川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

川越芋太郎の世界へようこそ!
一言メッセージ・「美」の探訪ブログです。短編小説などもあります。

美の壺:英国家具

2011-05-07 21:05:46 | 美の番組紹介
美の壺:英国家具


少し前に放送された英国家具の壺を
今回は紹介します。
番組の3つの壺を最初に今回は記載
します。


美の壺

1、パティナを愛(め)でよ
2、時を超える構造美
3、装飾に王たちの歴史あり


さて、パティナとは、パティナは、日本では、
「古艶(ふるつや)」と言います。
時を経たものほどかけがえのないものなの
という考え方でしょうか。


次の壺は、美しさを追求した構造ではなく、
あくまでも、丈夫で人に優しい家具を目指し
生み出された結果の構造である。
多くの人に親しまれて歴史を超えた。


英国家具には「椅子文化」の西欧ならでは
の特徴があるという。
それが、王侯文化との密接な関わりです。


英国家具に対する人々の好き嫌いは、この
3つの特徴から生み出されます。
私などは、好きなのですが、嫌いだという
方々も多い。
それが、重苦しいとか、やぼったいとか、
表現される所以でもある。


番組で英国家具を紹介されていたとき、
ふと考えたことがある。
「日本の古民家と似ているな。」
そんな印象があります。


すすで黒ずんだ柱
どっしりとしているが暗い雰囲気
刻まれた年輪を感じさせる艶
ぼってりとした図体
などなど。


どうやら、英国家具が日本人に受け入れ
られている理由がこの辺りにあるような
気がする。


実は、川越芋太郎の書斎は、以前お話
いたしましたが、英国調が目標で家具を
揃えてきました。
30年以上経過して、ようやく、少しばかり
形になりました。
本の量も書斎の家具類たちも。


一番のお気に入りは、机。
マホガニーの机。
(天板と脚だけですが))
転勤先で偶然見かけて、衝動買い。
といっても、給料袋では足りませんでした。
以来、私の会社人生の長さと同じ年輪を
重ねています。
(妻よりも付き合いが長い・・・笑)


転勤で各地を転々とした結果、傷だらけ。
しかし、ようやく、その傷に味わいが出て
きております。
書棚も、椅子も、机上の小物も、
私の人生と歩をともにした仲間です。


これが、家具の面白さです。
英国家具は、この面白さを数倍に拡大した
年輪(歴史)を重ねています。
魅力が無い訳がないですね。


富裕層でもない私には、少しずつ集める
ことが方法でした。
それは、材質と色と英国調を重視した
選択を心がけました。
マホガニー、オーク、ウォールナット。
色は濃い目の茶を基調に。
いまでは、この部屋で、ウィスキーを
頂き、音楽を聴き、本を読み、文章を
記載する。
これが最高の贅沢です。


しかし、価値観は人によるものです。
娘には、「お父さんがなくなったら処分
するといわれています。」
父としては、できれば、味がわかる旦那様
を見つけてくれることを祈るばかり。
(笑)
ま、最後は、本は図書館にでも、寄付して
くれればと願うばかりです。


宝とは、それぞれの思いでつくられる。
万人が求める宝などない。
それは、その時点で宝といわない。
宝、己だけのもの。
それで、いいのではないでしょうか。
だから、お金は宝とは言わない。


英国家具は確かに、個人の宝としての
可能性を見出せる材料です。
それが、本日の壺の3つでしょう。
もう一度、美の壺をおさらいしましょう。


美の壺1:時が生み出す味わい
美の壺2:道具としての完成度がある
美の壺3:愛着が生み出す宝物


川越芋太郎流の壺です。
本日は番組の構成から離れて記載しました。
悪しからず。


平成23年5月6日 

リンク 美の壺http://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file205.html


英国家具の愉しみ その歴史とマナハウスの家具を訪ねて
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英国スタイルの部屋
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美の壺:ティーセットの美

2011-05-05 21:52:32 | 美の番組紹介
美の壺:ティーセットの美



美の壺も新しい時代帯になり、楽しみ
が減退しました。
木曜日夜7時半は川越芋太郎にとり、
少々鑑賞時間が合いません。


そこで奥がビデオに入れてくれるので
すが、ビデオ入れてしまうと、
なかなか見ないで貯まってしまいます。


さて、本日はティーカップがテーマ!



<美の壺1:水色を引き立てる白>


ティーカップを良く見ると、内側が白
で統一されています。
たまには、内側に少しばかりの絵柄も
ありますが・・・。
いずれにしても、白が引き立ちます。


理由は、紅茶の色と密接に関わります。
内側の白は、水色を綺麗に出す。
カップの白は紅茶の綺麗な色の特徴を
表すためにある。
絵柄が押さえられているのも、理由が
あった訳ですね。


さて、同じティーカップでも製造元に
よりまして、白色に相違があります。
マイセンなら落ち着いた白が特徴
リモージュならガラス製品を加味した
透明度が高い白
ボーンチャイナは牛の骨を利用した
明るい白が特徴です。


器の白は、紅茶との相性もあります。
例えば、黄色味が特徴のダージリング
ならボーンチャイナがぴったり。
キートンはリモージュ、
暗い赤が特徴のアッサムなら
マイセンという具合です。

