鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

鹿屋は沖縄化する?

2023-09-13 19:52:14 | おおすみの風景

去年の11月から鹿屋海上自衛隊航空基地で運用の始まった米軍による無人偵察機MQ-9一機が、着陸時に滑走路をオーバーランして既存の施設に若干の不具合をもたらしたが、その事案をめぐって情報の混乱が起きている。

鹿屋には米軍の進出とともに防衛省の九州防衛局の事務所が置かれ、安全確保の面から市政への情報提供に当たるとされていたのだが、今回の事案についてオーバーラン直後に九州防衛局からは何の連絡もなかったという。

またMQ-9の運航再開についても今月8日以前に米軍は再開しているのだが、その点について九州防衛局と防衛省本体の情報との間に齟齬があった。

結局、この事案について米軍からの正式な情報は得られなかったということである。

米軍の動向については日米安保とそれに付随する日米地位協定によって、日本側への告知義務はなく、すべては防衛上の秘密事項として米軍の思いのままだ。つまり「隠したい放題」なのだ。

それでいながらこと対中国に関する限り、アメリカはあけっぴろげに中国敵視政策に舵を切った。「中国の台湾への武力侵攻は2027年だ」がそれである。

私に言わせればその見解は単なるアドバルーンだろう。

中国に対しては「台湾への進攻には十分備えているよ」というメッセージであり、日本に対しては「我が国は中国敵視政策を採用したので、中国への防波堤になってくれ」というメッセージだ。

これに早速応えたのが岸田首相のあの「防衛費増額5年間つまり2027年度までに43兆円」であった。

何という素早い対応。日米安保の面目躍如である。

米韓合同演習のキャッチコピーは「自由への盾」作戦だが、日本へも同じ期待感をにじませている。

早い話がアメリカが中国と事を構えた時に、まずは日本と韓国がアメリカを守る最前線になるということで、中国がアメリカ本土への攻撃を仕掛けて来る際の「時間稼ぎ」としての役割だ。

アメリカ本土さえ守られれば、日本も韓国も捨て石に過ぎないということである。

そんなことにはなって欲しくないが、日米安保の存在意義が1952年発効の旧安保では「戦力を持たない日本が危ない時、アメリカが救援する」だったのが、安倍さんの祖父岸首相の時(1960年)の「新安保」では「相互に助け合う」に変化し、2022年の安保関連三文書ではそれが具体的になった。

アメリカの艦船が中国から攻撃を受けたら、日本の自衛隊が出動して救援に当たるそうだ。くわばらくわばら、中国がそこまで先鋭化することのないことを願うばかりだ。

 

さて、鹿屋基地の周辺でもし万が一MQ-9が住宅地に墜落したら、いったいどうなるのか? 県も市もつんぼ桟敷になるのだろうか。

またMQ-9の運航が予定の1年を超えて運用された時、これもまた米軍の意向が最優先され、県にも市にも知らされないのか?

そうなったらまさに「鹿屋の沖縄化」であり、日本全体が沖縄本島のようにアメリカから見て「極東のキー・ストーン」となる序章だろうか。

それはどうあっても防がなくてはなるまい。

 

 


民主主義と個人主義

2023-09-09 14:17:08 | 日記

アメリカのブリンケン国務長官がウクライナを訪問し、ゼレンスキ―大統領に10億ドルの支援を表明した。

ブリンケン国務長官のウクライナ訪問は今回で4度目だ。

支援の中身は人道支援として治安維持や避難民への支援が約80%だが、兵器としてイラク戦争で多用された「劣化ウラン弾」やハイマースの弾薬が含まれるという。

前者は国務長官つまりアメリカの外務大臣としてソフトな支援なので納得できるが、後者の20%は純粋な武器の支援であり、こっちはアメリカ国防大臣による支援の対象ではないのだろうか?

どうも納得がいかないが、専制国家(疑似民主国家)であるロシアの侵略に対してウクライナの自由と民主主義を守るためとあらば武器だろうが何だろうが外交的支援の対象なのだろう。

どっちにしても大統領官邸のゴーサインがあれば使者は誰であれ、アメリカの支援意思が敢行されることになる。そこには民主主義的な歯止めは無いように思われてならない。

同じことが中国の海洋進出や台湾への圧力に関しても行われている。

アメリカの官邸サイドで「中国は2027年にも台湾を武力解放する可能性がある」と表明されたら、岸田総理が呼応するかのように「2023年から5年間で43兆円の軍事費を調達する」とした。これはまさに「ツルの一声」で決定されてしまった。

