鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

元旦の新聞

2016年01月03日 00時00分01秒 | 緑陰随想

  一年の計は元旦にありといわれ、元旦に配られる朝刊に期待を持って読むことにしている。娘夫婦と孫が午後から挨拶に来宅したため、中途半端な読み方となってしまった。年賀状が早めに届いたこともあり、そちらを拝読する方が先となってしまった。毎年、近所の新聞店に日経の他、いくつかの新聞を届けてもらうことにしていたが、ことしは契約している日経新聞の他は、東京新聞とスポーツ新聞だけにした。何故かというと、毎年大手の新聞を読むが、それなりの工夫はあっても、取り上げられた記事はどれも同じようで、独自の視点がない気がしている。新聞社の独自性は薄まってきたようで、残念ではあるが仕方ない。パソコンからはどの新聞社もウェブ配信をしているため、それを読めば十分だからである。

 

 社説についても力が入っていない気がしている。、特集記事が日常化しているため、エポックメーキング的な話題提供をわざわざ元旦に行うこともないからであろう。それだけ元旦が特別な日から年の初めと言うことだけになり、話題性は低下し、お祝いする意味も薄れてきたかも知れない。初詣や、連休を使っての帰省は平年と変わらないが、経済的にも目新しいことが少なく、安倍政権の舵取りも鈍りがちである。

 

 年末には韓国の慰安婦問題が一応の決着を見たとされたが、韓国国内では何故か、解決ではない雰囲気が感じられて、スッキリとは行かないようである。五郎丸選手のラグビーは人気となったが、スポーツのマンネリ化もどうもぱっとしない。原油安でガソリン価格の低迷は、消費増につながるかと思えば、暖冬の影響で冬物衣類消費が伸びないようで、住宅の人気も低迷しているという。

 

 右肩上がりの成長を期待する反面、乱調子が続く株式市場である。社会全体の閉塞感があるようで、その中でもノーベル物理学賞の日本人受賞は世界に胸を張ることが出来た数少ない快挙かも知れない。

 

 新年の社説は、昨年起こった数々の出来事をどう捉えるかによってスタンスが決まる。

 マスコミが大衆の代弁者であった時代は終わったのかも知れない。とらえどころのない大衆や国民に、一部の先導者によって偏った判断が提示されれば、反対運動が起こり、出る釘は打たれるのであるが、反面、提供側の意欲はそがれ、中庸という保守でもない革新でもない世界へ導かれ、一部はノンポリ化し、利己的な小市民となってしまう。それだけ成熟した末期症状とまではいわないが、何をするにも結論ありきではおもしろさは半減してしまう。ゴシップや芸能記事はご遠慮しているし、三面記事も飽きが来る。時には視点を変えたカンフル注射が求められている。