あなたも、紅茶をいただくとき、
器をご覧ください。
外出先で紅茶を注文したおり、
店のお茶と茶器の関係まで見えたら
通ですかね。



さて、西欧における紅茶の歴史には、
特徴的なことがあります。
それは、非常に高価な飲み物であった
という事実です。
これは、紅茶道ならぬ、紅茶の飲み方に
その特徴があります。


富と階層です。
平たく言えば、高貴な飲み物であった。
無論、時代とともに市民に拡張される
わけですが。



<美の壺2:ティーカップは
      物語の舞台>



紅茶道ならぬ、富裕層の飲み物。
ゆったりとした時間の共有化。
これが、紅茶をいただくときの鍵。


番組で紹介された飲み方のコツ。
まず、ソーサーごと、持つ。
ソーサー(カップも)は胸の高さまで
持つあげていただく。
ティーポットは女主人の占有物。
かってに注がない。ソーサーごと、
彼女へ手渡します。


あくまでも、優雅に。
同時に、会話を引き立てる小道具とし
てカップ&ソ-サーが利用された。
絵柄には、主人の思いが込められた。
美的センスや知性を感じさせる。
勢い、歴史性や物語性を表現した絵柄
が取り入れられた。

昔のカップには多いようですね。



<美の壺3:銀器が放つ英国の輝き>


欧州での食器には、銀器が多い。
ティーを楽しむ茶会にも銀器は
少なくない。
銀器は富の象徴であり、同時に
毒殺防止の有効手段でもあった。


はい、世の常ですが、王侯貴族の世界
には、毒殺の危険性が付きまとう。
銀器はイオウと反応すると黒くなる
特徴があり、毒を未然防ぐ効果が
活用された。

さて、毒殺から話を戻して、
銀器には、渋さと豪華さがある。


お茶会といえば、菓子がつきもの。
お茶会で利用される銀器には、ポット
・ナイフ・スプーン・ケーキスタンドが
あげられる。
図柄には、東洋への憧れが込められて
いるものが多い。
貴族階級の東洋世界への思いが
感じますね。


茶会、取り分け、夕刻4時から始まる
お茶会は
薄暗い部屋で
ローソクの光の下
優雅にいただくお茶も
これまた楽しく、癒し効果がある。


部屋全体が優雅さを醸し出すような
雰囲気を作る。
この辺りは西洋の真骨頂ですね。
カーテンからテーブルまで
無論、ティーセット全てが
統一された空間でお茶をいただく。
東洋や日本とはまた違う、
お茶の飲み方を工夫したようです。


どちらにしても、現代の私達は、
東洋・西欧を問わず、お茶を楽しめる。
こんな幸福を味わうことが出来た人々
は今の時代しかいないのではないで
しょうか。
命の心配もせずに(笑)


コーピーも美味しいですが、
英国流に紅茶で優雅な時間を過ごす
これもまた、嬉しい。
日本茶とお菓子も魅力であるが・・。


食いしん坊の川越芋太郎より

ビデオにした番組をまとめ様かな
と考える子供の日でした。

平成23年5月5日

紅茶を楽しむ―ゆったり贅沢なティータイム
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英国スタイルで楽しむ紅茶
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ホテルのような列車!「公」のデザイン哲学

2011-04-25 20:52:46 | 美の番組紹介

水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン
を読んで (2)


水戸岡氏の「公」のデザイン哲学

私を大切にすることが「公」に通じる
個性を大切にする⇒満たされる
⇒自分が心地よい⇒笑顔⇒言葉・会話
⇒周囲へ波及
⇒自分が多くの他人といることを知る


このプラス波及効果を考えている。


本書の中の言葉を列挙します。
あなたはこのどの文から感じるものが
ありますか?


1、旅の贅沢を味わっていただきたい
  それはホテルのような列車
  ホテルとは多様性があること。
  多くの人々のニーズを満たす。
  そういう心地よい空間を造る
  五案に訴えた思い出を作って
  いただきたい。


2、荒んだ空間にいれば、人はどうで
  もいいという気持ちになる。
  酒も飲むし、ゴミも散らかす。
  混乱しているなら、デザインで
  整理しよう。
  むしろ、人は混乱の中で生きてい
  る。ならば、整理された空間が
  心地よい・楽しいはずだ。


3、伝統文化への目線
  新しいことをやることは恐ろしく
  て恐ろしくて。
  アイデアの実現を躊躇ものだ。
  しかし、それを超えて伝統工芸の
  良さを伝えたい。
  伝統工芸の良さは残念ながら一般
  の人に理解されていない。
  理解してもらうには一般人の普通
  の暮らしに入り込めていないから
  。


4、文化を創り進化させる行為の基本
  は質の高いコピーである。
  先人のコピーは次の世代へのコピ
  ーとなり、少しずつ練り上げられ
  る。
  著者権は邪魔をする。
  文化の進化の流れを阻む。
  100%のオリジナルなどない。
  権利主張は傲慢であると考える。
  私は、だから主張しない。


5、1つの素材を使い切る
  これが正しいデザインである。
  一本の樹木を上手に利用する。
  膨大な図面を引くことになるが、
  義務だと思う。
  自然素材を扱うことは手間隙をか
  けることだ。
  面倒を嫌い、全てを簡素な方向に
  する現代の典型的考えに賛成でき
  ない。
  面倒から逃げることは多くのもの
  を失っている。


6、働くということは人にサービスす
  ること。
  生きるためには才能なんてどうで
  も良く、利己主義を捨てて、利他
  主義になればいい。
  人のことを考えられることは能力
  が高いということ。


