神名火だより

出雲地方・宍道湖周辺で撮影した四季折々の写真です。
時々、自作パソコンの話題もあります。

19年前のイタリア旅行記(2日目)

2011年11月10日 06時57分45秒 | 旅行

2日目(ミラノ)


ミラノの朝、イタリアは
 ミラノ観光初日です。起床して窓を開けると天候は曇り。テレビの電源を入れ、幾つかのチャンネルを切り替えてみます。ニュース・天気予報らしい番組では何を言っているのか解らないが、地図の上には雨マークは見えません。雲と太陽のマーク。まあ、天気は良さそうです。ニュース番組は同じ内容を何度もリピートして放送しています。

 子供向けの番組では、なんと日本製の戦隊ヒーロー物をイタリア語吹き替えでやっています。日本人の子供とオッサンが早口でイタリア語をしゃべる図はとっても違和感があります。コマーシャルでは変形するバンダイの超合金(古っ)のロボットが足から火を吹いて飛んでいます。ちなみに、夜の番組では「関口宏のクイズ100人に聞きました」をやっていました。出演者はもちろんイタリア人。司会者の身振り手振りは関口宏と全く同じ。解答者の机をバンと叩くところまでコピーしています。収録スタジオの観客が「ある、ある、ある」という声も日本のそれと同じです。番組のフォーマットを輸出したものなのですね。

 ホテル従業員は依然ストライキ中。朝食はホテル内のレストランでビュッフェ形式ですが、出されたものはコーヒー、紅茶、パン、バター、ジャム、ハム、変わった味のトマトジュースくらい。とっても質素です。ヨーロッパの朝食はこんなもんだろうと納得して頂きます。でも、今日の活力はこの朝食。幾つかの甘くてパサパサしたパンとコーヒーでお腹を満たしました。

 ツアーメンバーも何となく同じテーブルを囲み、なぜか皆がテレビの話題。「懐かしいアニメをやっていた」。「イタリア語のキャンディ・キャンディは似合っているよね」。「イタリア語の戦隊物は笑っちゃうよね」。同年代の我々は、しばしこの話題で話が弾みました。いったん部屋に戻り、前夜に指定された時刻にロビーに集合。本日の予定をレクチャーされ、バスに乗り込みます。運転手さんには練習どおり「ボンジョルノ」。まずはスカラ座に向かいます。

ミラノ・スカラ座
 ホテルからスカラ座までは一本道のようです。路面電車の走る道にそってバスは走ります。ホテルから同乗した日本人の現地ガイドがミラノの街について、イタリアを代表する商業都市であること、大阪市と姉妹都市であること、ファッション関係のショップはこのあたり、などと説明をします。そうこうするうちにスカラ座に到着です。


 スカラ座周囲の街の風景を写真に撮り、ツアーメンバー相互にカメラを貸し借りして記念撮影。この日の天気は曇りで空気に霞が混じっています。石造りの建物は寒々とした印象です。都会の中心なのでスモッグのようにも感じます。朝一番ということもあり、周囲には観光客はおらず、通勤途中のサラリーマンらしき人々が行き交っています。なんだか場違いなところに来たようで、遠慮がちに写真撮影タイムです。

 イタリアオペラの殿堂であるスカラ座は外から見ると意外に小さな建物です。向かって左側には博物館が併設されています。上演で使われたであろう様々な衣装と共に、歴史に名を残した有名音楽家の肖像、遺品が展示されています。マリア・カラスの肖像画、ショパン、トスカニーニの手の石膏模型、指揮棒、舞台で用いられた小道具のランプ等々。撮影はOKでした。最後に、劇場の中をボックス席から見せてくれました。この時だけは撮影禁止。スカラ座内部は天井に大きなシャンデリア、舞台と1階普通座席の間にオーケストラボックス。周囲は4階まであるボックス席で囲まれています。壁は漆喰のような白で、金色の装飾、座席シート、ボックス席は真紅のベルベットのような光沢を持つ生地で彩られ、まさに豪華絢爛。舞台の上では次の上演に向けて大道具さんが何やら階段のようなセットを組み上げています。