国民的な議論は一切なかったのだから、民主主義は全く機能していない。「敵基地攻撃能力」云々がマスコミで少し騒がれた程度で、これもいつのまにか「想定内」の概念に変わりつつある。

国防と外交が国民世論にとってとっつきにくい面があるのは事実だが、こうもアメリカの意向が日本の外交や軍事に貫徹されると恐ろしくなる。

中国に関して言えば、日本は1972年の共同宣言及び1978年の平和友好条約締結以降、中国とは「政経分離」政策でお互いに国是(国の政体)についてはアンタッチャブルで過ごして来た(最初はアメリカも同様だった)。

しかし2010年にこれまで世界ナンバー2だった日本の経済力が中国に抜かれると、アメリカは色をなし始めた。「自由な経済体制でない中国がここまでのさばると、アメリカのドル体制が脅かされる」と。

アメリカの自由な経済の根本を守っているのはドル体制で、決済通貨ドルを握っている限り、アメリカは世界中から好きなものを好きなだけ買え、支払いに困ったら手形(アメリカ国債)を発行して凌げばよい。

また1985年のプラザ合意で日本の円が対ドルで大幅に切り上げられたが、同じことを中国にしようとしてもできないでいる。これも苛立ちの一つだ。

要するにアメリカは中国に対して、日本のようには自分の意思が通じないことに苛立っているのだ。

 

このブリンケンのウクライナ訪問支援の記事が載った同じ日に、アメリカ大統領バイデンの次男ハンター氏が二つの容疑で訴追されるかもしれないという記事があった。

ひとつはハンター氏は「薬物依存症」であるにもかかわらず銃を所持した容疑、もう一つは「税金逃れ(未納)」だという。

当局は「税金未納を認めれば、銃所持については起訴を猶予する」という司法取引を提案したらしいが、裁判所によって拒否されたそうだ。

「司法取引」という考え方も不可解だが、アメリカでは訴追に当たってかなり普遍的に行われているようだ。誰が見ても、全く分野(内容)の違う起訴において相殺し合うというのはおかしい。

それはそれとして、バイデン大統領という国家最高の地位にいる人物の親族(この場合は子どもだ!)が検察に起訴されるという犯罪を犯しているのだが、もし日本で仮に岸田総理の親族が同じように犯罪を犯して起訴されたら、まず岸田氏は道義的に総理の職を辞するだろう。

アメリカではそうではないらしい。それは個人主義が行き届いているからだろう。

自分の息子とは言え成人したら立派(かどうかは主観に左右されるが)な一個人であり、親とは別の独立した人格があり「自己責任」がある。彼が何をしようと親の差配には属さないから法的には「関係ね―」に違いない。

なるほど日本とは大きく違う。日本はやはり道義的に見てどうなのかが必ず問われ、ほとんどはそっちに従うのが常だ。

明治維新後に「岩倉使節団(遣欧米使節団)」が2年近くかけてアメリカからヨーロッパ各国を回ったことがあったが、アメリカでは初代大統領ワシントンの顕彰施設において「ワシントン氏の子孫はどうされているのか?」と聞いたら、「さあ、どうしてますかね」という返事だったのに驚いたそうである。

米国建国時の最初の栄誉ある大統領の子孫であれば優遇され、貴族的な地位を保障されているに違いないと、当時の日本人なら誰もが思ったはずなのだが、それが全く思いもよらない返事だった。

そこにすでにアメリカの個人主義が歴然と現れているとしか言いようがない。戦後アメリカの民主主義を学び、ある程度取り入れた日本だが、双方には大きな隔たりがあるようだ。

個人主義はまさに「自己責任」と不可分である。しかしアメリカの自己責任は苛烈に過ぎるようだ。日本が真似をすることもあるまい。

 


3度あることは4度あるか?