7、現代人は公共性を失いつつある。
  見知らぬ人とコミュニケートする
  ことを面倒と考える人がいる。
  他人いることの楽しさと難しさを
  学ぶ機会をうしなっている。
  コミュニケートできる空間を造り
  たい。
  日本は昔から狭い国土で多くの人
  々が暮らしてきた。
  その中から思いやりや自我を抑え
  ることを学んだ。
  公共空間にはそれが不可欠だ。


いかがですか。
さっと本書から拾ってみました。
デザインを超えた何かを学ぶことが
出来ませんか。


平成23年4月23日 川越芋太郎

九州鞘y道紀行 JR九州と水戸岡鋭治の世界 [Blu-ray]
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バンダイビジュアル

面白い番組を紹介します!(にほんの芸能)

2011-04-16 10:15:21 | 美の番組紹介
面白い番組を紹介します!


すでに、私のブログを読んで頂いて
いる方々は、説明の必要がないかも
しれませんね。
(多分、観ておられると想定します。)


NHK教育の「日本の芸能」です。
内容はニ部に分かれている1時間番組
ですから、長いですね。
あえて、分離して見て頂くこと
も可能であると考えます。
(番組制作者様ごめんなさい。)


現在第三話が終了しました。
美の壺の後番組としての時間帯です。


以下構成を紹介します。


1、花鳥風月堂
  壇れいさんの着物姿が魅力的
  いや、失礼しました。
  話がわき道に。
  視聴者はこの風月堂を通して、
  日本芸能への接点を得ます。
  豆知識は参考になりますよ。
  骨董品屋さんと京の老舗が合体
  したようなイメージの店で、
  調度品やその他も参考になります。


2、芸能百花繚乱
  元歌手の○○さんが案内係り。
  (誰かは観てのお楽しみ)
  日本の古典芸能を中心に現在の芸能
  を含めて、見所をやさしく解説
  してくれます。
  門外漢の私にも、「なるほど」と
  思わせてくれます。
  外国の方への紹介する豆知識として
  得ておくことは現代日本人として
  必要でしょうね。


本日は、娘道成寺が話題でした。
娘道成寺のパロディ版といいますか
モドキ版の「奴道成寺」の見所も
結構興味深く見ることが出来ました。
乱拍子、ぶっかえり、
モドキなどは50種類以上もあるとか。


古典に興味のない若い方も、
1時間は長いので、どちらかに絞り
拝聴してもいいのでは。
日本文化の奥深さを垣間見られます。


日本て、本当にすごいですね。
独自の文化を花咲かせている。
欧州文化の亜流ではない、
独自性がすごい。
ぜひ、海外の人々へ紹介しよう。


以外と海外の人々のほうが、
日本文化の独自性とすごさに気付いて
いたりしますが。(笑)


平成23年4月15日 川越芋太郎


推薦本です。本文章と直接の関係はありません。

粋なおとなの花鳥風月 (中経の文庫)
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中経出版



川越@芋太郎ブログの紹介⇒地震関係の記事はこちらから。

掲載遅延のお詫びと姉妹ブログ紹介

2011-04-02 10:39:22 | 美の番組紹介
お詫び

美のシリーズ掲載遅延をお詫びします。

さて、時期は花見の季節となりました。

皆様、震災自粛はしないように。

ぜい、経済活動を活発にして、元気を

全員で分かちあい、その力で、支援しましょう。


川越芋太郎も足を運ぶことにします。

バンバン経済効果(小銭ですがお金を使い

日本中にお金が回るようにしたい。)


私の姉妹ブログは継続して掲載中です。

震災やら政治経済情報を載せています。

ご参考にしてください。

美の巨人たち:画家が目指した光の大地

2011-03-26 10:12:37 | 美の番組紹介
美の巨人たち:画家が目指した光の大地


ドラクロアの「アルジェの女たち」



本日のテーマはドラクロアであるが、
テーマは彼がアフリカを訪れたところ
から始まる。


実は、ドラクロアは、1798年、パリ近郊
のシャラントン(現在のサン=モーリス)
に生まれた。
父は外交官シャルル・ドラクロワだが、
ウィーン会議のフランス代表として
知られるタレーランが実の父親だ
という仮説があり、
かなりの根拠がある。


1822年『ダンテの小舟』でアントワーヌ
=ジャン・グロの強力な推薦もあり
サロン(官展)に入選した。
1824年のサロンには『キオス島の虐殺』
を出品する。
もっとも有名なのが、『民衆を導く自由
の女神』であろう。
すでに、アトリエ作家の枠から飛び出し
ジャーナリステックな画家でもあった。



そして、本日のテーマは、この時代を
飛び越えて、彼がモロッコを訪問した
ところから始まる。
1832年、フランス政府の外交使節に随行
する記録画家としてモロッコを訪問した。
34歳で北アフリカの地を踏む。


当時のモロッコはヨーロッパからの
玄関口として機能していたようだ。
西欧人から見た地中海沿岸の北アフリカ
は別世界であった。


北アフリカの大地
さんさんとふり注ぐ太陽
まばゆい光と異国情緒
現代のわれわれが知るモロッコ・アルジェ。
それは、ドラクロアの時代も同じである。


強烈な光
彼れは、「悪魔の太陽」と呼んで驚いた。
モロッコ・アルジェリアの旅は、
彼は心底からの感動を受ける。
それは、己の芸術への変化を誘発する。


6ヶ月で100点のスケッチを残し、
光と色彩の新境地を手に入れた彼。
モロッコ・アルジェの文化を感じ、
風景・風土全てに目を奪われれる。
楽園と情熱の旅であった。


