鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

庶民の「三密」、政治家の「三密}

2020-12-18 18:14:14 | 日本の時事風景
今朝の寒さは尋常ではなかった。鹿屋市ではマイナス4℃を記録し、ウメとの朝の散歩コースの畑という畑はみな真っ白に霜が降りていた。

我家の菜園でも、9月に播種した白菜が10月から11月半ばにかけての温かさで生育が半端でなく、豊作を期待していたのだが、ナメクジや蝶の青虫にやられて見る影も無くなっていた。だが、この冷え込みで彼らの生存に黄信号が灯り、何とか除去できそうだ。寒さのありがたさが身に染みる。

自生のイチゴは寒さにはめっぽう強く、どんなに霜が降りても平気の平左だ。今朝は何と、葉っぱの影に隠れるようにしてイチゴの実がなっていた。初めてのことだ。これも10月から11月半ばまで続いた「暖秋」の結果だろう。

国民にコロナ対策として肝要な「5人以上の会食は自粛」を要請したその舌の根も乾かぬ内に、菅首相は二階幹事長はじめ王貞治氏、みの
もんた氏、杉良太郎氏など著名人を交え「8名で会食をしていた」ことが明るみに出た。

報道陣に突っ込まれた菅首相は「国民の誤解を招く行動だった。真摯に反省したい」と答えていた。

おいおい、と思ったのは自分だけではなかったろう。

もし菅首相が「5人以内」、例えば4人で会食をしていたのであれば、たしかに政府の自粛要請通り「5人以内」だったのであるから、「5人以内という自粛は守りましたが、時期が時期だけに迂闊でした。国民に誤解を与えるような行動は控えるべきでした。真摯に反省しております。」という展開なら上の釈明は生きてくるのだが、8人である以上5人を超えているわけであるからその時点ですでにアウトだろう。国民に弁明の仕様がないのだ。

それぞれ斯界の著名人であるから、なかなか一同で会する予約も取れず、14日しかなかったのかもしれないが、それでも国民に「5人以下で会食せよ」と明言した以上は「まず隗より始めよ」の故事どおり、率先して自らが襟を正すべきだったのだ。

それとも、どうしても8人で会わなければ、これからの政権運営で立ちいかなくなるようなことがあったのだろうか。

庶民の「三密」は「密接、密集、密閉」で、密閉された狭い空間に密集して密接になってはいけないということなのだが、政治家の「三密」は「密会、密談、密約」で、「ひそかに会い、ひそひそ話をし、内密に取り決める」だから、今度の8名による「三密」は何かそれをにおわすような重大な取り決めでもあったのだろうか。

王貞治氏、みのもんた氏、杉良太郎氏との会食からは全く見当もつかないが、何かはあったのだろうと私は睨んでいる。

鹿屋市でもクラスタ―発生

2020-12-15 12:58:18 | おおすみの風景
11日に最初の感染者が見つかった鹿屋体育大学で、今日までに併せて14人の集団感染(クラスタ―)が発生したという。

鹿屋市では7月に1名、8月に2名が見つかっただけで長いこと「清浄地域」だった。そして11月にポツンとそれに1名が加わっただけだったのだが、ここへ来て一気に増加した。

詳しい感染ルートは発表されていないが、特定の学校内クラブやサークル活動によるものではないことははっきりしているらしい。

寮生活からなのか、アパートなどでの交流からなのかも不明だが、今時だから、おそらく何らかの飲食を伴う行動によるものではないかと思われる。

「三密」を避けて行動するようには学校から言われていたのだろうが、飲酒が間に入ると羽目を外しやすいのは、学生に限ったことではない。

今朝の新聞によると大学内の濃厚接触者は54名に上るそうで、今日15日に彼らに対するPCR検査が実施されるそうである。そうなると感染者がもっと増える可能性が大だ。

さらに体育大の発表では、学生の半数に近い360名ものPCR検査の実施を保健所に申請してあるというから、かなりの危機感を持って対応していることが分かる。

ここは是非とも早い段階で沈静化してもらいたいものだ。高校などに飛び火したら、特に1か月後に受験を控えている3年生など、親も子も戦々恐々の心中だろう。そう思うと気の毒だ。


今朝早くウメの散歩で畑地帯を歩いていると、ひと月くらい前から始まった「畑への灌漑導水施設(パイプライン)工事」を知らせる工事看板に出くわしたが、工事の内容のほかに新型コロナウイルス感染対策のキャッチフレーズが絵解きで書かれていた。

思わず苦笑してしまった。(注)「ぐりぶー」というキャラクターは鹿児島県産の黒豚をイメージしたもので、残念ながら隣県のくまモンの後塵を拝しまくっている。

もう誰でもどこでも「三密」は欠かせないが、やはり「人間だもの」と割り切るしかないか。幸い学生のほとんどは軽症か無症状だという。そうであれば、若者よ、高齢者には近づくな!(or 高齢者よ、若者には気を付けよ!)

