広島、長崎が共同で2020年の五輪開催都市に立候補するというニュースを耳にしました。
時を同じくして、アメリカのオバマ大統領が核廃絶を訴えたことが評価され、ノーベル平和賞を受賞したという話を聞きました。
アメリカ国内をはじめ欧州でも「オバマはまだ何もしていないのに」という意見が多く聞かれますが、オバマ大統領をはじめ、世界はヒロシマ・ナガサキに原爆が投下されてから75年後にあたる、その2020年の核廃絶を目指しているのだそうです。
核兵器の話をするとき、世界中どこへ行っても必ず話題に出るのがヒロシマ・ナガサキのこと。
戦争の歴史を持つ場所や、中東方面の反米感情のある国等を旅していて、自分が日本人だとわかると、他国の人達の口からヒロシマ・ナガサキについて同情的な言葉をかけられたりすることがあります。
また以前に他国の人から、ヒロシマ・ナガサキについてどう思う?と自分が聞かれた際、別の他国の人から「それはデリケートな話題だからむやみに聞くのはよくない」といった言葉をかけられたことがあります。
その時は「全然大丈夫だから」と笑って返した気がしますが、一方で自分は「ヒロシマ・ナガサキであった出来事」を知識として知ってはいても、知っているだけで、それ以上でもそれ以下でも無いのではないか?という思いが脳裏をよぎったことを、今回の五輪招致の話を聞いた際にふと思い出しました。
「愛情の反意語は憎しみではなく無関心である」という言葉を聞いたことがあります。
先程の言葉ではないですが、世界で唯一の被爆国である日本人は、ヒロシマ・ナガサキ・核というものに対して、特別な感情がきっとあるはずだと他国の人達は思っているのに、自分を含め多くの日本人は「遠い過去の歴史」にしてしまっている事実があります。
確かに毎年夏の季節になると、必ず原爆の話題がメディアでとりあげられます。
しかし戦争というものにリアリズムを感じられない、我々多くの日本人にとって、それは毎年繰り返される単なる情報になってしまっていて、そこで何を考えることなく、ひょっとすると何も感じることさえ無く、自分達を通り過ぎて行っているのではないかと思います。
2020年の核廃絶を世界に訴える為、ヒロシマ・ナガサキ両市がこれからアピールを続けていくのでしょうが、ひょっとするとそれは「世界に対して」というより、「我々日本人自身に対して」とても意味のあることなのではないかと思っています。
「五輪なんて別にどこでやったっていいじゃないか」、「税金の無駄使いだ」等、色々な意見があるでしょうが、未来に向かってほんの少しでも世界が良い方向へ進むように、自分は両市の五輪招致運動を応援して行きたいと思います。
※写真:原爆ドーム(広島)