元日は群馬県で行われる実業団対抗駅伝、そして昨日と今日は大学対抗の箱根駅伝が実況中継される。
これは毎年のことで、前者は1957年から、後者は1920年から開催されているから、それぞれ67回目と99回目である。
実業団駅伝の方は現在は群馬県の中心部を周回するコースだが、以前は何か所かで行われていた。群馬県に移ったのは32回目の1988年だそうで、それ以来元旦の日に開催されるようになり、別名「ニューイヤー駅伝」として親しまれている。
今年は本田技研工業(チーム名はHONDA)が去年に続き優勝した。
大学対抗の箱根駅伝は1920年からなので今年で103回となりそうだが、戦時中と戦後にかけて4回中止となったので今年99回目となる。
今年の優勝チームは駒澤大学で、往路と復路のどちらもトップだったので「総合優勝」であった。
マラソンの起源はスパルタからアテネまで軍令を届けて走り抜いたメロスに由来し、クーベルタン男爵が主唱して始まった近代オリンピック競技に採用されたが、駅伝は今のところ日本独自の陸上競技である。
「駅伝」という名称は古代の官制によって畿内に存在した「駅馬(はゆま=早馬)」「伝馬(つたえうま)」に因むらしい。
ギリシャのメロスは42キロ余りをたった一人で軍令を持って走ったのだが、日本古代のメロスたちは駅家の間を馬に乗って届け継いだ。だから、駅伝はむしろ江戸時代の継ぎ(リレー)飛脚に近い。
ところで実業団の方は第2区に各チームともアフリカケニヤ勢を中心とした「外人部隊」を導入していたが、大学駅伝はそのような特別区はない。昨日の往路で東京国際大学が2区にアフリカ人学生を採用していたのが、例外的だったように見受けた。
勝ちにこだわるのであればかつて山梨学院大学がそうしていたように、多くのケニヤ人留学生を採用すれば間違いないところだが、そうでないところに100年という歴史を支えて来たこだわりを感じた。
こだわりといえば、日本のこの駅伝は全国津々浦々で行われるわけだが、興行的なものは一切ないことだろう。つまり金銭的な授受とは無縁だということだ。
もちろん実業団系の駅伝には結果によって選手に対して多少の報奨があるのだろうが、その額は微々たるものだろう。1000万とかそんな高額ではないはずだ。
ましてや大学対抗では優勝しても、何かプレゼントか祝杯が挙げられるくらいだと思う。
メインスポンサーはサッポロビールで、放映関連の資金提供は当然放送局へ支払うだろうが、優勝校への資金提供は無いだろう。
どの道、遠征費用やユニホームなどの調達はそれぞれの大学の予算に組み込まれているはずで、金銭的に驚くほどの大きな額は無用である。
これが日本のアマチュアスポーツの清廉なところで、もしアメリカのようなスポーツイコール興行というような国で行われたら、たちまち金まみれになるに違いない。
昨年の東京オリンピックを巡ってワイロ性の多額の金が動き、収賄やら贈賄の実態が明らかになったが、こんな状況を生んだのも金まみれオリンピックだからである。
近代オリンピックの主唱者クーベルタン男爵が聞いたら悲嘆に暮れるはずだ。「こんなオりんピックはオリンピックではない。いつの間にかプロ選手の競技大会になってしまった。原点に戻り、アマチュアスポーツ精神を通した世界平和を訴えよう」と。
(※もうオリンピックは会場を発祥の地ギリシャのアテネに固定して行うべきではないか。プロ競技は排除し、純粋なアマチュア競技に限定すれば、興行化(利権化)は避けられるだろう。そしてアメリカのメディアによって気候の良い時期を外され、東京大会のようにくそ暑い真夏の大会にさせられることもないだろう。)
正月を挟んでこの時期には他にも大学や高校のラグビー、サッカーなど頂点を目指す競技大会が目白押しで、どの競技もアマチュア精神が横溢し、躍動あり涙ありの姿が見る者を感動させてくれる。
この清々しい伝統をいつまでも守って欲しい。それでこそ日本の在りようではないか!