彼は、イスラムの香りさえも、
光と色彩に残した。
人々の香り、空気感、情熱さえも。
鮮やかな原色は、従来の西欧画にはない
新境地を開拓した。


彼れの後輩である、ルノアール、
マティスなどに多大な影響を
与えたといわれる。


地理的にも、宗教的にも、暗い西欧
それに対し、イスラムの世界は、
まるでぎらぎらした太陽のようで
あったようだ。
かれの「悪魔の太陽と呼びたいほどの
強烈な光」は賞賛の言葉であろうか。


彼は、この光に見せられ、引き寄せら
れ、描き続けた。


この旅で生まれたのが「アルジェの
女たち」である。
画壇の異端児は、アトリエから飛び出し、
ついに異世界に到達し、
西欧絵画に新たなページを開いた。


記念すべき作品をぜひ、ご自分の目で
確かめてください。
現代日本人にはピンと来ない側面も
あるかもしれません。
強烈な光を知っていますからね。


しかし、暗い太陽しか知らない西欧から
考えれば、驚愕の光であっただろうと
思われます。


地理的要素が芸術に与える要素は
大きいものがあるのですね。


皆様もぜひ、ドラクロアの光の芸術を
ご覧下さい。
同名のピカソの作品もあり、
調べてみると結構楽しめます。

ドラクロワ 色彩の饗宴 (ART&WORDS)
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二玄社

美の巨人たち:平田郷陽<粧ひ>

2011-03-20 14:43:50 | 美の番組紹介
美の巨人たち:平田郷陽<粧ひ>



人形作家である平田郷陽の代表作
それが、本日の化粧をする女こと<粧ひ>
です。
今から80年前、昭和6年の作品です。


当時の芸術界では、「人形」の置かれた
位置づけは、伝統工芸であった。


ここに真っ向から挑戦したのが平田郷陽。
横浜の山下公園の側で、人形作家の家に
生まれた。
小学生から父に習い工房に出入り。
生きている人間
等身大の人形
写実主義を根底から教え込まれた。


その彼が、日本の芸術界に人形で挑んだ
のが彼の作品である。
25歳の彼が「青い目の人形」へ日本側
返礼として、第一等になる。
81㎝の「桜子」。


彼の作品はまさに人体を研究し尽くされ
ており、骨格から筋肉のつき方まで
体までも表現する彼の人形
(従来は体はハリボテである)

人間自体を表現する技術を平田は身に
つけていた。

彫刻でもなく、
絵画でもなく、
圧倒的表現力で人間の美を描く。
まるで、生きているように思える人形。


それは、外形だけではない。
心の中の女心さえも表現する。
迫真の姿
細部の凄み
手で植えられた髪
桜色のほほ
血が通う耳
切れ長の目は、鏡の中の自分を見、
唇からは吐息さえも
聞こえてきそうである。

生きているとしか思えない



人形作りは総合芸術であるという。
姿かたちは彫刻力
目口は画家の表現力
衣装はデザイン力
小道具は工芸家の力
全てを動員して、生まれた総合芸術
それが、人形であるという。


際立つ技術は、「命」を感じさせた。


百聞は一見にしかず。ぜひ、本物を見てみたい。


平成23年3月20日 川越芋太郎


骨董緑青〈19〉特集 人間国宝・平田郷陽―人形の世界
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マリア書房


骨董 緑青〈22〉人間国宝の人形作家たち―伝統と創造
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マリア書房



美の巨人たち:美南見十二侯

2011-03-06 13:18:44 | 美の番組紹介
美の巨人たち:美南見十二侯



鳥井清永
一般的には、写楽や歌麿ほど知られていない。
本日の作品は彼のもの。


江戸時代、北の吉原、南の品川と言われた。
遊戯の品川、
当時も今も江戸(東京)の南の玄関口。


清永は、この品川の遊女たちを季節を背景に
描き出そうとした。
3月から9月までの作品が現存する。
未完成の大作である。


特徴は、大判を2つあわせた大きなサイズ。
従来の作品よりもきめ細かく描き出すことが
可能となる。
同時に、ワイド画面は美人画だけでなく、
背景という新しい世界を持ち込んだ。


例えば、御殿山に繰り出した遊女達。
桜の花との戯れに、
遠くに浮かぶ品川沖の舟



背景だけでなく、実は美人画自体にも変化が
あるという。
清永の美女はなんと八頭身!
江戸の時代に八頭身の美女がいたとは思われ
ない。


番組では以下のように類推する。


人体図の影響
当時の科学的知識が人体の合理的なプロポー
ションを清永にもたらした。
八頭身の美人がは2つの結果をもたらした。


アーネスト・フェノロサの言から

ボッテチェリより調和が取れている
ギリシャ絵画より柔らかで流動的な最高の線
を出している。

それほど、外国人に人気を博した。
清永の作品が日本よりも海外でコレクトされ
る背景がここにある。


清永は従来の美人画の革命児である。


そのような清永に何が起きたのだろうか
9月で筆をおり、
未完成の作品となる。
描くことへの行き詰まりとは思えない。


実は、清永の師である鳥井清満の死が影響
したという。
後継者がなく、直系男子が継ぐ慣わしから、
清永⇒三代目清満の息子へバトンが渡される
まで、かれは養育係となる。
鳥井派を代表すると同時に、
養育係に徹した。


