ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝東北の名湯 3日間〟つづきの松島です!

2019年12月06日 | 俳句

 やはり天気がよくないと気分もよくありませんが、今日は今までの気になっていたことが一つ、いや二つかな…片付いたのでまあまあです。午後はリハビリへ。行ける時には真面目に行っておかないと…ここは〝継続は力なり〟ですもの。

 さて、昨日のつづきです。〝閖上の記憶〟のあと向ったのは、かの有名な日本三景の一つ、〈松島や ああ松島や 松島や〉の句でも有名な〝松島〟。ここでは2時間余りの自由時間ですので、私たちは先ず瑞巌寺へ…と来たのはいいのですが、昼食も取らなきゃいけないし、観光遊覧船に乗る時間も必要だし、ということで、瑞巌寺はパス。とても広そうだったし、見学したら時間が掛かりそう…入館料700円がもったいない!ということで、山門から覗いて写真を撮っただけで終りにしました。この近くで、やっぱり本物のずんだ餅を食べなくっちゃ!と、食べました。やわらかくて豆の香もよく美味しかったですよ。

 遊覧船の出航には少し時間がありましたので、一番近い松島のシンボル〝五大堂〟へ。ここは大同2年(807)坂上田村麻呂の創建と伝えられていて、後に慈覚大師が五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれています。現在の建物は、伊達政宗が1604年に創建したもので国の重要文化財に指定されており、松島湾の景色を臨む絶景スポットとしても有名です。東北地方最古の桃山建築で、ここは無料ですので次から次へと人で溢れかえっていました。

 お堂へ渡る橋は透橋と呼ばれていて、等間隔に隙間が空いています。しかし、縁結びの橋ともいわれているんですよ。それほど高さはないものの海が透けて見えるのでちょっとしたスリルが味わえます。ちなみに五大堂と呼ばれる所以は、厨子のなかに五大明王、不動、降三世、軍荼利、大威徳、そして金剛夜叉が安置されているため。これは平安時代中期に彫られたと言われる大変古いもので、秘仏扱いとなっています。ただし、33年に一度開帳されるのだとか。次回は2039年…エエッ。また、この五大堂自体は海の上に建てられているため、松島湾を眺めるのには絶好の場所ともいわれ、松林との組み合わせも最高!写真は、太陽が眩しすぎて…相変わらずのボケで、スミマセン。

 次は松島湾一周クルーズ、所要時間50分で1,000円のプランです。もう満席で、中程しか座れる席がありませんでしたので、後部デッキで潮風に吹かれながら、過ぎっていく仁王島、鐘島、千貫島、雄島、双子島など、たくさんの綺麗な島々(全部で260余もあるんですって!)と真っ白な水脈を眺めながら…。余りにも穏やかでいい天気でしたので、寒くもなくてとっても快適!この慌ただしい旅の中で、唯一時間を気にせずにのんびりと過ごせました。これぞ〝命の洗濯〟です。

 船を下りてから集合までまだ少し時間がありましたので、次は〝観瀾亭〟(かんらんてい)へ。この建物は文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で、江戸品川の藩邸に移築したものを二代藩主忠宗が一木一石変えずこの地に移したものと伝えられています。別名「月見御殿」ともいわれ歴代藩主のお休みどころだったということで、 現在観瀾亭では、抹茶等も提供されるとか…でもここも時間がなくて断念。のんびりと一服頂いて旅の疲れでも取りたかったなあ。エエ~ン…入館料は200円でしたのに。

 バスへ戻る途中、観光客など誰も見向きもしない道の隅っこにひっそりとある〝板碑〟を見つけました。

 板碑とは、日本中世における石造供養塔の一種で、石材を加工・整形し、種子、紀年銘、願文などを刻み、被供養者の極楽往生を祈願するものです。13世紀前半頃から関東地方の武士団を中心に始まった仏教文化の一つと考えられていて、日本三景に数えられる松島には、鎌倉時代以来多くの板碑が造立され、中世の霊場として知られているということです。その一角にある「雄島」には、現在も多くの板碑が存在しているらしいのですが、ここも時間切れで…。やっぱりツアーでは、行きたいところに時間を掛けてくれませんので、なかなか難しいですね。

 次は…まだまだあるのですが、今日はこれでオシマイ!

 

コメント (2)
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