これは毎年のことで、前者は1957年から、後者は1920年から開催されているから、それぞれ67回目と99回目である。
実業団駅伝の方は現在は群馬県の中心部を周回するコースだが、以前は何か所かで行われていた。群馬県に移ったのは32回目の1988年だそうで、それ以来元旦の日に開催されるようになり、別名「ニューイヤー駅伝」として親しまれている。
今年は本田技研工業(チーム名はHONDA)が去年に続き優勝した。
大学対抗の箱根駅伝は1920年からなので今年で103回となりそうだが、戦時中と戦後にかけて4回中止となったので今年99回目となる。
今年の優勝チームは駒澤大学で、往路と復路のどちらもトップだったので「総合優勝」であった。
マラソンの起源はスパルタからアテネまで軍令を届けて走り抜いたメロスに由来し、クーベルタン男爵が主唱して始まった近代オリンピック競技に採用されたが、駅伝は今のところ日本独自の陸上競技である。
「駅伝」という名称は古代の官制によって畿内に存在した「駅馬(はゆま=早馬)」「伝馬(つたえうま)」に因むらしい。
ギリシャのメロスは42キロ余りをたった一人で軍令を持って走ったのだが、日本古代のメロスたちは駅家の間を馬に乗って届け継いだ。だから、駅伝はむしろ江戸時代の継ぎ(リレー)飛脚に近い。
ところで実業団の方は第2区に各チームともアフリカケニヤ勢を中心とした「外人部隊」を導入していたが、大学駅伝はそのような特別区はない。昨日の往路で東京国際大学が2区にアフリカ人学生を採用していたのが、例外的だったように見受けた。
勝ちにこだわるのであればかつて山梨学院大学がそうしていたように、多くのケニヤ人留学生を採用すれば間違いないところだが、そうでないところに100年という歴史を支えて来たこだわりを感じた。
こだわりといえば、日本のこの駅伝は全国津々浦々で行われるわけだが、興行的なものは一切ないことだろう。つまり金銭的な授受とは無縁だということだ。
もちろん実業団系の駅伝には結果によって選手に対して多少の報奨があるのだろうが、その額は微々たるものだろう。1000万とかそんな高額ではないはずだ。
ましてや大学対抗では優勝しても、何かプレゼントか祝杯が挙げられるくらいだと思う。
メインスポンサーはサッポロビールで、放映関連の資金提供は当然放送局へ支払うだろうが、優勝校への資金提供は無いだろう。
どの道、遠征費用やユニホームなどの調達はそれぞれの大学の予算に組み込まれているはずで、金銭的に驚くほどの大きな額は無用である。
これが日本のアマチュアスポーツの清廉なところで、もしアメリカのようなスポーツイコール興行というような国で行われたら、たちまち金まみれになるに違いない。
昨年の東京オリンピックを巡ってワイロ性の多額の金が動き、収賄やら贈賄の実態が明らかになったが、こんな状況を生んだのも金まみれオリンピックだからである。
近代オリンピックの主唱者クーベルタン男爵が聞いたら悲嘆に暮れるはずだ。「こんなオりんピックはオリンピックではない。いつの間にかプロ選手の競技大会になってしまった。原点に戻り、アマチュアスポーツ精神を通した世界平和を訴えよう」と。
(※もうオリンピックは会場を発祥の地ギリシャのアテネに固定して行うべきではないか。プロ競技は排除し、純粋なアマチュア競技に限定すれば、興行化(利権化)は避けられるだろう。そしてアメリカのメディアによって気候の良い時期を外され、東京大会のようにくそ暑い真夏の大会にさせられることもないだろう。)
正月を挟んでこの時期には他にも大学や高校のラグビー、サッカーなど頂点を目指す競技大会が目白押しで、どの競技もアマチュア精神が横溢し、躍動あり涙ありの姿が見る者を感動させてくれる。
この清々しい伝統をいつまでも守って欲しい。それでこそ日本の在りようではないか!
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