初氷と初霜(2020.12.13)

2020-12-13 19:22:32 | おおすみの風景
今朝、車のフロントガラスが凍っていた。初氷だ。
12月半ばの初氷は平年並みか少し早い。

去年は1月も下旬になってようやく初氷だったが、今年も10月の温かさを思うと、超暖冬かと思っていたのだ。それでもやはり年末が間近になると寒さが一入になる。

明日からは三日間くらい相当寒くなるようだ。クリスマス寒波に匹敵するのかもしれない。

新型コロナウイルスの付け入る隙が来そうだ。用心に越したことはない。

今朝6時過ぎに、愛犬ウメと散歩に出た時、快晴の空に上弦の三日月があり、そのすぐ南側に金星が明るく光っていたのが印象的だった。

また、畑にも軽い霜が降りていた。本格的な冬ももうすぐそこだ。サンタの後には誰にも平等に年末がやって来る。

コロナ禍の一年、健康に過ごせたことを嬉しく思うことだった。

ジョン・レノン没後40周年

2020-12-10 21:27:36 | 専守防衛力を有する永世中立国
イギリス人のジョン・レノンがアメリカで凶弾に倒れてこの12月8日で満40年となった。

享年40歳は若過ぎる死だ。なぜ暗殺されたかの真相はいまだ不明だという。

今日の新聞で、妻だったオノ・ヨーコさんがツイッターで「ジョンの殺害以来、アメリカでは銃で143万6千人以上が亡くなった」と発信したとあるが、ため息をつくのは自分だけか。

だいぶ前の話だが、日本からの留学生がハロウィーンの仮装をして近くの家を訪れたら、怪しい者と間違われて撃たれて死亡した事件があったが、ことほど左様にアメリカでは銃による殺人事件が多発している。

オノ・ヨーコさんの指摘によるとこの40年で143万人だから、一年で約3万6千人位(一日当たり100人)の人々が日常的に銃によって殺害されていることになる。恐ろしい数字である。日本だったら連日報道され、即「銃所持禁止」となるだろう。(※戦国時代の日本は合戦が常にあったが、年に3万もの武士が死ぬようなことはなかったろう。最大の合戦であった関ケ原の戦いでさえ戦死者は8000名とされている。)

「民主主義と自由主義のモデルである」として戦後はお手本としてきたアメリカの実態はこのような荒んだものになっている。人種差別も無くなっていないのはごく最近の事件で明らかだ。

民主主義の見本を思わせる大統領選挙にしても、多額の選挙資金を集めてメディアへ投資して広告を出すという、これも日本の感覚では選挙違反になるようなやり方だし、オバマケア(国民皆保険制度)も危うくなっている。

アメリカにはすでに日本がお手本とするような中身はほとんどない。あるのは貿易と軍事しかない。

日本では外交上常に「日米同盟のさらなる強靭化」という前置きが馬鹿の一つ覚えのように繰り返されている。国連憲章上、二国間の軍事同盟は禁止されており、紛争が起きた場合は多国間で解決するのが筋になっているのだが、常にアメリカへの「忖度」によってそのことを考えようともしない。

核兵器禁止条約でも同じパターンで話し合いの席にも就こうとしていなかったが、今度、国連に提出した日本の「核廃絶アピール」が10か国も賛成国を減らしたのは、それへの抗議だろう。

日本が日本らしい「平和外交」に徹すれば世界の国々が協賛するはずなのに、アメリカとの癒着とも思える日米二国間軍事同盟があるために、「日本はアメリカの属国」と見られ、前首相の安倍さんがいかに世界中の首脳と渡り合っても、残念ながら「資金援助ならいただきますよ」と、相手にとって都合の良いATMレベルでしかない。

