美の巨人たち
:ジャック・ルイ・ダヴィッド作
皇帝ナポレオン一世と
皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』
縦6m10cm、横9m31cmと所蔵作品の中
でも最大級の大きさを誇る作品です。
. 皇帝ナポレオンと皇妃の戴冠式
この絵画は、教科書にも掲載される
程有名なものである。
なぜなら、その主人公があのナポレポン
でありその戴冠式を描いたものである
から。
番組の言葉を借りれば、それは、「神
さえもここがどこだか分からなくなる」
と言われた程空前絶後のスケールだっ
たと言われる戴冠式であったそうな。
1804年12月2日、パリのノートルダム
大聖堂で行われた皇帝ナポレオンと皇妃
の戴冠式。
一介の軍人だったナポレオンが、
フランス国家の皇帝となった歴史的
瞬間でした。
その時の様子を記録した絵であると
いう。
ジャーナリスティックな一枚である
のか、それとも式を国民に知らせる
べく企画された壮大なプロパガンンダ
であるのか。
兎に角、それはルーヴル美術館に展示
されています。
今日の一枚は、絵の主役はもちろん
ナポレオン。
妻ジョゼフィーヌに王冠を授けようと
している場面が描かれています。
なぜ、妻への戴冠式なのか。
それは、?後述しましょう。
この絵画は、戴冠の様子を見守る人々
が描かれその表情も実に多彩。
総勢191名もの人物が描かれているので
すが、その殆どが誰なのか特定出来る程
緻密に描かれています。
描いたのは、皇帝ナポレオンの首席画家
であるジャック・ルイ・ダヴィッド。
400人の弟子を抱え、フランス画壇の頂点
に立った男です。
18歳で画家修業を始め、28歳の時にアカ
デミーで最優秀の栄誉に輝いた。
歴史画が専門であった。
同時に、彼は別の顔をもっていた。
フランス革命後の政権下では政治家と
しても活動していた。
フランス革命後、革命指導者の失脚に
より逮捕され、その後しばらくは政治の
世界と距離を置いていました。
一説には、開放の理由が政治に関与し
ないとの約束であったそうです。
しかし、1797年ナポレオンに招かれ対面
し、ナポレオンの首席画家として再び
政治の世界へと自ら飛び込んで行った。
政治から縁が切れなかったようですね。
ダヴィッドがこだわったのは、細部に
渡るリアリティーでした。
以前『テニスコートの誓い』という作品
で、実際に起こった事件を描き注目を
集めたダヴィッドは、絵画が「報道
メディア」として機能することを学んだ。
であるからこそ、ナポレオンと二人三脚
での皇帝売り込み活動が始まった。
徹底的にリアリティーを追及し、臨場感
を大事に描きました。
今で言う、報道写真とも言える。
しかし、それ以上である。
なぜなら、写真ならごまかしが効かない
、創作も出来ない。
そう、今日の一枚は戴冠式の正確な
記録であると言えば実はそうではない。
事実とは異なる描写がこの絵にはいくつも
ある。
絶対王政から帝政の時代へと移り行く、
世界史の中でも象徴的な一場面。
画家の絵筆がついた意識的な嘘とは?
番組では面白く解説していました。
一介の軍人であるナポレオンが皇帝に
なる。
それは、当然に権威付けが必要です。
それに利用されたのが、戴冠式であり、
そこに参加する人々との一体感です。
実際に参加していない母親やカプチーノ
枢機卿を描き、ローマ教皇ピクス7世には
、ある動作をさせている。
(実際にはない動作)
ナポレオンといえば、皇帝ですが、
戦争に敗れ第一帝政は悲劇で終了して
います。
そう、この絵も同じように悲劇を味わう
ことになりました。
それは、作者も同じです。
今日、ルーブル美術館に収まる壮大な
絵画であるがナポレオンの甥である
ナポレオン三世が帝政を手に入れる迄
時間を要したわけです。
新しい「皇帝ナポレオン」の神話作り、
シーザーさえも参加し賞賛した戴冠式
(本当は自分で自分の頭に冠を載せた
そうです)
自分で戴冠するのでは権威付けになり
ません。
そこで、妻への戴冠という図柄が必要で
あった。
多くの人々が祝福する図柄が必要であっ
た。
まさに、創造の戴冠式ですね。
そうそう、この絵は実は二枚現存する
そうです。
一枚は、彼が晩年に製作したそうです。
それゆえに、登場人物の衣服が違う
という面白い、オチャメな絵となり
ました。
彼はナポレオンの戴冠式であるからこそ
、紛失や滅失の可能性を考慮して、
二枚描き出したのでしょうか。
それとも、政策年月日の違いから、彼は
何か別のものを伝えようとしたので
しょうか。
それは、あなた自身が発見してください。
平成23年6月2日 川越芋太郎
ルーブル美術館へのネット小旅行はこちらから
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:ジャック・ルイ・ダヴィッド作
皇帝ナポレオン一世と
皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』
縦6m10cm、横9m31cmと所蔵作品の中
でも最大級の大きさを誇る作品です。
. 皇帝ナポレオンと皇妃の戴冠式
この絵画は、教科書にも掲載される
程有名なものである。
なぜなら、その主人公があのナポレポン
でありその戴冠式を描いたものである
から。
番組の言葉を借りれば、それは、「神
さえもここがどこだか分からなくなる」
と言われた程空前絶後のスケールだっ
たと言われる戴冠式であったそうな。
1804年12月2日、パリのノートルダム
大聖堂で行われた皇帝ナポレオンと皇妃
の戴冠式。
一介の軍人だったナポレオンが、
フランス国家の皇帝となった歴史的
瞬間でした。
その時の様子を記録した絵であると
いう。
ジャーナリスティックな一枚である
のか、それとも式を国民に知らせる
べく企画された壮大なプロパガンンダ
であるのか。
兎に角、それはルーヴル美術館に展示
されています。
今日の一枚は、絵の主役はもちろん
ナポレオン。
妻ジョゼフィーヌに王冠を授けようと
している場面が描かれています。
なぜ、妻への戴冠式なのか。
それは、?後述しましょう。
この絵画は、戴冠の様子を見守る人々
が描かれその表情も実に多彩。
総勢191名もの人物が描かれているので
すが、その殆どが誰なのか特定出来る程
緻密に描かれています。
描いたのは、皇帝ナポレオンの首席画家
であるジャック・ルイ・ダヴィッド。
400人の弟子を抱え、フランス画壇の頂点
に立った男です。
18歳で画家修業を始め、28歳の時にアカ
デミーで最優秀の栄誉に輝いた。
歴史画が専門であった。
同時に、彼は別の顔をもっていた。
フランス革命後の政権下では政治家と
しても活動していた。
フランス革命後、革命指導者の失脚に
より逮捕され、その後しばらくは政治の
世界と距離を置いていました。
一説には、開放の理由が政治に関与し
ないとの約束であったそうです。
しかし、1797年ナポレオンに招かれ対面
し、ナポレオンの首席画家として再び
政治の世界へと自ら飛び込んで行った。
政治から縁が切れなかったようですね。
ダヴィッドがこだわったのは、細部に
渡るリアリティーでした。
以前『テニスコートの誓い』という作品
で、実際に起こった事件を描き注目を
集めたダヴィッドは、絵画が「報道
メディア」として機能することを学んだ。
であるからこそ、ナポレオンと二人三脚
での皇帝売り込み活動が始まった。
徹底的にリアリティーを追及し、臨場感
を大事に描きました。
今で言う、報道写真とも言える。
しかし、それ以上である。
なぜなら、写真ならごまかしが効かない
、創作も出来ない。
そう、今日の一枚は戴冠式の正確な
記録であると言えば実はそうではない。
事実とは異なる描写がこの絵にはいくつも
ある。
絶対王政から帝政の時代へと移り行く、
世界史の中でも象徴的な一場面。
画家の絵筆がついた意識的な嘘とは?
番組では面白く解説していました。
一介の軍人であるナポレオンが皇帝に
なる。
それは、当然に権威付けが必要です。
それに利用されたのが、戴冠式であり、
そこに参加する人々との一体感です。
実際に参加していない母親やカプチーノ
枢機卿を描き、ローマ教皇ピクス7世には
、ある動作をさせている。
(実際にはない動作)
ナポレオンといえば、皇帝ですが、
戦争に敗れ第一帝政は悲劇で終了して
います。
そう、この絵も同じように悲劇を味わう
ことになりました。
それは、作者も同じです。
今日、ルーブル美術館に収まる壮大な
絵画であるがナポレオンの甥である
ナポレオン三世が帝政を手に入れる迄
時間を要したわけです。
新しい「皇帝ナポレオン」の神話作り、
シーザーさえも参加し賞賛した戴冠式
(本当は自分で自分の頭に冠を載せた
そうです)
自分で戴冠するのでは権威付けになり
ません。
そこで、妻への戴冠という図柄が必要で
あった。
多くの人々が祝福する図柄が必要であっ
た。
まさに、創造の戴冠式ですね。
そうそう、この絵は実は二枚現存する
そうです。
一枚は、彼が晩年に製作したそうです。
それゆえに、登場人物の衣服が違う
という面白い、オチャメな絵となり
ました。
彼はナポレオンの戴冠式であるからこそ
、紛失や滅失の可能性を考慮して、
二枚描き出したのでしょうか。
それとも、政策年月日の違いから、彼は
何か別のものを伝えようとしたので
しょうか。
それは、あなた自身が発見してください。
平成23年6月2日 川越芋太郎
ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」 プリハード 世界の名画 目安サイズ8号 額縁I | |
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