2023-09-07 16:10:43 | おおすみの風景

ここ1年の日本のロケット打ち上げは失敗続きだった。

去年の10月に内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられたイプシロンロケットは姿勢制御がままならず「指令破壊」された。

明けて2023年の3月には鳴り物入りの新型ロケット「H3」が種子島宇宙センターから打ち上げられたが、2段目の切り離しに失敗し、やはり「指令破壊」された。

(※同じ3月に打ち上げられた鹿児島発の超小型ロケットも上空2キロまで到達予定だったのがわずか75mしか上がらず、砂浜に落下した。)

この夏の7月には、秋田県の打ち上げ試験場で「イプシロン2」のエンジンの燃焼実験の最中に爆発を起こした。

うわ、また失敗したのか!――というのがテレビで放映された爆発の瞬間を見た時の驚き、というよりあきれてしまった。

日本のロケット技術はこんなものだったのか、という思いがどんどん膨らんで行った。

そしていよいよ今日、旧型機だが成功率の高い「H2A」ロケット47番機が種子島から打ち上げられた。

午前8時42分に種子島の宇宙センターから発射されるというので、デジカメを持って庭の南側に行ってその時を待った。

スマホでは実況中継が行われているユーチューブがあったので、その画面で発射を確認した。

すると約3秒後くらいに、上の写真のほぼど真ん中のぽつんと浮かんだ白雲(逆L字型の長い雲のすぐ上の雲)から、白い軌跡が飛び出した(残念ながらそれは写真では見えない)。

おお、とカメラを向けて撮ったのがこの写真だが、白い軌跡を描いたロケットはさらに上空の広いうろこ雲の中に消えた。その間2秒から3秒だった。

午後からの報道各社によれば、H2Aロケットは月面探査機SLIMを搭載しているカプセルを軌道に投入することに成功したようだ。

もう一つアメリカと共同開発した宇宙観測器Xrismも無事に投入されたという。

これで4度目の失敗にはならなかったことになり、宇宙にはさしたる興味を持ちあわせない自分でも、やれやれと安堵した。

旧型のH2型のロケットの世界に誇る信頼性は、再びゆるぎないものとなったのだ。

JAXAはいたずらにH3型に移行せずとも、2A型のままで改良を重ねて続行すればよいと思うのだが・・・、素人判断だろうが。

 

 

 

 


迫り来る大震災

2023-09-05 12:00:56 | 災害

いやはや暑かった。昨日9月4日の当地鹿屋の最高気温は35.8度を記録した。今夏で35℃を超えたのは数回しかなかったが、おそらくこれが最高気温だろう。

しかも9月に入ってからの35℃超えはまず記憶にない。何ということだろう。台風12号が太平洋を北西に向かって来ながら、2日前には勢力を弱めて熱帯低気圧に逆戻りして影響は無くなったが、その余波だろうか?

さて、今年の9月1日は関東大震災100周年の記念すべき「防災の日」だった。

これについては9月1日のブログで書いたが、翌9月2日、さらに3日にかけて関東大震災当時の白黒写真でをカラー化し精細化したものを取り上げて惨状にリアリティを加えた番組が放映された。

写真よりも当時開発されたばかりの記録ビデオ(もちろんフィルム仕様)の威力は大きく、人々の息遣いまで聞こえてくるようだった。

例の「火災旋風」は何か所も発生したようで、中でも陸軍被服廠跡地は面積が大きかったせいで多くの人が避難しており、そこで起きた火災旋風は3万7千もの命を奪っている。

関東大震災の震源地は神奈川県の小田原で、ここは相模湾トラフの領域であった。

次に首都圏を中心に起こるであろう直下型大地震の震源域は東京湾の奥だというから、江東区、墨田区、台東区、葛飾区、足立区など隅田川、荒川、江戸川沿いの軟弱地盤かつ一部マイナス地帯を含む低地一帯は壊滅的な被害を受けるのではないだろうか。

かつての関東大震災では被害の主原因は火災だったが、今度のはこれに加えて津波(洪水)が大きいに違いない。東京都区内の東半分はほぼ壊滅し、千代田区に位置する政官庁の機能は完全にマヒするはずである。

首都圏を襲うもう一つの大地震は「南海・東南海トラフ由来の地震」で、特に東寄りの東南海トラフに発生する地震は地震の揺れそのものよりも津波が怖い。東京湾内に到達した津波の高さが仮に小さ目に見て10mにしても、江東区以下の低地では大災害をもたらす。

以上を見据えると、もう遅いかもしれないが、首都分散の手を打っておくべきだ。この点については中国などの専制的国家の方が決断が早いかもしれない。残念ながら日本では土地や家屋に対する私的財産権が分散の邪魔をするし、「国会審議」という民主主義的手法では時間がかかり過ぎる。

防衛費5年間で43兆円という「ツルの一声」を見習うべきだが、あれは米国による「2027年に中国が台湾に侵攻する」という見通しへの忖度で、日米同盟あればこその専制的決断だった。

