3日前だったか、高山町(現・肝付町)出身で東京在住の中村さんという方からファックスが送られてきた。
何かと思えば、中村さんの主張を何かの雑誌に載せたのか、そのコピーと同時に「ゲノムの多様性」という全国紙Y新聞に載った物のコピーの2枚がファックスされていた。
中村氏の主張は「戦争回避に日本は役割を果たせ!」というタイトルで、B5の雑誌の2ページにわたる論考を披歴していた。その中で氏の最も肝心な内容が次の書き込みだろう。
<世界的に自然との共生を理念とする精神をDNAの中に持っている日本が見直される中で、平和の精神をDNAの中に持っている日本の政治家、宗教家が新たな世界平和の構築に役割を果たす余地は少なくない。
と私は思っています。>
さらにその根拠を、
<初代神武天皇が、即位の時に「世界は一家、人類みな兄弟」の世界観を述べられたのです。このことは
神武の祖先がはるか彼方から苦難を乗り越えて渡来した平和志向の民族だったことを思わせます。>
日本が平和へのDNAを持っているのは神武天皇の代から継続している、と考えている。そして、
<神武の世界観と共に世界に波及させる日本の出番を世界が待望しています。>
と結論している。
(私注)「世界は一家、人類みな兄弟」の世界観というのは日本書紀の<神武天皇即位前紀>にある「六合を兼ねて都を開き、八紘を掩(おお)いて宇にせむこと、また良からずや」という宣言(詔)のことで、六合は国の内、八紘は天の下、宇は家と訓読みされている。
日本人がもともと平和志向であるのは初代天皇である神武の頃からで、その時の精神を受け継ぐDNAによって世界に平和をもたらす役割を自覚せよ――というのが中村氏の訴えであろう。
この考えには賛成だが、日本列島の歴史の中でどれだけ多くの戦乱があったかを思うと疑問が残る。
また上の引用文の中で下線を施した部分についても疑問を感じる。
氏が神武天皇の祖先であるニニギノミコトがはるか彼方から列島に渡来してから日本の皇室が始まった、つまり南方から「天孫降臨して」始まったという考えには賛成できないのだ。
それは同時に送られてきた「ゲノムの多様性」という全国紙Y新聞のコラム(11月26日付)によっても指摘できる。
この「ゲノムの多様性」は国立科学博物館の篠田教授へのインタビューから構成されたもので、列島の縄文人の成り立ちについて最先端の分子生物学(遺伝子情報学)の新知見によっている。
それによると朝鮮半島や大陸から陸続と渡来した人たちと、列島生え抜きの縄文人とが混血することによって弥生時代の文化が始まったとする学説は否定されたそうだ。
ゲノムの分析によると半島の釜山の6000年前の遺跡から発見された人骨から採取したゲノムからは縄文人のゲノムが優勢だったそうで、6000年前の時代にそこに縄文系の人が住んでいたことが明らかになった。
また、弥生人77体のゲノム分析でも、現代の大陸人のゲノムよりも縄文人のゲノムが優勢だったそうである。
半島の釜山に居住していた縄文人は九州との関係を持つもので、九州の縄文人が向こうへ渡ったのだろう。私はその理由を「鬼界カルデラ」の大噴火によって逃れた古日向の縄文人(早期)がいたからだと考える。
この九州から逃れた(ディアスポラした)人々のグループが何百年か経って、九州南部(古日向)の植生が回復したのちに故郷の古日向へ帰還した。これが「天孫降臨」ではないかと思うのである。
現代に喩えれば、ユダヤ人は2000年前に世界各地に離散(ディアスポラ)したが、2000年のちに当時居住していたパレスチナの「シオンの聖なる地」に帰って来た(シオニズム)のとかなり似ている。
パレスチナ人は差し当たりその地(パレスチナ)に住んでいた「オオクニヌシ」であり、その土地を我らに譲れと迫ったのがユダヤ人の「天孫降臨」(シオニズム運動)であった。
※オオクニヌシは国を譲り「八十隈手」(隅っこの方)に引きこもり、その代わり大きな神殿を所望し、平和のために祈ろうとした。オオクニヌシたるパレスチナ人も矛を収めて大局的な見地から平和を祈って欲しいものだ。