 スカラ座に隣接する建物では工事中のところもあります。工事現場を囲む板には建物をあしらったイラストが描かれています窓には人間まで描かれています。日本のように決して無粋なグレーの鉄板ではありません。街の美観を壊さぬよう意識した粋な計らいが見て取れます。


ドォーモへ、スフォルツァ城へ
 スカラ座の隣はヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世ガレリア。世界でも屈指の美しいゴシック様式のショッピングアーケードです。天井はドーム状の鉄骨にガラスの屋根。床には色とりどりの大理石でモザイク画が描かれています。有名ブランドショップが軒を連ねていますが、午前中の早い時間であり、お店は開店前。通勤の人々が行き交います。床のモザイク画についてガイドさんの説明がありました。

 ガレリアを抜けると白亜のドゥオーモ。ミラノ大聖堂です。ゴシック様式の教会建築を代表する建物で、屋上には135本(もっと多いような気がする)の尖塔が立ち上がり、教会前の広場から見上げると、その大きさ高さは圧倒的迫力です。広場のドォーモの反対側のビルには様々なブランドの看板がひしめき合っています。日本のブランドもあります。



 ドゥオーモの中に入ってみましょう。外観の白さから打って変わって、黒く、暗いです。ローソクの燃える匂いが立ち込め、宗教儀式の場であることを教えてくれます。最も奥、祭壇の周囲には大きなステンドグラスがあり、その色彩の素晴らしさには目を見張ります。ガイドさんの話によると、この色彩は現在の技術では再現できず、補修された部分は色が濁って見えます。戦時中には連合軍の空襲を避けるために分解して安全な所に疎開させたとのこと。歴史と伝統、信仰を守るためには大変な努力が払われたことが解ります。ドォーモ内部の撮影は可能ですが、信仰の場であるのでお祈りしている人にはカメラを向けないで下さいとの指示がありました。



 再度、ここでバスに乗り次の目的地スフォルツァ城へ。白亜のドゥオーモとは対照的に茶色のレンガ造り、重厚、堅牢な要塞です。城門は跳ね上げ式の橋で堀を渡り、場内に入ります。現在では空堀であり、草が生い茂っていますが、その中の所々に戦いに用いられたであろう大きな石が積み上げられ、野良猫が作ったという獣道が一筋みられました。お城は現在では博物館として内部が公開されているそうですが、入場せず建物周囲での記念撮影で終わりました。


 昼食はバスで移動。ミラノの街はドゥオーモを中心とする歴史的町並みと、近代的な高層ビルの立ち並ぶビジネス街、運河が張り巡らされた下町とに分けられるようです。昼食は運河の近くの、ファッショナブルなレストランで頂きました。ここでは水も有料です。日本では水は無料サービスですが、これは世界的には例外。添乗員さんのアドバイスでは安価なハウスワインならば価格は水と変わらない。イタリアは地域ごとに特色のあるワインがあるので、アルコールのいける人ならばワインがおすすめだそうです。ならばと、ツアーの中で飲める人たちはテーブル単位でハウスワインを注文しました。ピッチャーに入ってきたよく冷えた白ワイン。微炭酸で甘口、フレッシュなぶどうの酸味が乾いた喉を潤します。昼間からお酒を飲んでちょっとした罪悪感もありますが、そこは海外旅行の開放感が勝ります。食事代金はツアー代金に含まれますので、飲み物分だけテーブルごとに割り勘で支払いました。このあたりの会計は添乗員さんがうまく取り計らってくれました。

 ところで、イタリアはワインの生産量世界一だそうで、フランスではないのですね。ワインとくればフランスなのは、ボルドーワインを代表として輸出振興つとめた成果だそうです。イタリア人は輸出するよりも自分たちで飲んじゃうので輸出は少ないそうです。

 次に、カメオの専門店へご案内。商店街らしくない住宅地域にあるショップでしたので、旅行客専門に商売をしているお店の様です。購入の義務はないので、ひやかしでも良いとのこと。トイレ休憩のつもりで入店してくださいとのことでした。カメオのブローチなどを手にとって見ましたが、彫りの緻密なものほどかなりのいい値段がします。当然ですね。