なんとも、武士道の精神ではないか。
主家のために、自らの筆を折る。
個人ではなく、鳥井派宗家としてその後を
生きたわけである。
なんともすがすがしい生き様である。


しかし、清永の精神と技術は、その後の
歌麿・写楽へ継承されたと考えたい。


日本の武士道精神ここにあり。
そのような背景を知り、鳥井清永作の
美南見十二侯を眺めてみよう。


平成23年3月6日 川越芋太郎


参考ホームページ

美の壺:昭和レトロの家

2011-03-06 12:20:21 | 美の番組紹介
「美の壺:昭和レトロの家」 NHK


2010年に放送された番組の再放送が最近なされました。
当時の感想文に今回の感じた内容を追記して
お届けします。




昭和レトロの家というと、芋太郎の両親たちの世代が自分の家を
持ち出した頃のマイホームであろうか。
実は、芋太郎の子供心に、目標となる家があった。


前にも話しているが、友人の家。
それは、洋風の玄関と左脇にこじんまりした洋室・洋館が建ち、
家族が暮らす右脇から奥は、和のつくりであった。
洋室は友人の父親の書斎兼応接間であった。


大きな部屋ではなかったが、多くの書物と重厚な雰囲気が魅力的
であり、小さな子供には、異国情緒のある部屋であった。
今でこそ映画で見かける欧米書斎のミニチュアのような部屋
であった。


僕も、大人になったら、このような部屋を所有する。
これが少年芋太郎の小さな夢であった。
いまだ実現してはいないものの、書物の数と大きな机は実現して
いる。
後は、落ち着いた環境を手に入れたい。
定年前には落ち着きたいものだ。


さて、話題は、昭和レトロの家に戻る壺を番組に沿ってご紹介
いたします。


<美の壺1:新しい住み方が間取りを変えた>


昭和30年生まれ以前の方は子供の頃の思い出は、続き部屋では
なかろうか。
今でも地方の農家に行くと観られる。
芋太郎の生家も立派とはいえないが、やはり玄関から和室(広い)が
2間続き、縁側と奥廊下がありました。
同時に玄関から右にはお勝手(これまたかなり広い空間)とお風呂場
土間がありました。
さらに、後年増築し、玄関前の座敷から奥へ2間増えました。


昭和の家の前までは、座敷を通り、次の座敷へ移動することが当たり前。
しかも、客間と家族の暮らす生活空間は別である事が常でした。


昭和の家は、欧米の個人主義の息吹を模写し、サラリーマンが新に家を
取得した時代です。
それは、従来の家から異なる中廊下(現在は主流)をハブに配置し、
どの部屋にも移動できる空間の創設でした。


生活空間に対する考え方の基本理念が変わり、お客様中心の生活空間から
家族中心の生活空間に変わり、家とその居住性を楽しむように、
時代は変化しました。
しかも、当時は、和の建物に、洋館と呼べるような洋室を継ぎ足し、
なんともいえぬ異国情調を醸し出しました。


玄関脇の洋間
日本の明治以前の家屋は、お客様をお迎えする家が中心でした。
お客様と主は立派な部屋で。
家族は、奥の間で生活をする。
それは、往々にして簡素な建物でした。


この流れが変わったのが、大正から昭和の初期です。
家族の家としての憩いの場所となりました。

それは、経済発展とともに成し遂げられました。
大都市近郊の住宅地に多く見られます。
サラリーマン世代を中心に昭和の家が形作られました。

小さな洋館を併せ持つ、風変わりな建築。
それが流行した時代です。
洋間は、従来の客間で、お客様をもてなす場。


そこには、単なる洋間ではない、日本の建築関係者
の熱意と創意工夫の形跡を見て取ることができます。


<美の壺2:異国の装いで世界に一つだけの家>


昭和レトロの家として、番組では大正時代から昭和初期に流行りだした
異国情調ある建材類を紹介します。
結露ガラスや木製の出窓。
まさに、芋太郎が友人宅でみた家そのものです。
ウォールナットであったか、マホガニーであったか覚えていない。
いや、わからなかった。
少年時代の小さな洋館と呼べる洋室。


そして、和の建築も和洋混合の内外装。
切妻にスレート屋根とか、洗い出しの外壁で趣を出します。
当時の大工さんが見様見真似で洋と和を折衷し、腕前を披露しました。


屋根のスレートに石を
妻飾りなどの日本建築の要素を取り入れ
網代天井が洋風にアレンジされ
洗い出しやなめし加工などの技法も馳駆しました。


明治の建築が国家の建物であるならば、大正から昭和初期の建物は
個人の建物に文明開化の足音が響きます。
以前紹介した前川國男邸もその一つ。
ル・コルビジェの教えを学び、民間の建築デザインを示した。
(参考)



<美の壺3:実験住宅に和モダンの極致あり>


前川に代表される昭和初期の建築家は、国家から個人の住宅建築への
流れを示し、自らの住まいで新しい実験を行う。
戦争の日々であった当時の時代であるが、彼は現代マンションの原型
とも言える間取りを実現している。
詳細は、上記リンクでお読みください。


文明開花の歩みは、明治の国家的建築から始まり、昭和初期の個人住宅で
完成して行く。
芋太郎があこがれた書斎のある洋館も、この頃から出来上がっていた。
そう、友人の父は○銀の関係者でありました。
当時としてはハイカラ層であった。


あの友人と何十年来会っていない。
いまどうしているだろうか。
無論、あこがれた家は建て直しされたようです。(残念)


根無し草のように転勤を繰り返した芋太郎。
早く落ち着きたいと考えるこの頃である。(年かな?)