ここはもうアメリカとの二国間軍事同盟を廃棄して、日米間は普通の国同士の二国間関係になるべきだろう。日米安保が無くなったら中国が、ロシアが、北朝鮮が攻めて来るというが、根拠があるのか。私にはそう考える人間は単に「日米安保が恋しい」病としか思えない。書生論と言われるかもしれないが、中露北朝鮮がもし日本を攻めたら、世界が放っておかないだろうと思う。

さらに日本は永世中立国になるのが最善である。つまり世界のどの国とも同盟関係を結ばず、といって誰彼を敵視することもなく、どの国の有りようにも気を配り、それ相応の付き合いをする――これが日本のこれからの在り方として最もふさわしい。

災害大国日本は「with 災害」を肝に銘じてこれを乗り越え、困難に立ち向かう姿を世界にお手本として示し、同じように困難を抱える国々の味方となるべきではないか。

世界はそれを待っている。



片屋根倉庫の棟上げ(令和2年12月8日)

2020-12-08 14:35:38 | 日記
11月の初旬から掛かっていた片屋根倉庫は、今日、ようやくポリカーボネイトの波板屋根を乗せ、「棟上げ」に漕ぎつけた。

奥行3.5メートル、幅2.8メートルで、内部の広さは約10平方メートル(3坪余り)。

これまでここにパイプ車庫を建てていたが、入れていたミニバイクを廃車して久しく、そのまま倉庫に転用していたのだが、パイプ車庫仕様では台風のたびに覆っているシートを外さなければならず、もう何年も前から恒久的な倉庫をと思っていた。

11月に本(『投馬国と神武東征』)を出してから、各県の図書館や大学の図書館、友人知人などに寄贈し終わり、ちょっと余裕ができたので取り掛かることにしたのである。

柱も9本建ててあるので結構丈夫だろう。ただ柱の根石をすべて生コンを使って自家製の二枚羽根固定タイプにしたので、その分完全に固まるのに一週間くらい余分にかかってしまったが――。

固まった根石に柱を立てて六角ボルトで固定し、さらに桁を乗せてから垂木を打ち付け、そこに波板を固定するための五分板を直角に貼り付けたら、あとは屋根(波板)を乗せて打ち付ける。

屋根の長さがちょうど3メートルなので、業者にその寸法の既製品があり、切る必要が無いので作業的にはずいぶん捗った。半透明の「ブロンズ」という色合いの物を7枚使ったが、ちょうど7枚でいい具合に覆うことができ、それよりも何よりも最後の一枚を乗せた際にどんぴしゃり角の部分に数センチのずれもなく収まったのである。要するに、倉庫を上から見た時に、角のすべてが直角でゆがみがなかったというわけで、我ながら胸の中で「やった」と喝采していた。

ところがどっこい・・・。最後の一枚に笠釘を打ち付けてやれやれと満足げに来し方を眺めた時、この一枚の前の一枚に3箇所、笠釘の打ち忘れがあったのに気付いた。

疲労もあってひどくがっかりしたのだった。たった三本とはいえ、そこを打ち付けるためには最後の一枚をいったんすべて外しからでないと、手が届かないのである。

少し考えてから、屋根に上がってそこをどうにかしようと決め、それまで使っていなかった二連ハシゴを伸ばして屋根のでっぱり部分に掛けて屋根の上に登った。そしてどうにか3箇所に打ち付け終わり、さて降りよう、とした時である。

二連ハシゴが何と一連に縮むと同時に、地面に倒れてしまったのだ。

馬鹿たれが!――と、思わず叫んでいた。

今いる所から地面まで約2.5メートルはあるから、飛び降りるわけにはいかない。どうしようと辺りを見まわすと、屋根の一番低い部分が隣家の境界植樹のヒトツバ(高野槙)に接していた。そこからなら木を伝って降りられると思い、ポリ板を踏みぬかぬよう立ち上がらず、そろりそろりと体を滑らせて2メートルほど下の境界林の中の一番太そうなヒトツバの木に足をかけ、手で抱き付くようにして何とか地面に降りることができた。

転落しないように身体を滑らせて下に降りて行くときに、「雪国で屋根の雪おろしをしているうちに転落するというが、あれに似ているな。」とか「本当にここで転落したら、ニュースになるな。」などと頭をよぎったが、わずか数十秒の騒動劇でもいろいろ考えるものだと、今思えば苦笑するほかない。

「年寄りの冷や水」ならぬ「年寄りの冷や汗」だが、「生還」した時、昼食時間を過ぎていたが、吾平の温泉センターに行って「冷や汗」を流してきたこと言うまでもない。