最後の晩餐は質素
 再びバスに乗って次はサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。あのレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」を見学です。目的とする教会とは少し離れたところから徒歩で行きます。意外と地味な古ぼけた教会。ここに世界的名画があるとは思えない佇まい。

 教会の中に入るととても暗く、はるか遠くに「最後の晩餐」がありました。ただ、絵の前には修復のための足場が組まれており、全容を見ることは叶いませんでした。撮影は絶対禁止。それでもたまにフラッシュがピカリと光ります。係員の鋭い目付きで睨みつけます。こんなときはストロボの自動発光をキャンセルしておかないと。誰かが冗談に「この光でこの絵の寿命が1秒くらい短くなるかもね」。


 ミラノ観光は一応終了。バスは再びドゥオーモの前まで戻り自由行動になります。夕食の時間までにホテルに戻れば良いです。おみやげ購入はこのあとの旅程もあるので控えめに。ドゥオーモの隣のデパートを見物がてらちょっと覗いてみました。1階の化粧品売り場の香水のきつい匂いに圧倒され、そそくさと店を出ました。日本人の嗜好には合わないようです。

 ミラノのドゥオーモは屋上に登られます。午前中にガイドさんにそう聞いていましたので入口を探して、料金を支払い上にあがりました。階段利用とエレベーター利用では入場料金が違います。もちろん安いのは階段です。狭い螺旋階段をグルグルとひたすら上を目指して登ります。屋上は大理石の屋根の上を歩けるようになっています。屋根部分は傾斜がきついのでヒールのある靴は危ないです。運動靴をお勧めします。ヨーロッパの古い街は石畳が多く、踵の細い靴は足首を捻挫することがあるそうです。あえてゴム底の履きなれた靴を昼間は使いました。大正解です。

 地上からは細く見えた尖塔が間近で見えます。1本1本に細かな聖人の彫刻が施されており、建物の建築学的なすばらしさの他に、装飾の芸術性にも目をみはる物がありました。ひと通り見学して記念撮影。そろそろ下に降りようかということで、何となくエレベーターに乗ってしまいました。階段チケットなのにね。下に着いて係員がチケットを確認すると、実は階段用。屋上へ強制送還。エレベーターは我々を載せたまま再び上にあがります。杓子定規というか。仕方なく階段をトボトボ降りたのであります。



最初の晩餐
 時刻は夕方近く。と言っても11月のヨーロッパは日が暮れるのが早いです。ホテルに戻るに、朝、バスで見た路面電車の姿と建物の特徴を頼りに「こっちの方向でしょ」。歩き始めました。方向音痴ではない自信があります。見知らぬ土地でも、一度歩いた道はたいてい覚えています。この過信が数日後ちょっとしたトラブルになるのですが・・・・。

 途中、ツアーのメンバーの姿を見つけ、「やっぱりこっちでいいよね」。知らない街で、昨日知り合ったまだ名も知らぬ日本人と出会い。不思議な安心感に浸ります。バールに立ち寄り「ビールでも飲もうか」。自由行動の緊張感が一気に解けます。イタリアの街にはそこかしこにバールがあります。日本で言えばコンビニエンスストア。軽食と飲み物も提供されています。レジで先払い。レシートをカウンターの店員さんに渡してビールをもらいました。

 さらに数分歩いて無事ホテルに到着しました。その夜はホテル近くのレストランでディナーです。添乗員さんの指示で夕食は基本的にフォーマルでお願いしますとのこと。昼間のカジュアルな服装から、スーツ、ネクタイ、革靴で服装を整え、徒歩で共和国広場の反対側のレストランへ移動しました。ツアー客一同がテーブルを囲み、これからのツアーの無事を祈って乾杯、食事をしながら自己紹介。飲み物は当然ワイン。

 料理は何を食べたのか、あまり記憶に無いです。出てきたリゾットはお米に芯があり「生煮えじゃないの?」という人と、「日本のリゾットは煮え過ぎでおじや!」という意見も。日本のイタリアンは独自の進化を遂げているようです。最後のデザートにミルフィーユが出てきて、それがあまりにも大きく満腹で受け付けない人が続出。アルミホイルに包んでもらって、ホテルに持ち帰る人がおりました。



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