2010年3月27日(再放送による手直し:2011年3月5日)


昭和モダン建築巡礼 西日本編
磯 達雄,宮沢 洋
日経BP社


昭和モダン建築巡礼 東日本編
磯 達雄,宮沢 洋
日経BP社

美の壺:大谷石

2011-03-01 22:25:47 | 美の番組紹介
美の壺:大谷石



大谷石といわれて、あなたは何を思いますか。
やわらかい石、薄緑色の石、
それは塀であり、観音様でもあり。


私の大谷石の思い出は石垣です。
私の時代は、ほとんどの家が生垣か板塀
でした。
大谷石の石垣は珍しく、富の象徴でもあり
ました。


時代は変わり、現在の街へ転居しましたが、
この周辺は、昔から大谷石の石垣が連なる
街並であったそうです。
いまでもその一部がいたるところに残って
おります。
場所は・・・(内緒



さて、番組の紹介をいたします。



<美の壺1:みそが醸し出す温もり>


栃木県宇都宮市大谷町が起源です。
大谷石は栃木のシンボルでもあります。
本場では、大谷石の建築物がいたるところ
に散見されます。


やわらかい
やさしい
心が和む

などの特徴を挙げる人々が多い。
そのなかでも、表面の「穴」=みそ
が特徴です。

科学的には、火山灰が降り積もりできた岩
が大谷石であり、火山灰に紛れ込んだ
木の破片などの不純物が「みそ」として
黒いしみを形作ります。


この「みそ」は、長い年月の間に、
風雨にさらされ、洗い流されて「穴」
になる。
この穴がなんとも特徴的な感慨を醸し出す。


無数の隙間が風情すら感じさせる。
大谷石の石段や敷石がそれです。



<美の壺2:和を引き立てる名脇役>


大谷石との相性がいいのが日本建築です。
木や土との相性は抜群。
通常は木でつくられる部分を大谷石に代替
しても全く違和感が感じられない。


番組では宇都宮から移築された柳宗悦の家
が紹介されていました。
東京民芸館に現存するそうです。
そうそう、あそこには前川邸も確かあり
ましたね。(ル・コルビジェの)


木だけでなく、瓦やなまこ壁も大谷石で
代替している。
石ほど冷たく感じない
ちょうど、石と木の中間的な感じです。



<美の壺3:フランク・ロイド・ライトに学ぶ>


ライトといえば、帝国ホテル/甲子園ホテル
ですね。
現在は愛知県に移築されています。


あのライトは、帝国ホテルの内外装に
大谷石を最大限に利用しております。


その特徴は、光だそうです。
光らない石が光って見える。
やわらかい石を削り、「つや」を生む。
そのつやこそが、光です。
光はつやとなり、独特の陰影を生む。


光がやわらかさとつやっぽさを引き出す。
なんとも魅力的な光景です。



追伸

番組では語られなかったですが、
私は大谷石の魅力はさらに苔むした大谷石に
あると思います。
苔むしたというのは間違いで、
苔を感じさせる大谷石の風化を愉しむこと
です。


実は、近くの大谷石の石垣は、年代ものが
多く、唐松や大層な羽振りの木岐がその上を
飾ります。
木岐の緑と大谷石の苔質感に、
安らぎを覚えます。



住宅展示場で暖炉の周囲に大谷石を利用した
建築も拝見しました。
これもまた、いいですね。


魅力いっぱいの大谷石。
あなたはどのような感慨をお持ちですか。


平成23年3月1日 川越芋太郎


フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル
明石 信道,村井 修
建築資料研究社

美の壺:香水瓶の美

2011-02-19 17:58:18 | 美の番組紹介
美の壺:香水瓶の美


魅惑の香水瓶―コティとラリックの物語
遠藤 賢朗
里文出版




香水は毎日の入欲習慣がない西欧の人々から
生まれた。体臭を隠す方法として。
フランス18世紀頃、オシャレで繊細で金細工
が施された香水瓶が生まれた。


19世紀になると瓶は香りが住む家として時代
の先端を行く香水瓶が生まれる。



<美の壺1:香りと美を封じ込める栓>


香水瓶に欠かせない機能といえば、栓(せん)
です。
形の制約を逆手にとり、多くのおもしろい
栓が生まれた。
栓は瓶の要。
内容物がこぼれず、漏れず、それでいて
ファッション性と夢をもたらす。


