予報通り朝から日が差して、いい天気になりました。午後からは俳句教室ですので、その準備をしながらのんびりとテレビを見るともなく見ていて…
〝ねえ、あの人俳優の〇〇さんの子どもだって…〟〝ふう~ん、そりゃあきっと親の七光りでテレビ出してもろうとるんじゃろ〟〝そうかもね。いいわね~。私も一つでいいから親の光がほしかったなあ…〟
〝さしずめ、二人とも何もないから自分だけの光でガンバルしかないのよ。そうそう、〈冬菊のまとふはおのがひかりのみ〉なのよね。これ分かる?〟〝うう~ん、まあまあじゃの~。でも親の七光りのことはワカランでよ〟と主人。〝ねえ~、もしかしてこれ私の句だと思ったの?〟〝そりゃそうじゃろ…〟〝ウア~ッ、マイッタ!あなたモグリやね~〟と、ちょっと陽気がいいもんだからこんなバカげた会話をしている二人…
〝もう恥をかくから他所では喋らんといてね!〟と言いながら、これは水原秋櫻子の代表的な名句なのだと説明してあげました。
見ると我が家の庭にも今赤い菊が終わった後、黄色の菊だけが咲き残っています。秋櫻子先生のこの句の菊もやはり白や黄の小菊だそうで…。
この句についての秋櫻子先生の自句自解がありましたので、よかったらご参考までにどうぞ…
菊は、立冬をすぎても咲きつづけた。中菊はすでに終わって小菊だけである。しかし残りすくなくなるほど大切にしたので、来る日も来る日も、白や黄の花が眼をたのしませてくれた。
つい十日ほど前までは、まだ鶏頭なども残っていたし、柿の木の梢には渋柿も眺められた。そういうものがお互いに光を持ち、その光をかわし合って、晩秋の趣を成していたのに、いまではすべてが無くなって、残っているのはこの冬菊だけである。白には白の光、黄には黄の光があるけれど、それはただ自分のまとう光だけで、まことにさびしい感じである。しかしさびしい中にも、どこか凜としたところがあって、澄みとおっている。私はときどき庭に下りては、その一輪を剪りとり、「鶴の首」といわれる白磁の瓶に活けて床の間に置いた。やがて朝毎に霜が下り、ついには霜柱さえ立つようになったが、それでも小菊は咲きつづけていた。八王子時代のよい思い出のひとつである。(昭和23年作・『霜林』所載)
さて、今日の句会の兼題は〝焚火〟。冬の季語です。「焚火」は、あの巽聖歌作詞・渡辺茂作曲の歌によって戦後全国に流行し、小学唱歌にもなりましたよね。
〈かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ おちばたき 「あたろうか」「あたろうよ」 きたかぜぴいぷう ふいている〉と歌うように、昔は寒い冬にはどこででも見かけられる風景でしたが、近年は防火的な意味で殆ど見かけられなくなってしまいました。ザンネン!だから住宅地で何か煙でも上がろうものならすぐに警察などが飛んで来ますもの。もちろん火遊びはよくはありませんけどね…
今回の最高点句は、〈大工らの朝一番の焚火かな〉でした。やはり外で働く人たちのこういう場面というのは誰でもすぐに納得させられますね。他にも「現場監督」や漁夫の「浜焚火」なども…