無いように思われてならない。

同じことが中国の海洋進出や台湾への圧力に関しても行われている。

アメリカの官邸サイドで「中国は2027年にも台湾を武力解放する可能性がある」と表明されたら、岸田総理が呼応するかのように「2023年から5年間で43兆円の軍事費を調達する」とした。これはまさに「ツルの一声」で決定されてしまった。

国民的な議論は一切なかったのだから、民主主義は全く機能していない。「敵基地攻撃能力」云々がマスコミで少し騒がれた程度で、これもいつのまにか「想定内」の概念に変わりつつある。

国防と外交が国民世論にとってとっつきにくい面があるのは事実だが、こうもアメリカの意向が日本の外交や軍事に貫徹されると恐ろしくなる。

中国に関して言えば、日本は1972年の共同宣言及び1978年の平和友好条約締結以降、中国とは「政経分離」政策でお互いに国是(国の政体)についてはアンタッチャブルで過ごして来た(最初はアメリカも同様だった)。

しかし2010年にこれまで世界ナンバー2だった日本の経済力が中国に抜かれると、アメリカは色をなし始めた。「自由な経済体制でない中国がここまでのさばると、アメリカのドル体制が脅かされる」と。

アメリカの自由な経済の根本を守っているのはドル体制で、決済通貨ドルを握っている限り、アメリカは世界中から好きなものを好きなだけ買え、支払いに困ったら手形(アメリカ国債)を発行して凌げばよい。

また1985年のプラザ合意で日本の円が対ドルで大幅に切り上げられたが、同じことを中国にしようとしてもできないでいる。これも苛立ちの一つだ。

要するにアメリカは中国に対して、日本のようには自分の意思が通じないことに苛立っているのだ。

 

このブリンケンのウクライナ訪問支援の記事が載った同じ日に、アメリカ大統領バイデンの次男ハンター氏が二つの容疑で訴追されるかもしれないという記事があった。

ひとつはハンター氏は「薬物依存症」であるにもかかわらず銃を所持した容疑、もう一つは「税金逃れ(未納)」だという。

当局は「税金未納を認めれば、銃所持については起訴を猶予する」という司法取引を提案したらしいが、裁判所によって拒否されたそうだ。

「司法取引」という考え方も不可解だが、アメリカでは訴追に当たってかなり普遍的に行われているようだ。誰が見ても、全く分野(内容)の違う起訴において相殺し合うというのはおかしい。

それはそれとして、バイデン大統領という国家最高の地位にいる人物の親族(この場合は子どもだ!)が検察に起訴されるという犯罪を犯しているのだが、もし日本で仮に岸田総理の親族が同じように犯罪を犯して起訴されたら、まず岸田氏は道義的に総理の職を辞するだろう。

アメリカではそうではないらしい。それは個人主義が行き届いているからだろう。

自分の息子とは言え成人したら立派(かどうかは主観に左右されるが)な一個人であり、親とは別の独立した人格があり「自己責任」がある。彼が何をしようと親の差配には属さないから法的には「関係ね―」に違いない。

なるほど日本とは大きく違う。日本はやはり道義的に見てどうなのかが必ず問われ、ほとんどはそっちに従うのが常だ。

明治維新後に「岩倉使節団(遣欧米使節団)」が2年近くかけてアメリカからヨーロッパ各国を回ったことがあったが、アメリカでは初代大統領ワシントンの顕彰施設において「ワシントン氏の子孫はどうされているのか?」と聞いたら、「さあ、どうしてますかね」という返事だったのに驚いたそうである。

米国建国時の最初の栄誉ある大統領の子孫であれば優遇され、貴族的な地位を保障されているに違いないと、当時の日本人なら誰もが思ったはずなのだが、それが全く思いもよらない返事だった。

そこにすでにアメリカの個人主義が歴然と現れているとしか言いようがない。戦後アメリカの民主主義を学び、ある程度取り入れた日本だが、双方には大きな隔たりがあるようだ。

個人主義はまさに「自己責任」と不可分である。しかしアメリカの自己責任は苛烈に過ぎるようだ。日本が真似をすることもあるまい。