美の巨人たち:詩仙堂
京都市左京区、閑静な住宅街から一歩足を踏み入
れると広がる別世界。デコボコした土地に建
てられた家は1000坪の敷地にしては小ぶりの
建物です。
370年前に造られた山荘『凹凸(おうとつか)
・詩仙堂』
まさに、知と主人の体を現す命名です。
さて、主はといえば、石川丈山。
詩人であり、書の大家、煎茶の開祖ともいわれ
る京都を代表する文人です。
丈山は1583年、三河の徳川譜代の武士の家に生
まれました。
文武両道に秀で、関が原の合戦に参加。
その功もあり、家康の寵愛を受け順調に出世。
ところが、大阪・夏の陣において先駆けの功を
焦ったことから、軍規違反として蟄居を命じら
れます。
その後は、病弱の母親を養うために紀伊の浅野
公に仕え、和歌山、広島などを転々とする生活
を送りました。
母の没後に京へとやって来た丈山は、59歳にし
て自らの美学と理想を貫いた詩仙堂を造営した
おいうのが表向きの説明です。
しかし、彼の経歴からして、この1000坪の土地
と建築費およびその後30数年間の生活費の出所
が不明です。
番組では、面白い想定を披露しております。
彼は徳川幕府のスパイとして、京都の朝廷を
監視したという。
詩仙堂の見晴台から眺めは京都が一望できる。
ここから京都御所までは直接3kmほどです。
現実味のある仮定ですね。
さて、現実はともかく、彼の文人としての能力
は一級です。
林羅山との交流も複雑な思いですね。
番組では、この山荘は庭を愛でるための建物と
評価しておりました。
凸凹の地形を利用した庭造り。
あたかも借景の如く
幹が見えない庭
各部屋から違う庭が味わえ、
四季を応じて味わえる風景
などなど。
30数年間の終の棲家となった詩仙堂
かれの人生全てが凝縮されている。
それだけでも鑑賞の甲斐はありますね。
詩仙堂は十境の楽しみと言われる。
老梅関
詩仙の間
蝋芸窟
・・・
どうも、漢字が難しい。(笑)
自分で調べましょう。
・・・
主の心境は
「わたらしな 瀬見の小川の 浅
くとも 老いの波そふ 影もはす
かし」。これは、「もう私は鴨川
を越えません」という決意を詠ん
だものです。
だそうです。
本当の真意は不明ですね。
番組のいうように、スパイでしょうか。
あるいは、母の死後、名誉回復したので
しょうか。
心境の謎が上記の歌でしょう。
出生競争を離れて、幕府と朝廷の争いを
避けて、文人墨客としての立場を
謳ったのでしょうか。
なぞはなぞのまま。
あなたはどのように考えますか。
詳細は番組ホームページへ
平成23年8月23日 川越芋太郎
京都市左京区、閑静な住宅街から一歩足を踏み入
れると広がる別世界。デコボコした土地に建
てられた家は1000坪の敷地にしては小ぶりの
建物です。
370年前に造られた山荘『凹凸(おうとつか)
・詩仙堂』
まさに、知と主人の体を現す命名です。
さて、主はといえば、石川丈山。
詩人であり、書の大家、煎茶の開祖ともいわれ
る京都を代表する文人です。
丈山は1583年、三河の徳川譜代の武士の家に生
まれました。
文武両道に秀で、関が原の合戦に参加。
その功もあり、家康の寵愛を受け順調に出世。
ところが、大阪・夏の陣において先駆けの功を
焦ったことから、軍規違反として蟄居を命じら
れます。
その後は、病弱の母親を養うために紀伊の浅野
公に仕え、和歌山、広島などを転々とする生活
を送りました。
母の没後に京へとやって来た丈山は、59歳にし
て自らの美学と理想を貫いた詩仙堂を造営した
おいうのが表向きの説明です。
しかし、彼の経歴からして、この1000坪の土地
と建築費およびその後30数年間の生活費の出所
が不明です。
番組では、面白い想定を披露しております。
彼は徳川幕府のスパイとして、京都の朝廷を
監視したという。
詩仙堂の見晴台から眺めは京都が一望できる。
ここから京都御所までは直接3kmほどです。
現実味のある仮定ですね。
さて、現実はともかく、彼の文人としての能力
は一級です。
林羅山との交流も複雑な思いですね。
番組では、この山荘は庭を愛でるための建物と
評価しておりました。
凸凹の地形を利用した庭造り。
あたかも借景の如く
幹が見えない庭
各部屋から違う庭が味わえ、
四季を応じて味わえる風景
などなど。
30数年間の終の棲家となった詩仙堂
かれの人生全てが凝縮されている。
それだけでも鑑賞の甲斐はありますね。
詩仙堂は十境の楽しみと言われる。
老梅関
詩仙の間
蝋芸窟
・・・
どうも、漢字が難しい。(笑)
自分で調べましょう。
・・・
主の心境は
「わたらしな 瀬見の小川の 浅
くとも 老いの波そふ 影もはす
かし」。これは、「もう私は鴨川
を越えません」という決意を詠ん
だものです。
だそうです。
本当の真意は不明ですね。
番組のいうように、スパイでしょうか。
あるいは、母の死後、名誉回復したので
しょうか。
心境の謎が上記の歌でしょう。
出生競争を離れて、幕府と朝廷の争いを
避けて、文人墨客としての立場を
謳ったのでしょうか。
なぞはなぞのまま。
あなたはどのように考えますか。
詳細は番組ホームページへ
平成23年8月23日 川越芋太郎
詩仙堂の四季―水野克比古写真集 (京・古社寺巡礼) | |
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東方出版 |