天気予報では明日からしばらく寒さが緩むとか、でも今日も暖かでした。気温はそんなに高くはなかったのですが、風がなく日が燦々と照って…その中で洗濯物を畳むのはとても気持ちがよくシアワセ!…という感じ。
午後はリハビリへ…でも日が翳ってくるとどんどん気温が下がって、夜は5度にまでなるとか…
今日は先日観に行った「岩戸神楽舞」について、少し書きましょうか。
この岩戸神楽舞は、宇部の奥万倉二ッ祖(おくまぐらふたつさや)地区に約260年前から伝わる伝統芸能で、地元住民により口伝えで継承されてきたものです。1958(昭和33)年には山口県指定無形民俗文化財になりましたが、少子高齢化に伴って担い手が不足し、2008(平成20)年を最後に継承が途絶えていました。
それを地元有志が岩戸神楽舞復興委員会を2018(平成30)年に設立し、県の補助制度を活用して舞の復興の3ヶ年計画を策定しました。現在2020年12月5日の完全復活に向けて活動し、2年目の成果を見せる「仮上演」という形で、今回は披露されたものでした。
二ッ祖とは、二つの道祖神が鎮座することに由来する自治会名。この地は神話伝説に富み、敬神の念が厚く、殊に自治会の一隅にそびえる海抜300mの御伊勢山に奉祀する皇太神宮(天文14年奉祀)に対する尊崇は古来極めて厚く、その発露が奉納行事としての岩戸神楽舞の創始となったものだと。およそ200年前、長谷川庄兵衛なるものが当時の河本宮司家(河本現宮司の先祖)から伊勢式岩戸神楽舞の伝授をうけ、これを基本として同じ伊勢式別流の長所も取り入れ、奉納舞として創始したのがこの五調子岩戸神楽舞だといいます。当初は長谷川家をはじめ、大谷、古川、荒川、矢原、木村等(何れも現自治会同姓者)で連中をつくり、舞楽を分担し、一家相伝の特技として奉納していたんだそうです。
明治末期頃から自治会行事となり、一般若連中により毎年の奉納が行われ、満州事変後一時中絶しましたが、昭和31年幸いにして中絶当時の舞楽担当者が健在であったので、衣装用具等の一部を補充し、五調子岩戸神楽舞を完全に復興し、昭和33年4月に山口県無形民俗文化財に指定されたと。
岩戸神楽舞は神話天岩戸の場面を象徴表現するもので、御伊勢山に奉納するわけは、神威をおろがみ謝すると共に、上御武運長久、家運繁栄、五穀成就、馬安全を祈り、その旨を祝詞奏上するため。
この神楽舞は、十種十二座に天蓋操作が加わり、楽に合わせて演出されます。楽は太鼓、笛、摺り鉦の五調子で、この舞を正式に舞い納めるためにはおよそ4時間を要するのですが、今回は2時間の上演でした。そういえば、昔10年以上前にこの神楽舞を観に来たことがありましたが、確か眠たくなるまであったような…
岩戸神楽舞としては、扮装が非常に素朴で採物舞の多いことが特徴。だから一番、二番、三番…とだんだん眠くなったところに独特の天蓋(てんがい)操作がはいりますので、それで目が覚めます。終盤の三座はこの神楽が岩戸神楽舞といわれる由縁のもので、岩戸の舞(岩戸さぐり)、姫の舞(天宇受売命)、鬼の舞(手力男)という天岩戸の神話を仕組んだ見所のある舞。最後に弓の舞で、四方八方への特殊な祓い納めの呪術を帯びる弓の所作が行われて静かに舞い納められます。
見せ場の「天蓋操作」や「鬼の舞」などでは歓声や拍手が上がり、上演後には「前回の仮上演よりもパワーアップしている」といった感想の声も聞こえたと。しかし、岩戸神楽舞復興委員会の矢原久登会長は「まだまだ所作や呼吸などレベルは7割程度だが、活動も2年目となり地域外の方々にも多くのご縁をいただいた。その感謝と恩返しの意味も込めて今回は披露させていただいた」と話されていました。
地域の特産品である赤間インクで染めた田中杏侑氏の旗や、中村敦臣氏による切絵など、奉納された作品が飾られた会場には180席の椅子が用意されていましたが、超満員で周りに立っている人も大勢。私たちは早めに行って席を確保して、食事に行きましたので、前から3列目で観られました。でも、なかなか写真は…難しいです。みなピンボケですが、ないよりはマシかな?…と思って…許して下さいね。