それなら序でにアメリカに「首都は分散させよ。首都圏にはアメリカ人が沢山住んでいるぞ」と言ってもらおうか。

いずれにしても、首都圏の分散は待ったなしだ。公共機関がしないとあらば、少なくとも江東区を始めとする低地帯に住んでいる民間人は、千葉、茨城、埼玉、栃木、群馬などの関東圏域周辺に移住したほうが良いだろう。

 


防災の日2023.9.01

2023-09-01 18:41:26 | 日本の時事風景

今日9月1日は「防災の日」で、1923年9月1日に関東大震災が発生した日だ。今日はその100周年に当たる日である。

地震の規模はマグニチュード7.9だそうで、あの東北大震災の9.0に比べればエネルギーは100分の1だが、発生した場所が悪かった。神奈川県西部の小田原の近海だったのだ。

そのため東京はもちろんだが、横浜も大いに揺れ大きな被害を蒙っている。

しかし東京の地震による被害は巨大なもので、東京だけで10万人以上が死んでいる。

正確には行方不明者を入れて10万5千人だそうだが、そのうち9万2千人が火災によるという。

要するに火災さえ発生しなければ、或いは小規模で消し止められていれば、これほどの惨状にはならなかったのだ。

火災の主な原因はもちろん失火だが、発生した時間帯が悪かった。午前11時58分だったからちょうど昼食のために多くの家庭で火を使っていたのであった。

当時の炊事で火を起こすのに使ったのが、竃(かまど)であった。かまどは薪をくべ、火吹き竹で火を起こし、かまどの上に載せられた鍋ややかんを沸騰させるものだ。

多くの学校(尋常小学校以下、高等小学校や旧制中学など)では新学期の初めの日とあって始業式があり、生徒は午前中に帰宅していた。

もうすぐお昼という時間に突如起きたのが大地震だ。

母や祖母が作っていた昼食を食べるどころか、台所から火の手が上がったのだからたまらない。みな逃げるのにてんやわんやになった。

そうこうしているうちに火の手はどんどん広がり、みな逃げるのに精一杯だったそうだ。

私の母が当時住んでいたのは台東区の浅草に近い店舗だったのだが、這う這うの体で逃げ延び、幸いにも祖父祖母はじめ一家は無事であった。

焼け出されたのち、しばらくは店員の田舎である東京の郊外に身を寄せ、やがて祖父祖母の出身地である三重県の津市に一年ほど帰っていたという。

その後東京の復興の目途が付いたのち、今度は北区十条にふとん店を構えることになった。今日に続く「十条銀座」の一角である。

母と兄姉妹の5人兄弟が成人したのは、その十条銀座であった。

男は一人で、母と姉の間に生まれているが、戦時中に召集され、軍属としてインドネシアへの補給船に乗り組んだのだが、帰って来たら結核となっていて、そのまま約10年後に亡くなった。

長野県から嫁いできた伯母さんは戦後の復興期の繁忙期に、大変忙しい思いをしたようだ。母の実家であるから子供心に気安く、一番くつろげる場所だった。

夫婦とも教員であった我が家が、夏のボーナスをもらい、夏休みが始まるころになると必ず母の実家に行ったが、「銀座通り」を夜遅くまでからころと下駄の音が響いてさんざめいている商業地の独特の雰囲気の記憶はいまだに新鮮である。

とにかく日本は名うての天災大国である。地震はもとより火山噴火、台風・大雨による洪水や土石流などなど、毎年どこかで災害の起こらない年はない。

これに「戦災」が加わっては話にもならない。戦争は絶対に避けるべきだ、アメリカが何と言っても。

(閑話休題)

関東大震災の写真やフィルムがテレビでよく流されるが、あの惨状は戦時中に東京や他の大都市が焼け野が原になった様とそっくりである。

それもそのはず、太平洋戦争中のアメリカが日本本土への無差別攻撃の参考にしたのが、関東大震災による東京の惨状であった。

「紙と木でできた木造家屋が蝟集している町」はいったん火事が起これば、関東大震災の東京のようになることを知った米軍は、B29の爆弾攻撃の前にあらかじめ攻撃対象地区の周りに油をまき、そこへ爆弾(焼夷弾)を落とす作戦をとった。

作戦は上首尾に終わり、1945年3月19日の東京大空襲では約10万人が死んでいる。あの当時の米軍にとって日本人は虫けら同然の扱いだったのだ。戦争中とはいえ戦時国際法に違反する残酷な仕打ちであった。

(少しタイプは違うが、ベトナム戦争中に米軍はベトナムのジャングル地帯に「枯葉剤」という除草剤を撒いているが、発想は同じだ。)