香水は非常に貴重なものであり、何千本の
花から作られた。
しっかりした機能とデザインのポイントが
大きな比重を占めている。


そんな訳で香水瓶の美術館すら出来ている
くらい多くの香水瓶が誕生した。
当初の瓶は水晶をくりぬいた豪華なものであ
り、その後ガラスが登場し、大いに発展した。


一時期、平凡な瓶とラベルに陥った時代も
あったが。



<美の壺2:香りをアピールする彫刻>


庶民への普及とともに、パリの上流階級で
人気を博していた宝石デザイナーのラリック
が香水瓶の世界に登場した。


ラリックは草花や果実、昆虫なでのデザイン
をあしらい、ジュエリーの造形美を瓶の世界
に取り込んだ。
時にエキゾチックな香りを彷彿さえる瓶。


形で表す香り。
まさに、香りを目で見てイナージさせる
ラリックのデザイン。


ラリックをご存知ない方は、ぜひ箱根に足を
運びましょう。
ラリックの美を堪能する美術館がありますよ。



<美の壺3:言葉と香りが響きあう場所>


香水の名前
現代の合成香料は手軽さと名前の妙で売れて
いる?
1985年、覚えている方も多いでしょう。
あのプワゾン(毒)という命名の香水。
かなりエキセントリックできつい香り。
一世を風靡しました。


プワゾンの流れである命名の妙は、今も
引き継がれています。
木の女らしさ
私の秘め事
ピンウタイフーン
なんとなく興味が出てしまいますね。


あのラリックの5連作もその一つです。
1、真夜中に
2、夜明け前に
3、さよならは言わない
4、私は戻ってくる
5、君の元へ

まさに、香水によるラブレターでしょうか。
一遍のポエム

「私は戻ってくる」は、戦時中の男性から
女性へ送る愛の瓶、そのものでした。
平和な世界になったら、君と夜のビル
ディングで語り過ごしたい。
ビルディング型の香水瓶がなんとなく、
わかる気がします。


香水瓶一つにも、物語があります。
いや、物語性を追求したのが香水瓶でしょうか。
あなたの特別な物語。

千住明聖地を行く?

2011-02-13 09:04:51 | 美の番組紹介
千住明聖地を行く?


NHKの某番組(極める)から少々語ります。


出羽羽黒山、羽黒山・月山・湯殿山の3つを合わせて
出羽三山という。
冬季は、月山・湯殿山が閉山しますので、羽黒山詣で
で3つの山を詣でたこととする。


とはいえ、2時間の雪山登山です。
千住明さんがこの詣でにチャレンジしました。


まず、第一門を潜り、結界の中へ。
そこは神域です。
深々と降る雪の中、足跡なき雪道を下ります。
そう、地獄への下り坂。
訪問者は一度、地獄へ落ちる体験をする。


静寂と雪の中、
どんどん下り、突いた先が三途の川?
祓川は、雪中にとうとうと流れる水、滝。
まるで、山水の絵巻の中。
この世とあの世の境。


昔は、この祓川で禊を行い、山頂を目指した。
江戸時代の人々の精神性を垣間見る。


<聖地の条件1:水は生命の元>


水の音と水の流れは、豊かな心、清らかな心を
生むという。
水は生命の源であると同時に、浄化力をも示します。
心身ともに清らかな状態にして、聖なるものに会う。



さて、聖なる水に讃えられた時間を過ごし、
次に出会うのは、大きな巨木たち。



<聖地の条件2:巨木>


天に向かってすくっと立つ樹木。
巨木は天と地を結ぶ柱と考えられています。


日本は山岳75%、四方を海に囲まれた自然に恵まれた
世界です。
山、川、海がキーワード。
歴史的にも、祖霊信仰が盛んで、人の手が届かない山は
天に近いと考えられています。
聳え立つ巨木には、聖なるエネルギーが宿る。



<聖地の条件3:天に近い山>


幽谷深山に立ち入れば、そこは普段の世界から
別の世界にいたる。

まさに、雪の中の静寂と深々とした身を切る寒さの中、
道なき道を無心で歩くとき、大自然と向かい合う
小さな自分を悟ります。



<聖地の条件4:異次元への回路>


深い自然の中に身をおくことで、
感覚が研ぎ澄まされ、
日常の垢を脱ぎ捨て、
新たな体験をする。
それは、異次元への新たな旅立ち。



聖地の魅力がここにあります。
大自然の力を借りて、
自分をもう一度活性化させて、
生まれ変わります。
言葉だけではなく、
体で体験することで、
自分自身の小ささを見届け、
自分の位置を正しく認識する。
山での修行は、
自らの活性化を促します。


山篭り
山岳修験道
験力(げんりき)

さて、あなたはこのような体験で何を見出しますか。


私は、昔の剣豪が大自然の中で
修行を行い
剣の道に目覚め、
自らを高めた経験を
書物で読んだことがあります。


聖地も日常の修行も目指すところは同じでは?
それはただ一つ。
自らの内部を活性化し、
自らの心を鍛え、体を開放し、
欲や恐れから離脱し自らを俯瞰する。
大自然を愛することは、自分以外の存在を愛する
ことにつながる。
そう気が付けるかどうか。


方法は、一つではない。
「自らの方法でためしてみなはれ」ですね。


聖地感覚
鎌田 東二
角川学芸出版

美の壺:益子焼

2011-02-12 20:54:55 | 美の番組紹介
美の壺:益子焼



本日の美の壺はあの益子焼!
あのとは、濱田庄司氏とハーナード・リーチ氏のこと。
私の知識の中では、濱田26歳の時、リーチと共に
英国に渡りアーツ&クラフツ運動に携わり
帰国後、民芸運動を推進しながら、益子で作陶を
継続した。
濱田の自宅が益子参考館として開放されていたはず。



