ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝焼藷(やきいも)〟の話だよ!

2020年03月25日 | 俳句

 今日もまたいいお天気で、気分転換に庭に出て草取りを…ついでに枯れ木を燃やして、これは庭にかまどが造ってありますので、そこで燃やして澳(おき)を造り本当に〝焼き藷〟をするんです。

 昔は自由に焚き火が出来ましたが、今は法令で野焼きや焚き火は禁止されています。我が家では庭で煮炊きをするのにかまどを造って、タケノコを茹でたり…今はもう止めましたが餅搗きをするのに使っていました。これはやっぱり…いけないのかな?ウウ~ン、もしそうなら皆さん内緒ですよ。シーッ!(笑)

 この写真の藷は、友人が畑で作った大きな、大きな藷で、さてどうやって食べようかと迷って、まだそのままおいていたもの…ほら、どうです?おいしそうでしょ! いい具合に焼けた藷を半分に切って、それをまた半分に。この4分の1だけでも食べるともうおなかいっぱいです。

 これで今夜は楽勝…というわけにはいきませんよね。やっぱりお藷さんだけでは栄養的には不十分でしょうから。では、何を追加して食べたらいいのかしら?

 ところで、〝焼藷〟は冬の季語。江戸に焼藷屋が現れたのは寛政5年(1793)といいます。栗に近い味の意で「八里半」という行灯(あんどん)を出して売り始めたのですが、その後、栗より(九里四里)うまいという意で「十三里」などの看板も現れました。屋台の石焼藷屋は、関東大震災で東京の焼藷屋の店舗が激減した後、盛んになったということですよ。

  鉤吊りに焼藷菩薩壺を出づ    皆吉爽雨 

    (かぎつりにやきいもぼさつつぼをいづ)

 今では殆どの焼藷屋さんは軽トラックなどに専用の釜を積み込んで、笛を鳴らしたり、「いーしやぁーきいもー」という独特の節回しで売り回るのが定番になっています。また、お祭りなどでお店を出していたりもしますので、何度か買って食べたことがあります。今はスーパーでも売っていますので、つられてつい買ってしまうことも。

 上掲の爽雨の句は、壺の中で藷を吊るして焼く〝壺焼藷〟のこと。私の子供の頃は駄菓子屋などでよく見かけましたが、壺型の器の中に鉤の手の針金で藷を吊し蒸し焼きにするものです。その鉤で吊り下げている藷を〝菩薩〟に見立てたものでしょう。しかし、庶民の食べる藷という超世俗的なものと俗世を超越した仏、それもお釈迦様が修行中の頃の姿であるという菩薩なんて。それを結びつけたところが、なんとも可笑しくってつい吹き出してしまいそう。さて、さて、お藷菩薩様はこんがりと色よく焼かれてどんなお顔で出てこられたのでしょう。想像するだけでも楽しくなりませんか。更にそれをアッツといいながら、菩薩の頭からパクりと…ああ、これぞ至福のひととき!……なんて、…いかがですか?

 考えてみれば、子供の頃のおやつにはふかし藷が多かったので、また~!という感じであまり好きではありませんでした。しかし、結婚してからは、母が送ってくれる畑の藷が懐かしくて、よく食べるようになりましたが、主人は嫌いだといってめったに手をつけませんでした。それなのに時々焼藷にすると、おいしいといって食べるんですよ。確かに焼藷にすると食べたりして、嫌いという人が減りますね。特に女性は…。なぜなんでしょう?

 ああ、そうそう、私が最初の子の妊娠でつわりがひどく何も食べられなかったとき、この母の藷だけは受け付けて吐かなかったんです。なぜなのかは分かりませんが、本当に不思議でした。だからといってその子…女の子でしたが、藷が好きで好きでたまらないということでもないんですがね。あのつわりって何だったんでしょう。このことは主人も覚えていて、時々〝あのときは藷ばっかり食べてたよなあ〟なんて、懐かしい話です。

 もう一つ、〝焼藷〟には、私にとって忘れられないことがあるんです。まあ、聞いてください。

 それは私が初めてのインターフェロン治療を受けた平成5年(1993)のこと。半年間の苦しい治療が終わったとき、やっとの思いで俳誌「馬酔木」に投句した五句が初めて巻頭になったんです。

 今は亡き水原春郎先生がその五句の中から秀句として取り上げ書いてくださったのが、次の句とその下の鑑賞文。

  焼藷を包める今も新聞紙

焼芋と古新聞紙、なんとも懐かしい。父が懐から取り出す焼藷、勿論、新聞紙にくるまれていた。俳句は気品の高いことも大切。しかし、時にはこのような軽妙な句も悪くない。

 ちなみに、そのときの他の四句は、

  河豚雑炊(ふぐぞうすい)一気に啜(すす)り厄落し

  蕪煮(かぶらに)や病後を久に厨事

  薬害の日にけに薄れ日記買ふ

  大根の菜飯の青さ食戻る

 振り返ってみると、今更ながらどの句もこれといって取り上げるところのない未熟な句ばかり。だってまだ馬酔木に投句し始めて5年足らずですもの。最初の句などは〝河豚〟も〝雑炊〟も冬の季語。おまけに〝厄落し〟まで…なんともお恥ずかしい限りです。しかし、私にとってその時はただ投句するだけで必死だったのです。句の出来の良いの悪いのなんて全く問題ではなく、ただひたすら五句揃えて出すこと、それも絶対に欠詠しないようにということ、それだけを守るのが精一杯だったんですから。きっとその様子が春郎先生には毎月の選句で、手に取るようにお分かりになったんでしょう。だってなんてったって、正真正銘のお医者様なんですから。それで、やっとの思いでその地獄のような闘病生活を終えて、平常を少しずつ取り戻そうとしている私への、これは、句の善し悪しを抜きにしての先生からの〝エール〟だったんだと、あの時も今も信じています。初めての巻頭は、まるで夢のようで、今までのあの苦しみが一遍に吹き飛んでしまった気がしました。やっぱり春郎先生は〝名医〟だったんです。

 本当にありがとうございました。あ~あ、こんなこと書いてたらもう一度春郎先生にお会いしたくなりました。お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん…み~んなあっちへ行っちゃって…、もし先生に会ったらよろしく言ってくださいね。

 今日は〝焼藷〟から変な話になりましたので、八重山の話は次にしますね。では、また…

コメント (2)
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