岸田首相は伝統派閥「旧宏池会」が母体である岸田派を解散すると明言した。
これは大きな動きである。
旧宏池会はあの「所得倍増」を唱えた池田勇人元首相が昭和32年(1957)に設立したもので、自民党の派閥として最も古いという。
保守本流と言われ、池田首相はじめ岸田首相まで5人の首相を擁立している。保守本流とは昭和30(1955)年の自由党と民主党との保守合同体制(55年体制)のうち、元自由党の所属議員が多数を占めたことによる。
自由党はもちろん欧米とくにアメリカの自由選挙政治をモデルにしており、簡単に言えば親米派であった。
また民主党を母体にしていた鳩山一郎などは親米路線とは一線を画し、ソ連との積極的な交渉を辞さなかった。その結果、昭和31年には「日ソ共同宣言」を締結するに至った。この結果、日本はソ連の拒否権に遭わずに国連加盟を果たしている。
ただその後のソ連との北方領土問題交渉では、日本が単独講和し安保を結んだアメリカとソ連との間の関係悪化もあってソ連側が一歩も譲らず、日露平和条約は今日まで話し合いの端緒さえないままである。
保守合同により自由民主党となったが、党是として「自主憲法の制定」が大きな課題であったのだが、この点についても今日までただの一条の改定さえなく存続している。
当時の自由民主党は現憲法を「マッカーサー憲法」つまりアメリカの押しつけ憲法と考えており、それを廃棄して徹頭徹尾日本人の手による憲法を制定したかったのだが、当時の一大勢力日本社会党の党是「平和憲法を死守し、非武装中立を目指す」は国民世論の受けがよく、それは困難であった。
またアメリカも日本の再軍備化には反対で、日本が「丸腰」の方が都合がよかったから、社会党のスローガンを容認していたきらいがある。ただし「非武装中立」は必然的に日米安保を廃棄することに他ならないのだからいい加減なものだ。
保守合同は憲法改正の党是を内包しながら、アメリカへの忖度からか、それを掲げると選挙には勝てないからか、超保守というレッテルを張られがちだった安倍元首相が9年という長期政権の座にありながら、いまだに一字一句の改定すらできていないままだ。
ここへ来て安倍派という100人になろうかという大派閥も、二階元幹事長の二階派、そして岸田派も派閥の解消を宣言したが、残りの麻生派、茂木派は解散せずに残りそうだ。(※森山派8人は解散含み。)
麻生氏はあの対米単独講和の吉田茂元首相の孫であり、誰が見ても親米派。また茂木氏はアメリカのハーバード大学出身であり、こちらも親米派だろう。
とすると自民党の伝統的保守派は雲散するが、親米派閥は残ることになる。
そもそも派閥とは「政策集団」であり、「大臣等任官への足場」であり、「選挙の応援機関」であるが、中でも首相はじめ各大臣・副大臣等の任官に対しては大きな影響力を持っている。
いっそのこと「首相公選制」に移行したらいいのだ。派閥の力学で首相が選ばれるのでは、国民はつんぼ桟敷である。
首相公選にしたら巨額の選挙資金が飛び交うに違いないと一見思われるかもしれないが、そういうことはないだろう。何しろ選挙母体数が大きすぎ、いくら「実弾」があっても足りないからだ。
首相公選制にすれば有権者も投票のし甲斐があるというものだ。
最近は投票率の低い選挙結果が多い。30パーセント台がざらである。しらけ選挙と言われても仕方があるまい。首相公選は投票率を上げる起爆剤になりはしないだろうか。
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