では、番組に戻り美の壺を3つ程、おさらいしよう。



<美の壺1:益子焼の土の香り>

田舎の土の香りが益子の魅力


益子焼きは、栃木県という田舎の素朴な風情を
思い出す。
日常使いの食器に代表される日本の民芸
日々の食卓を飾る食器
そこには、気取らない田舎の香りがする。


それは、益子と言う土地の「土」に原因がある。
益子の土は、砂っぽく、荒い土である。
それゆえに、洗練さとは縁遠い分厚いつくり。
厚いとは、手ごたえのある重量感とも言える。


粘り気のない、砂質の土が生んだ益子の魅力


そこには、さらに陶家の工夫が不可欠であった。



<美の壺2:器を彩る柿の色>


柿色の釉薬に思いあり


柿の色を彷彿させる釉薬
それは、日本の秋の色、土地の色。


従来赤粉と言われる防水性に富むことで知られた
独特の釉薬。
屋根瓦や瓶に利用された。


この赤粉に手を入れて柿色の釉薬を生み出したのが
あの濱田庄司である。
配分や配合物を工夫して、
深みのある黒やあめ色を生み出した。
実りの秋が代名詞の釉薬となる。



<美の壺3:流し掛けに益子焼きの真髄をみよ>


濱田の益子焼に絵が帰れた文様は、ひしゃくによる
流し掛けに特徴がある。
それは、筆で描く方法と異なり、
自在な線、生き生きとした躍動美が特徴である。



鼓動が聞こえる

「つくったものではなく、生まれてくるもの」

という表現をされることがある。
計算で生まれない無意識の伸び
躍動感や生命力を見るものに感じさせる魅力がある。



番組の後半は濱田の話になってしまいましたが、
益子焼は濱田の前にも脈々と息づいていました。
江戸後期から日常雑器の生産で有名です。
その職人技も伝統技術として残っていた。
濱田庄司を生み出す土壌がそこにあったようだ。


焼物の里を訪ねて 益子・笠間 (エイムック 1816)
クリエーター情報なし
エイ出版社



美の巨人たち:パリ国立オペラ座

2011-02-11 10:59:02 | 美の番組紹介
美の巨人たち:パリ国立オペラ座



パリを俯瞰すると、整然とした大通りが印象的である。
この大通りの中でも、取り分け親しまれているのは
オペラ座大通り。
その正面にあるのが、73.6m×125m×173m
のオペラ座である。
華美な装飾、音楽の女神・詩の女神をあしらう
パリの代表的なモニュメントである。


建物に印字された「N」はナポレオンⅢ世を意味し、
「E」は皇帝を意味する。
そう、あのナポレオンⅢ世がパリ大改造を行い、
そのおり、メイン建築物としたのが始まりである。
(いまでこそ、パリのランドマークであるが・・・)


このオペラ座は有名な建築の手によるものではない。
当為は無名のシャルル・カルニエなる人物による。


ナポレオンⅢ世は、当時の薄汚れた汚物垂れ流しの
パリを大改造し整備することとした。
そして生まれたのが、現在のパリ。
高さ・壁・色を規制し、街全体が整然とした、
それでいて一貫性のある芸術の都の出現である。


1860年、171名のコンペから選出されたのが、オペラ座
建築家シャルル・カルニエ。
かれは、鉄筋を全て覆い隠し、曲線的美の殿堂を築く。
荘厳華美な外装も注目の要素であるが、
内部はそれに勝るほど用意周到に考えられている。


客は荘厳な入り口で迎えられ、二階のグランホワイエ
では、58mの芸術、シャンデリアに迎えられる。
ベルサイユ宮殿を模したと言われる程の荘厳華美な
つくりである。


これだけの建築物である。
それゆえ、長年の苦労があったようだ。
建築中の水の浸水は、工期を遅らせ、オペラ座の怪人
伝説を生む。
さらに、普仏戦争によりナポレオンⅢ世が失脚し、
主を失う。
中断後の再開で、1875年1月15日完成。
カルニエさん、ご苦労様でした。
パリの市民は、ここを別名ガルニエ宮と親しみを込め
呼ぶようだ。


さて、歴史から内部の話へ変わる。
ここの主人公はナポレオンⅢ世から市民、すなわち
お客様へ変わる。
オペラ座の構造がそれを物語る。
ガルニエ宮の三分の一が広間である。
客である市民は、ここで晴れ舞台を飾る。
荘厳華美な広間での主人公は自分自身。
後年、天井にはシャガールの絵が飾られ、
さらに魅力を増す。


三分の一がホールである。
席数は少なく2000席弱。
5%傾斜した舞台は、客の目線を隅々まで行き渡らせ
ることができる。
細分にも気を使うところがにくい。


残りの三分の一が舞台装置と楽屋裏。
これも手抜きはない。
よい舞台は良い装置と俳優達への配慮が行き渡る。
もう一度、あの舞台に立ちたいという魅力。


全てが計算された建築物。


ガルニエの言葉が全てを語る。
「微笑を絶やさない。生き生きとした人々の姿、
出会い、交わされる挨拶、これら全てが喜びである」


この精神で作られた建築物は、独りの皇帝の建築物
から人々の建築物に変容した。
そして、これからも、語り続けられるであろう。
芸術の殿堂、美の殿堂、音楽の殿堂として。


パリ・オペラ座のマニュエル・ルグリ
クリエーター情報なし
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