拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

2011年インターネット革命

2011-02-21 | 旅人のひとりごと


チュニジアの青年による焼身自殺による抗議をきっかけに、インターネット上のSNSを通じて瞬く間に民主運動が広がり、チュニジア、そしてエジプトで数十年続いた長期独裁政権がわずか数週間で崩壊しました。


それは隣国であるリビアやスーダン、そして現在はバーレーン、ヨルダン、クウェート、イエメン等へ飛び火し、その流れは中東のみならず、中国までも飲み込みそうな勢いを見せています。


これまで政変を達成した多くの革命は、沢山の血が流れる武力と武力がぶつかり合うものが多く、キューバでのチェ・ゲバラや、フィデル・カストロのような、カリスマ的武闘派リーダーを中心としたものが、この数十年世界では多数派だったと記憶しています。


しかし今回のそれは、ごく普通の一般市民の若者達が、インターネットを使って、まるで学生サークルの延長線から、さらに社会現象へと繋がる大きなうねりを生み出し、政権を倒すまでに至っています。


ひょっとすると後年に2011年を振り返った際、「インターネット革命の年」と呼ばれるような歴史的な出来事に、我々は今遭遇しているのかもしれません。



しかし一方で、日常生活の不満から政権を倒したものの、絶対的なリーダー不在の中、それぞれ利害や主張の異なる人々達が、勝手な利権争いの駆け引きをはじめ、その中にはイスラム過激派の危うい存在もあり、これまで比較的欧米よりだった大きな観光資源や石油資源を持った国々が、先の見えない大混乱の中にあります。


アメリカは得意の2枚舌で、これまで西側寄りだった旧独裁政権を支持していたのを忘れたかのように、次の権力者に摺り寄るための準備なのか、民主主義万歳的なコメントを多発しています。
(アメリカの政治家は、メインスポンサーであるユダヤ社会の意向に逆らえないのでしょうが)


しかし民主主義云々を言うのであれば、1日も早く平和的に、当事者であるその国の民にとって、正しいリーダーを選ぶための仕組みづくりを支援することこそが重要だと思います。(治外法権云々を言うのであれば、それこそ国連を中心としてできることがあるはずです)


一方で遠い国の出来事として今回のインターネット革命の報道が、日本のテレビ番組で流れていますが、実は日本も決して他人事ではないような気がしています。


思い返してみれば、第二次大戦後に日本に君臨した、長期独裁政権と言ってもよい自民党政権を倒しはしたものの、その後「繰り上がった」民主党政権では迷走が続き、気付けば今や国民そっちのけで権力争いに突入、高々と掲げたマニフェストは、実質的に実現不可能なものだったことを認めてしまっています。

国民は真のリーダー不在の中、自民も駄目、民主も駄目、そして政治の舞台は地方自治の方向へと向かいつつありますが、いまだ先の見えない不透明な状況です。



自分達の国の未来を決めるのは、他でもない自分達自身であり、日本も同じように、今の政治が駄目ならば、憲法の見直しを含めた、「正しいリーダーを生み出す為の仕組みづくり」の検討が必要では無いでしょうか。


今の政治が駄目なのは、国のリーダーが結局のところ国会上の数の論理で、「政権与党(政治家)によって、総理大臣(国のリーダー)が選ばれる図式」というのも一因だと思っています。


もちろん行政を支えるための仕組み・体制も重要ですが、半世紀以上前に占領国のアメリカにとって都合よく作られた時代遅れの仕組みではなく、同国の大統領選挙のように国民によってリーダーが直接選ばれるような、国民の声が直接反映され易いような仕組みへと、政治の枠組みを再構築しようという動きがもっとあってよいのではないかと思っています。



今の日本の政治が駄目なのは言うまでもありませんが、まるでワイドショーのように、持ち上げるだけ持ち上げて、その後突き落として叩けるだけ叩いて数字を稼ぐ、ご都合主義な日本のマスコミの責任もとても大きいと、個人的には思っています。
(もちろん「世論」や「流行」の名の下に、そのマスコミに踊らされている、我々国民にも責任はあります)


日本の若者達も、就職先が無い、未来に希望が見えないと肩を落とすだけでなく、自分達の手で希望を生み出す為に何が必要なのか、何ができるのかを、我々自身が考える時期に来ているのではないかと思います。



ごく普通の一個人が、「自分の声」を発することの出来るインターネットという便利な道具。

世界では発展途上国と呼ばれる国の人達が、このインターネットを使って、自分の国を変えようとしています。



先進国と言われながらも、中国にGDPを抜かれ、自国の市場は先細りと言われる日本は、確かに今1つの岐路に差しかかっています。


しかし世界の外側から見てみると、日本という国、そしてそこで生きる日本人は、自分達が思っている以上に世界から尊敬&信頼されており、目を見張るべき素晴らしいもの、世界で活躍できるだけの素晴らしいものを沢山持っています。



1人の人間の力はとても小さいものだけれど、その力が集まれば国を動かす程の大きな力になることを、チュニジアやエジプトの人達が証明してくれています。


自分の国と自分自身の未来の為に、今何かできるのかを、我々国民1人1人と、日本のマスメディアが、考えなくてはいけない時だと思います。



写真:チュニジア内陸部の都市でみた青空市場(2007年)